夢見る女の子①
悪魔祓いを目撃した日から何日か経ったある日のこと。
夜の付き添いに出かけるアルを見送った直後、手紙を加えたノアがアルと入れ替わるようにして現れた。
「ノア、手紙を届けてくれてありがとう!とっておきのチーズがあるよ!」
そう言いながらチーズを切ってお皿に乗せてそっと差し出す。
嬉しそうに喉を鳴らしてチーズを食べ出したノアの可愛らしい様子をしばらく見守っていたが、手紙を思い出しロウソクの灯りのもとで開封する。
差出人はルイド。
手紙の内容は最近ルイドの家で預かっているルイドの従妹アビーのことだった。
両親の仕事の関係でルイドの家に滞在中のアビーの様子が何やらおかしいという。
アビーは10歳の女の子。
周りが手を焼くほどのお転婆で大のおしゃべり好きだというが、2〜3日前から急に大人しくなり全くしゃべらなくなってしまったのだという。
アビーがルイドの家に預けられるのは決して初めてではないそうだ。いつもなら何かある度に「ルイド兄!」と言って勢いよく抱きついてくる彼女が、物陰から様子を伺うようにしてルイドに全く近づいても来ない。
医者に診てもらっても特に病気らしい病気をしている様子もなく、ルイドの両親やルイドが話しかけても首を横に振るばかりで食事もまともに取らないそうで、困り果てているという。
『……もしかしたらメリアだったらアビーと上手く話せるんじゃないかと思ってね。メリアは人から話を聞き出すのが上手だから。できれば明日すぐにでも僕の家に来て欲しいんだけど、お願いできるかな?』
ルイドからの手紙を読み終わると、すぐに返事を書く。もちろんルイドからのお願いを承諾するという返事だ。
チーズを食べ終えたノアは私の膝の上で丸まり、手紙を書き終えるのを待ってくれているようだった。
「できたわ!ノア、お願いできる?」
「ニャア」
ノアは手紙を口に咥えると私の膝からトンっとジャンプして降り、ドアへと向かっていく。
ドアを開けるとするりと出ていくノアに声をかける。
「ノア、いつもありがとう!夜道に気をつけてね」
※※※
翌朝。
迎えに来てくれたルイドと共に、アルを起こさないように静かに家を出た。
もちろん、机にはアルにメモを残してある。
『ルイドのお手伝いをしてきます。すぐ戻るからね メリア』
「急なお願いだったのに聞いてくれてありがとう」
「ううん!ルイドにはいつも助けてもらってるからね!それにアビーちゃん、あまりご飯食べてないんでしょ?心配だもん」
全く食べていないというわけではないらしいが、大好物だというパルマンティエを用意しても、少ししか口にしないというのだから心配だ。
「ありがとう、メリア。あの食いしん坊が人が変わったようになって……ところでメリア、それは何?」
ルイドはそう言いながら私の持っているカゴを指差した。
「これ?ふふ、秘密兵器だよ」
それからしばらく歩いたところで、ルイドが足を止めた。
ルイドの後ろには大きな建物がそびえ立っている。
「着いたよ」
「着いた?ん?あっ向かい側の建物か!」
「違う違う、ここだよ。僕の家」
そう言ってルイドが指差した建物には、パリで一二を争う大商会『シモン商会』という看板が掲げられていた。
「え?え?」
動揺しながら看板とルイドを交互に何度も見る。
「ルイド、そういえばルイドのフルネームって?」
「ルイド・シモンだよ。言ってなかったっけ?」
「聞いてない!!」
シモン商会には跡取り息子が1人いると聞いたことがあるが、まさかルイドがそうだったとは思いもしなかった。
「あれ?言ったと思ってたよ」
「聞いてない聞いてない」
予想外のルイドの家に少し気が引けてしまったが、ここまで来たら腹を括るしかない。
大丈夫、なんといったって私は貴族の屋敷に忍び込んだこともあるんだから。ここで怖気付いたらダメよ、メリア!アビーちゃんと、アビーちゃんを心配するルイド達家族のためでもあるんだから!
自分にそう言い聞かせ、心を落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸をすると、ルイドの後に続いてシモン商会の建物へと足を踏み入れた。
商会の中はシーンと静寂に包まれている。
「今日は休みなんだ。こっちだよ」
ルイドの後に続き階段を登り廊下を進んで行くと、一つの大きな扉に誰かが立っているのが見えた。
シルエットから女性だとわかるその人は、足音でこちらに気がついたのか勢いよくこちらに顔を向けると大きな声を上げた。
「ルイド、お帰りなさい!待っていたわ!この子が例のメリアちゃんね」
そう言いながら小走りにこちらに近づいてきたのは、ルイドと同じ緑の瞳を持つキリッとした美女だった。
「母上、ただいま戻りました。はい、彼女がメリアです」
母上……この美女がルイドのお母さんなのか。
バーベナ姉さんとはまた系統の違う年齢不詳の美女だなあ。
思わずボーッと見惚れていたが、ふと我に返り挨拶をする。
「初めまして、メリアです!今日は微力ながらお役に立てるように頑張ります!!」
ガバッと頭を下げたが、すぐにガシッと肩を掴まれて戻された。
「メリアちゃん!来てくれてありがとう!!私達じゃどうにもならなくて……メリアちゃんは話を聞き出す名人だって聞いているわ!!どうかアビーちゃんをお願いね!!」
「はい、お任せください!!」
ルイドのお母さまとコクンと頷き合う。
「母上、父上は?」
「昨日徹夜で作業していたからまだ寝てるわ」
「そうですか……アビーは?」
「もう起きてるわ。でも例の感じよ。メリアちゃん、早速だけどアビーちゃんの元にお願い」
ルイドのお母さまはそう言うと私の肩から手を下ろし、扉に目を向けた。
「わかりました!あの、アビーちゃんに何か食べ物のアレルギーはありますか?」
「いいえ、ないわ」
「よかった!では行ってきます!!」
私は手元のカゴをしっかりと握りしめ扉の目の前に歩み寄る。
ルイドを振り返ると、ルイドは頷き扉を叩いた。
「アビー、僕の友達を紹介したいんだ。中に入っていい?」
「……どうぞ」
中から可愛らしい声が聞こえた。お転婆で元気溌剌というよりは今にも消え入りそうな声だ。
ルイドの後に続いて部屋に入ると、私よりも小さな女の子が凛と背筋を伸ばして椅子に腰掛けていた。
「おはよう、アビー。この子はメリアだよ」
アビーちゃんの虚な瞳と目が合う。
「アビーちゃん、初めまして!私はメリア!ルイドの友達よ。今日はアビーちゃんと仲良くなりたくて良いものを持ってきたんだ。ジャーン!!これ、なんだと思う?」
そう言ってカゴから可愛く梱包された小さな箱を取り出すと、アビーちゃんの目の前のテーブルに置く。
ルイドは、アビーちゃんが興味深そうに先程虚だった瞳を丸くして解かれていくリボンを見ている様子を見て、「何かあったら呼んでね」と言うと部屋を静かに出て行った。
つい先日、貴族からの依頼を受けたお礼としてアルと味わったお菓子をアビーちゃんにあげて心をキャッチする、その名も『見たことがないお菓子で女の子の心をキャッチしちゃうぞ作戦』。
一部の貴族の間で流行しているというこのお菓子の名前は。
「プラリーヌ!!」
「そう!!プラリーヌ!!って、え?!知ってるの?!」
「はい!まだ一度しか食べたことはありませんが、あまりにも美味しくてお父様にまた食べたいとお願いしていたのですが、入手が難しいと言われて諦めていました。私が食べてもいいのですか?」
「もちろん!どうぞ!」
アビーちゃんは目をキラキラさせて箱からプラリーヌを一粒摘むと口に入れた。
カリッ、カリッと良い音が聞こえる。
「美味しい。前回はお兄様と取り合いになってしまってゆっくりと味わう時間もなかったから嬉しいです」
お兄様?ルイドの話だとアビーちゃんは一人っ子だと言うことだった。
「お兄様ってルイドのこと?」
「いいえ、アイザックお兄様です」
「アイザックお兄様?」
「はい」
一体誰の話をしているのだろう。
ルイドの他に従兄弟はいないと聞いていたが、知り合いのお兄さんのことなのだろうか?
私が困惑している間にも、アビーちゃんは嬉しそうにプラリーヌを口に入れていく。
「何て最悪な夢なのかしらと思っていたけれど、プラリーヌが食べられるなんて」
「夢?」
「はい。メリアさん、この夢はいつ覚めるんでしょう?夢なのにお腹は空くし、食べ物の味がするなんて不思議……」
「……アビーちゃん、どうして夢だと思うの?」
私がそう尋ねるとアビーちゃんはプラリーヌに伸ばしかけた手を止めてこちらを見た。
「皆さんが私のことをアビーと呼びますが、私の名前はアビーではありません」
「アビーじゃない?」
「はい。私の名前はサーシャです」




