子爵家の異変④前編 -手紙の届主-
ふと、本から顔を上げて窓の外に目を向けると、空が夕焼け色に染まり始めていた。アルが出掛けてもう4時間は経ったはず。そろそろ帰ってくるだろう。そう思いながら本に目を戻すが、妙に胸騒ぎがして本に集中できない。諦めて、本をパタリと閉じ、部屋の掃除をすることにした。
目につくところの汚れを拭き、だいぶ綺麗になった室内。もう薄暗くなってきていて、これ以上の掃除はロウソクを点けないとできないので、いったん手を止める。そして、改めて木の小窓を開けて空の様子を確認した。
もう夕日は隠れようとしていて、夜になろうとしている。そんな時間なのに、アルが帰ってこない。
「っつ」
胸がざわっとして、居ても立っても居られず、鞄をつかんで家を出た。ダダダダっと勢いよく階段を降りて外に出ると、店じまいしている人たちが目に入る。道は家路を急ぐ人で溢れていた。
「メリア!どうしたの?こんな時間に外にいるなんて」
声をかけられ振り向くと、ルイドが驚いた顔をしてこちらを見下ろしていた。
「ルイド!ルイドはどうして?」
「ほらこれ!仕事終わりに返そうと思って」
そういってルイドは袋からタオルを出して見せてきた。それを受け取って、ぎゅっとタオルを握る。
「持ってきてくれてありがとう、ルイド」
「いや、こちらこそありがとうね。それでどうしたの?」
「……あのね、アルが帰ってこないの。もう日が暮れちゃうのにまだ帰ってこなくて。
暗くなる前には帰ってくるって言ったんだよ?」
「アルは今日仕事休み?」
「うん」
「うーん、じゃあそろそろ帰ってくるんじゃないかな?まだ暗くなってないし」
そうは言うが空は真っ赤から紫色に変わってきていた。すぐに日が暮れてしまうだろう。いつもなら、こんなに暗くなってくる前に、帰ってきてたのに。
「……探してくる」
「探すって…メリア、だめだよ。君は家で待ってた方がいい」
「待ってられない!」
「メリア!もう日が暮れる!暗闇で探すわけにはいかないだろ?」
「アルのランタン持って探せば大丈夫!取りに行ってくる!」
急いで家に戻ろうとしたら、ルイドに手首を掴まれて引き留められた。ルイドを見上げると、いつもの笑顔はなく、緊張したような顔で私を見ている。でも、離してほしくてグッと手を引いたけど、ルイドの手は離れてくれなかった。
「だめだ、メリア!そんなことをしたら、ランタン持ちの資格がない君は逮捕されてしまう!いいから家で待つんだ」
「で、でも!アルがこのまま帰って来なかったら……」
「もし帰って来なかったら、明日警察に行こう。明日夜が明けたらすぐに君の家に行くよ。だからその時は一緒に警察に行こう」
「それなら今から行っちゃだめなの?」
「夜は警察も探してくれないよ。とにかく、心配なのはわかるけど家で待つんだ。いいね?」
「……」
ルイドは心配して、そう言ってくれてるのはわかってる。でも、胸のざわつきが収まらない。納得はできても、心が追い付かなくて、きゅっと眉間に力が入った。
「メリア、アルが帰ったとき、君が家にいないとアルも心配するよ?」
「…うん、そうだね。わかった」
「約束だよ?」
ルイドと別れ家に戻る。大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせるが、じっとしていられず部屋をウロウロ歩き回る。そうこうしているうちに、完全に日が沈みそうになっていた。
いつもだったら、とっくにアルと夕飯を終えてベッドに入っている時間。でも、どうしてもアルを待っていたくて、そっとロウソクに火を灯す。窓を閉じると、部屋がラベンダーの香りに包まれていった。
大丈夫、大丈夫、帰ってくる。アルは帰ってくる。
ロウソクの火の揺らめきを見ながら、そっと手を組んでお祈りをする。それでも、その日、家のドアが開くことはなかった。
※※※
夜の静けさが終わり、また朝が来た。…警察に行こう。ルイドが来るのを待っていられない。
念のため、肩から鞄をかけてドアを開ける。すると、階段を駆け上がる音が聞こえてきた。アルが帰ってきたのかと、ハっとして階段に目を向ける。
「メリア!」
「、ルイド……」
現れたのは、息を切らせたルイドだった。夜明けと共に、いや夜が明け始めてすぐにこちらに向かってきてくれたのだろう。額に汗をかき、肩を揺らしている。
帰って来ないアルへの不安とルイドの優しさから感情がぐちゃぐちゃになって、涙が溢れてきた。
「メリア……帰ってないんだね?」
「うん…。一晩待ったけど、アル、帰ってこない」
ルイドの言葉にこくりと頷くと、ぽろっと涙がこぼれた。ボロボロと続く涙を袖口で拭う。
「不安だったよね……。今から警察に行こう」
「うん」
ルイドに促されてドアから足を踏み出したとき、足元からくしゃっと音がした。足を上げてみると、そこには白い封筒。
…ずっと起きていたのに、いつ届いたんだろう?
そう思い、踏んづけてしまった封筒を拾い上げる。宛名はメリア宛て。裏を見ると、そこにはアルの名前があった。
「え、アルから…?」
「…開けてみよう」
「うん!」
封筒を開けて中身を確認すると紙が1枚入っていた。
「しばらく家を空けるけど……心配しないでって書いてあるかな?少しスペル間違ってるけど、そう書いてあるね。
とりあえずアルは無事ってこと…なのかな。これ、アルの字なんだよね?」
「……」
「どうしたの?メリア何か気になることがある?」
そう、アルの字で書かれていることは間違いない。しかし問題は、冒頭のCher Madameだ。
「探せって言ってる。アル、何かを私に探してほしいんだ」
「えっどういうこと?探せなんてどこにも書いてないよ?」
不思議そうにしているルイドに、私は冒頭の文字を指さした。
「ここ見て。Cher Madame って書いてあるでしょ?」
「うん。普通女性には使わない表現だけど、アルが間違えたんじゃない?」
「ううん、これね、私たちの間でよくアルが使う言葉なんだよ。女性に使うChèreの代わりに男性に使うCher を使う時はね、アルが私に探し物を頼むとき。Chercher-探せ-を文字ってるんだよ」
「じゃあ、アルはメリアに何かを探させたいのか!」
「うん、それは間違いないと思う。でも、何を探せばいいのかわからない」
手紙を細かく読んでもさっぱりわからない。でも間違いない。アルは何か事件に巻き込まれている。
「…うーん。ひとまず言えることは、たぶんこの手紙は、アルが書かされたものなんだと思う」
「ええっなんで?」
ルイドがいうには、そもそもこの手紙が昨日の今日で届くのがおかしいのだという。たしかに、アルが一度帰ってきたなら普通に家に入ってきただろう。
それに、私は一晩中起きてたけど、手紙の配達とか人が来た様子とかは感じなかった。そうなると、この手紙を届けた人は、気配を殺して私に悟られないよう、慎重に行動していたはずだ。
アルから手紙を届けるように頼まれたのなら、そんな風に私にバレないよう行動する理由はない。そうなると、私に接触されたくない、鉢合わせしたくない人がアルの手紙を届けたことになる。
私と接触したくないのにわざわざ私にアルの手紙を届けたってことは、アルの不在を怪しまれないよう誤魔化したいとしか思えない。そうすると、この手紙の内容は、その人が指示したものとしか考えられないのだという。
「……」
なんだか、ぞわっとして両手で腕をさすった。
「すごいね、ルイド。アルみたい」
「うん、褒められてうれしいんだけど、アルのChercher-探せ-がわからないからなぁ……」
苦笑いしたルイドは、うんうんと唸りながら手紙を読む。私も一緒に手紙を見てみたけど、よくわからない。犯人?に内容を指定されていたとしたら、アルは探す内容を直接書けなかったんだと思う。じゃあ、どうやって探す内容を私に伝えようとしてるんだろう。
「…メリア、アルっていつもこんなにスペルミスする?」
「ううん、しないよ。アルがスペルを間違えたことない」
「何か事件に巻き込まれて書かされたものなら緊張のあまりってことも考えられるけど……もしかしたら、これ、アルからの暗号の可能性はないかな?」
ルイドの言葉に、ピンっとくるものがあった。過去の思い出が、頭の中に広がる。
ああ、そうだ。昔、まだお父さんも生きていたころ。暗号とか難しいことが大好きだったお父さんとアルで私に紙を書いて見せてきたことがあった。その紙をまだ残していたはずだ。
急いで家に入り、その紙をしまっておいた棚の引き出しから、箱を取り出した。
「ルイド、これ!これと同じ暗号かも!」
「これは?」
「昔、お父さんとアルが作った暗号で書かれた手紙」
お父さんと作ったんだと嬉しそうに見せてきて、解いてみろと差し出してきたその紙。私が頭を悩ませても解けなくて、アルが得意気に笑った思い出のものだ。
その紙には、今日もらった手紙と同じように、いくつかスペルが間違って書かれている。
「たしか、暗号はちょっとしたひねりを入れるんだって。言われてみれば簡単なことなのに、言われるまで中々気がつけないのが大事だって」
あのとき、暗号が解けず悔しがる私を見て、アルは自慢げに種明かしをした。お父さんはそんなアルを見て、優しく笑ってたけど。お父さんもお母さんもいたころの、大切な思い出。
あのときの、アルの言葉を必死に思い出す。
間違ったスペルを2つ戻るんだ。1つだと簡単だし、3つだと、お前の頭じゃ解けないだろ?
そうだ、2つ戻ればいいんだ。あのときのイラッとした気持ちを思い出してしまったのを、いったん置いておく。引き出しからペンを取り出して、紙に書き出した。
本来正しい文章はこれ。
quitter la maison pendant un moment
ne t'inquiète pas.
アルの手紙はこれ。
qnitter la maigon qendant un moment
ne t'inpuiète pas.
間違って書かれたスペルを2つ戻っていくと……。
n→l
g→e
q→o
p→n
leon
「レオンだ!レオンを探せって言ってる!」
「レオンって?」
「アルの友達!テレンヌ子爵家で下男をしてるからテレンヌ子爵家に行けば会えるはず!すぐに会いに行こう!」
「いや、待ってメリア!探せってアルが言ってるってことは、レオンがアルの失踪に何か関わってるってことなんじゃない?」
思いもよらぬ言葉に、ひゅっと息をのんだ。
「えっレオンが?まさか!だって、アルと友達なんだよ?
アルの居場所をレオンが知ってるから、教えてもらえってことじゃない?」
「それなら、レオンがアルの居場所を知っていることがおかしいんじゃない?
アル自身が場所をわかっていたら、暗号で伝えるはず。それをしないでレオンを探せっていうのは、レオンに連れ去られたから、今の場所がわかっていないって可能性もあるんじゃないかな?」
そんなまさか……でも、もしルイドの言う通りだったとしたらレオンに直接問い詰めるとアルの身が危険かもしれない。
「じゃあどうすればいいの?」
「ひとまず、全文の暗号を探し出そう。綴り間違いのワードを言っていくから、メモしてくれる?」
「うん」
そうして、アルからの手紙に隠された言葉を見つけていったら、「レオン」「子爵家」「結婚」「森」の言葉が浮かび上がった。…どういうことなんだろう。
「…さすがに、この言葉だけじゃ僕らじゃわからないね。
とりあえず、警察に行こう。この手紙を見せて暗号の説明をすれば、警察が助けてくれるかもしれない」
「わかった!」
こうして私達はアルからの手紙を持って急いで警察に向かったのだが。
「警察のばかやろう!なにが子どもの遊びには付き合ってられない、だ!いつもアルは警察に協力してるのに!」
「ごめんメリア、信じてもらえると思った僕が甘かったよ……」
肩を落とすルイドに、首を横にふる。むしろ、ここまで付き合ってくれて感謝しかない。
でも、警察が動いてくれないなら自分でやるしかない。よし、と気合をいれた。
「ルイドは悪くないよ!私、テレンヌ子爵家を見張って、レオンを尾行する。
ルイドはお仕事あるでしょ?ここまで付き合ってくれて、ありがとう!」
また今度お礼をしようと思いながら、そう言って、ルイドを送り出そうとしたら、ルイドは首を横に振って「今日は仕事休んだから付き合う」と言ってくれた。
「え、昨日の今日で休めるものなの?」
「大丈夫!だから一緒にレオンを尾行しよう」
「でも、ここまで付き合わせちゃ悪いよ」
「僕だってアルが心配なんだよ。協力させて」
そう言って私を見るルイドに、またお礼を言う。こうして私達はレオンのいるテレンヌ子爵家に向かった。