二兎追うもの① -視線-
いつも通りの日常。買い出しに行って、ラベンダーの精油を作って。アルのためにロウソクを作って丁寧に箱に保管。そして夜ご飯を食べてから就寝。そんないつも通りのはずの日常。
それが、最近では「いつも通り」ではなくなっていた。
「……ふぅ」
ゾワワっと妙な悪寒を覚えて、小さく深呼吸をする。籠を持つ手に、少し力が入った。
まただ。
またどこかから誰かに見られている気がする。
最近はいつもこうだ。
前から、横から、後ろから、頭上から、いつも誰かの視線を感じる。頭上からというのはおかしいと自分でも思う。
だが本当に、至る所から誰かが私をジッと観察しているような、正体不明の気味が悪い視線を感じているのだ。
最初は気のせいだと思っていたけど、気味の悪い視線を2日連続で感じたところで、何だか怖くなってアルに相談してみたところ。
「自意識過剰だろ。鏡見ろ」
そう鼻で笑われた。
自分で言うのも何だが、私は結構可愛い方だと思う。変質者に狙われているのかもしれない。そう思って、意を決して相談したのに!
あの野郎!!ほとんど一緒の顔のくせに!女顔!
そんなことを思い出していたけど、ずっと背中に感じる悪寒が止まらない。小さく息を吸い込んで、バッ、と勢いよく後ろを振り返る。
……やっぱり、私を付ける怪しい人影など見当たらない。
それどころか「急に振り返ってあの子どうしたの?」という周囲からの痛々しい視線をビシビシ肌に感じ、なんだかいたたまれない気持ちになる。
確かに誰かに見られているというのに、その正体も目的もわからない。
ぴゅうっ
「ひっ」
そんな日々がかれこれ5日続き、神経質になっている私は肌に当たる風にも驚く始末である。
これはだめだ。
もう一度アルに相談しよう。
鳥肌が立ってしまった腕を摩り、急いで用事を済ませた私は、常に付き纏う謎の視線に警戒しながら家へと急いだ。
※※※
私が家に帰り着くと、いつもより少し早くアルが起きてきていた。
早速アルに、今日も感じた視線について腕の鳥肌を見せながら必死に訴える。最初は興味なさそうに私を見ていたけど、私の表情を見てため息をついたアルが、渋々、私を護衛してくれると言ってくれた。
「……わかった。じゃあ明日俺がメリアから少し距離をとって後ろからついてくよ」
私の少し後方からアルがついてきて、私を狙う謎の視線の正体についてアルが探ってくれるらしい。うまくいけば、私・不審者・アルの順で動くことになるので、何かわかるかもしれない、とのこと。
明日は1週間ぶりのアルの休日。
せっかくの休日だというのに申し訳ない。
「ごめんね、ありがとう、アル」
「まあ、本当に不審者がいたら、ローラス警官につき出そう」
あくびを零したアルは、「お前の勘違いだったら、次の甘味は俺が8割な」とニヤっと笑う。
私があまりにも不安がっているので、アルはわざとそんな風に茶化して言ってくれているのだろう。それはわかっているけど、私は「せめて6割にして」と返す。
「よし、契約成立だな」
「……やっぱり、5.5割に」
「6割で確定」
「……はーい」
致し方なく了承すると、アルは満足げに頷いた。
なんとか、明日解決できますように。
※※※
そして翌日。
暑さがすっかり和らぎ、風が心地よく吹いている。そんな出掛けるには最高の一日に、私はどんよりとした気持ちで買い物に出掛ける。
チラッと後ろを振り返るが、まだアルの姿はない。しばらくしてからアルが追いかけてくる手筈になっているからだ。
「はあ……」
本来なら久しぶりにアルと一緒に出掛けられる日だというのに。なんで、不審者探しのおとり調査?なんてしないといけないのか。まあ、頼んだのは私なんだけど、不審者が現れなければ、こんなことをお願いしなくてもよかったのに。
肩を落としながら歩き出すと、ゾクっとする視線を感じ、思わず身震いする。
……きた。
あの視線だ。
後ろから視線を感じるが、気が付かないふりをしながら歩みを進める。すると、しばらく進んだところでアルが話しかけてきた。
〈メリア!そこから10メートルくらい進んだ先の右の路地裏に入れ!〉
〈わかった!〉
アルの指示に従い、心臓をバクバクさせながらも平静を装って薄暗い路地裏へと入って行く。
後ろからアルではない者がついてきている。
その気配に全身の鳥肌が立つ。
もし今、後ろから襲われたらどうしよう、と不安を感じた次の瞬間、ドサッ!!という音と「うわあ!!!」という男の声が聞こえて、条件反射のように振り返った。
すると、「は、はなせ!!」と必死に抵抗している知らない男と、その男を地面に押さえつけているアルが目に入り、恐怖を忘れてアルの元に駆け寄る。
「ア、アル。この人が私をつけてたの?」
アルは男を押さえつけたまま、私の言葉に大きく頷いた。
「ああ、お前は誰だ?なんでメリアを付け狙っていたんだ?答えろ」
「つ、付け狙ってなんかいません!!私めはただ、ご主人様の命令で……」
ご主人様の命令?
「ご主人様は誰だ?なぜメリアを?」
「ヒッ、ヒィ……、い、言えません!」
言えないような相手……まさか貴族とか?
「そうか、わかった。なら知り合いの警官に突き出してやる」
「え!知り合いの警官!?それは勘弁して下さい!!私めは、ただご主人様のご命令通りにしただけなんです!!」
そう言ってオイオイ泣き出す私達より歳上に見える男。なんというか、黒い服に黒い髪の毛で、この路地裏では特徴をとらえづらい男だ。人目をはばからずに泣いているその様子に、アルと2人で少したじろいでいると、フッと、急に路地裏の陰が濃くなった。
路地裏に差し込む光が、遮られたんだ。
その事実に気が付いて、光が差し込むはずのアルの方へ目を向ける。
気づけば、アルの後ろには、背の高い男が立っていた。
「っ……!」
突然現れた男に声が出ず、息をのむ。男の顔は、逆光になっていてよく見えないけど、口元が笑っているように見えた。
震える身体をなんとか抑えて、男の様子を伺おうとすると。
「ご、ご主人様ー!!申し訳ありません!!ばれちゃいましたー!!」
アルが取り押さえていた男は、そう言ったかと思うと、消えた。
「「え!?」」
思わずアルと2人声を上げる。変態男がいたところからパタパタと、何かが背の高い男に向かって飛んでいく。
背の高い男は「やれやれ」と言った様子で腕を出すと、飛んできた生き物を手の甲に止まらせた。
非現実的なその様子にしばらく固まっていると、コツ…コツ…と靴音を鳴らしながら背の高い男がアルに近づいてくる。
「アル!!」
咄嗟にアルの元に駆け寄り、座り込んでいたアルの腕を掴み立ち上がらせる。だけど、男はアルのすぐ後ろまで迫っていた。
「ッ!!」
立ち上がったアルは私の反応を見て勢いよく身体を反転させ、後ろを振り返る。そのまま私を庇うように、男と対峙したアル。アルの後ろに隠れながらも、私はグッと拳に力を込めた。
何かあったら、私がアルを守らなきゃ。私の方が、アルよりも力が強いんだから。
「この馬鹿が、怖がらせてすまないね」
そんなことを言いながら近づいてきた男は、肩まで届く緩やかな黒髪に、血のように赤い瞳の、驚くほど顔が整った美丈夫だった。
何もないときに出くわしていたら、見惚れていたかもしれない。妙に暗がりが似合う色男だ。手の甲から男の肩にパタパタと移動した生き物が、毛繕いをするように身体を動かしている。あれは、なんていう生き物なんだろうか。
まるで現実ではないような、何かの絵を見ているようなその様子を見て、妙に神経が尖る。
私たちがそんな緊張状態のまま、男の動きを伺っていると、彼は肩をすくめた。
「私が後をつけろと言ったのは君の方だったんだけどね、アル君」
男は愉快そうに、その赤い瞳を細めて、笑う。
私は、目の前のアルの服をきゅっとつかんだ。




