子爵家の異変③ -優しい男-
メリアに見送られて家を出た俺は、気分転換に街を歩くことにした。歩きながら考えることで考えがまとまることもある。
テレンヌ子爵家で何かが起きている気がするが、具体的に何が起きているのかまではわからない。
サムさん、テレンヌ子爵夫人の次は門番のベンさん。昨日少し覗き見ただけでも、さらに数人の使用人が変わっている。短期間であまりにも変わりすぎているのだ。それに、レオンの様子がやはり気にかかる。いつもの穏やかな雰囲気がなかった。ベンさんにレオンのことを聞きたかったのに、聞くことができなかったのが悔やまれる。
レオンはとにかくお人好しだ。目の前で困っている人がいると放って置けない。転んでいる人がいれば手を貸すし、お金が足りなくてパンが買えないと困っている人に自分のお金をあげてしまうこともあった。正直に言うと、俺には理解できない善人だったし、気が合うようには思えなかった。
いつだったか、レオンに聞いてみた事がある。なぜそんなに他人に優しくするんだ、自分が損をする事だってあるだろ?って。そしたらレオンは少しの迷いもないといった顔で、困った人を助けるのは当たり前の事だよって答えてから、また人助けをしていた。そんなあいつのことを見て、俺は素直にすげーやつだと思ったのだ。
そんなお人好しが、ロワン子爵やテレンヌ子爵をあんな目で見つめていた理由が知りたい。もしかして、突然人が入れ替わっていっていることに繋がりがあるんじゃないか。
たとえば、そう。テレンヌ子爵が屋敷内で横暴な振る舞いをしていて、使用人が次々と辞めて行っているとか。ロワン子爵がテレンヌ子爵を洗脳して屋敷内で暴れてるとか。そんな2人の様子を、レオンが見ていて複雑な心境になっているとか。
…ありえないか。
そんなことを考えながら歩いていると、誰かに肩を叩かれた。振り向くと、そこにいたのは先ほどまで俺の頭を悩ませていた友人。いつものように、朗らかな微笑みで俺を見ていた。
「やあアル!昨日も一昨日も会ったけど、こうやって話すのは久しぶりだね!」
「ああレオン、久しぶり」
昨日までとは打って変わって、いつも通りのレオン。むしろ、昨日までのあの様子なんて微塵も感じさせない笑顔に、俺の悩みは杞憂だったのかもしれない、と少し思った。
「アルは今日も仕事?」
「いや俺は今日休み。レオンは?」
「僕も休みなんだ!メリアは家?」
「ああ」
ちょうどいい機会かもしれない。やっぱり気になるし、俺はいつも通りを心がけて、探ってみることにした。
「あ、そうだ。サムさんの復帰っていつごろになるんだ?熱で休んでるって聞いてるけどさ、話を聞いてたベンさんも足の怪我で休みになっちゃったから、聞ける人がいないんだよ。
代打の門番は無愛想でぜんぜん話してくれないし。昨日なんて、何度か同じ質問して、ようやくベンさんが怪我して休みだって教えてくれたんだ」
「うーん。サムさんの復帰については、僕は聞いてないな…サムさんに用事でもあったの?」
「メリアにサムさんのところに子どもが産まれたって言ったら、お祝いを渡したいって言っててさ。
でも、俺、サムさんの家知らないし。働いてるときに渡すか、家の場所聞いて渡しに行こうかと思ってたんだよ。そしたら急に休みだろ?まあ、熱ならしょうがないけどさ」
「そうなんだ。じゃあ、サムさんが復帰したら、アルからの伝言として伝えておくよ」
ふんふん、とうなずいているレオンには、特に変なところはない。サムさんが病気で休んでいるのは事実らしい。俺が考えていたような、暴力沙汰で休まざるを得なかった、というようなことではないようだ。
「そういえば、ベンさんが足の怪我をするなんて、珍しいよな。子爵家に押し入り強盗でも来たのか?」
「うーうん。転んだって聞いてるけど」
「あのベンさんが?…ベンさんも人の子だったんだな」
「ちょっと、ベンさんに失礼だよ、アル」
「すまん」
笑って謝ると、レオンもふふっと笑った。ベンさんは逞しい筋肉の持ち主で、風邪なんて一度も引いたことがない!筋肉がすべてを解決してるんだ!と豪語してた。そんなベンさんがまさか、転んだぐらいで怪我をするなんて思えない。ベンさんなら、転ぶ前に素早く身体の体勢を整えるだろうし、何なら受け身を取りそうだ。
「うーん、そういえばテレンヌ子爵家、最近人の入れ替わりが多くないか?サムさんとベンさんだけじゃなく、使用人も数人変わってるよな?何かあったのか?」
レオンの目を見ながら尋ねると、レオンは微かに目を泳がせてから答えた。
「うーん……僕からは言えないよ。子爵家のことはあんまり外に漏らさないように言われているからね」
「そうか、悪かったな」
ここは深く聞かない方が良さそうだ。話題を変えることにする。
「そういえば付き添いの道中に両子爵から嬉しそうに聞かされたんだけど、テレンヌ子爵家のご令嬢とロワン子爵家のご令息がご結婚なさるんだってな。めでたいな」
そう、最近両家で行き来が増えたのには婚姻という事情があったのだ。自分の仕える家のご令嬢のご結婚だ。さぞかし嬉しいだろうと思いながらレオンを見ると、いつもの笑顔がなくなっていた。
「めでたいこと……うん、そうだね」
「、レオン?」
どうしたんだ。こんなレオンは出会ってから初めて見た。この様子はまるで、そう。
「あ、そうだ。アルに頼みがあるんだ」
恋。男女のあれそれで、恋人同士の男女とか片思いの相手を見つめている人とか、そんな人が目に浮かべている色だった。
ああ、そうか。レオンはテレンヌ子爵令嬢に恋をしていたのか。
友人の恋なら応援したいが、道ならぬ恋だ。これは下手に応援できないし、応援してしまったら、俺も罰せられるかもしれない。気づかなかったふりをして、このままスルーした方がよさそうだ。
「なんだ?」
「買い出しを届けるのを手伝ってほしい」
「買い出し?どこに?」
「森の中に住んでるおじいさんのところ。買い出しを頼まれてるんだよ」
「森?もしかして前レオンが助けてた、あの?」
都市を少し進んだところには、子どもの頃から大人に立ち寄るなと言い含められている森がある。あの森に入り込むと化け物に連れ去られるからと誰も怖がって近寄らない。
だが以前、その森の小屋に住んでいるという人嫌いの変わり者のおじいさんを助けたという話をレオンから聞いたことがあった。
「うん、あれ以来時々僕が買い出しをして届けているんだ。今日は果物と一緒にワインも頼まれてるんだ。
1人だとちょっと運ぶの大変だから手伝ってくれると嬉しいんだけどどうかな?」
レオンらしいな。まあ、テレンヌ子爵家の異変を調べるのは、手伝った後からでも出来る。
「わかった」
「ありがとう!」
レオンと共に果物とワインを購入すると、森へ向かって歩いて行った。レオンがワイン、俺が果物の袋を持って森を進む。
初めて入る化け物が出るという噂の森は、そう言われてもおかしくないほど薄暗く不気味な雰囲気だった。しばらく行くと視界が開けて、小屋が見えてくる。ここだけは少し陽が入っているから、おじいさんはここに小屋を建てたのかもしれない。
「アル助かったよ、ありがとう」
「どういたしまして」
「じゃあ中に入ろう。おじいちゃーん!持ってきたよー」
レオンが声を掛けながらドアをノックした。しかし返事がない。
「あれ?おかしいな?どうしたんだろう?おじいちゃん!入るよ!」
ドアを開けて先に入っていったレオンが声を上げた。
「おじいちゃん!大丈夫!?」
慌てた様子のレオンの声に、俺も急いで中に入る。
「レオン、どうした?」
レオンの後ろから小屋の中を覗くと、そこには誰もいなかった。どういうことだとレオンを見上げようとしたら、ゴッ!と突如頭に強い衝撃が走る。ぐらりと身体が傾くのを感じながら、意識が薄れていった。
※※※
頭が痛い。ズキズキする頭の痛みに眉を顰めながら、うっすらと目を開く。辺りは暗く、様子を窺い知ることができなかった。
どうやら横に寝かされているらしい。身体を起こそうとすると手が縄で縛られていることに気がついた。
「アル、起きたみたいだね」
「…レオン」
間違いであってほしかった。この状況を作り出したのがレオンであって欲しくなかった。
「どうしてこんなことを?」
なんとか上体を起こしながらレオンに尋ねる。
「それにはまだ答えられないな。とりあえず起きて早々悪いんだけど、これを書いて欲しいんだ」
月明かりに照らされた室内でレオンが見せてきたのは一枚の紙だった。
「何を書けっていうんだ?」
「メリアにね、心配しないで、ちょっと家を空けてるだけですぐ帰るから、みたいな内容のね、手紙を書いてほしいんだ。
アルが帰らないことを心配したメリアに、警察にでも駆け込まれたらちょっと困るんだよね」
そう言いながら俺を立たせたレオンは、そのままロウソクが置いてあるテーブルまで俺を連れて行き、席に座らせペンを持たせた。
「変なこと書かないでね。僕も字は読めるから」
「手紙を書かなかったら?」
俺の言葉にちょっと驚いた顔をしたレオンは、ちょっと考えるそぶりをしてから答えた。
「もし手紙を書かなかったら、メリアにもここに来てもらわないといけないね。
アルが倒れた!って言えば、メリアならすぐ着いて来てくれるんじゃないかな?」
誰だこいつは?本当に俺の知ってるレオンなのか…?
レオンのこれまでの様子から考えるに、一番レオンの様子でおかしかったのは、お嬢様への婚姻への反応だ。片思いしているお嬢様が結婚することに動揺し悲しんでいるだけだと思ったが、恋は人を狂わせるという。
恋が、レオンをここまで変えてしまったのか。
「そうそう、そうこなくっちゃ」
嬉しそうに笑うレオンを尻目に、メリアに宛てた手紙を書く。
おそらく、レオンの変貌と、屋敷の使用人の入れ替わりはリンクしているはずだ。別々のおかしなことが、1か所で同時に起こるとは考えにくい。この2つの出来事は、つながっているはずなんだ。
そんなことを思いながら俺が書きあげた手紙を持ち上げ、レオンは下まで目を通すと封筒にしまい、ズボンのポケットに入れた。…どうやら気付かれなかったようだ。あとはこれを見たメリアが、仕掛けに気付いてくれることを祈るだけだ。
メリアのことを思いながら、俺は目を閉じた。