不思議な婚約者⑧ -倉庫-
「コホッコホッ……準備は大丈夫か?」
「うん!」
昨日の話し合いで、アンドレ様に成り代わっているものの正体は鏡の怪異なのではないか?という結論に至った。でも、悪魔が完璧に真似をし損ねているだけで、正体はやっぱり悪魔だった、という可能性も捨てきれない。そうなると、屋敷に潜入してもっと情報を得る必要がある。
私がそう力説したら、アルにはあまりにも危険だからと反対されてしまった。
でも、相思相愛にも関わらず謎の怪異に引き裂かれてしまっているルイーズ様とアンドレ様のことを思うと、居ても立っても居られない。
もちろん、怖くないと言えば嘘になる。レオンに取り憑いていた悪魔とのことを思い出すと、今だって怖くて仕方ない。
でも、もしかしたら屋敷に潜入することで事件解決の糸口が見つかるかもしれないのだ。私たちだけで解決するのは荷が重いし、そこまでする必要はもしかしたらないのかもしれないけど、このまま何もしないで笑って過ごすことなんてできない。
昨日反対するアルにそう告げると、屋敷の外でアルが待機することと、危険な状況になったら即刻退避することを約束して、渋々ではあるが潜入を納得してもらうことができた。
「じゃあ、行くか」
「うん!アルは大丈夫?」
今朝になって、アルは少し咳き込んでいる。一昨日雨に濡れたのがいけなかったのか、昨日の話し合いの後、見回りから帰る時から喉に少し違和感があったらしい。
体調不良のアルを外に残していくのは気が引けるけど、人命がかかっている。そう話し合って、すぐに潜入を決行することになった。
「ああ、少し咳き込むくらいだからな。よし、行くぞ」
「うん」
※※※
私たちは身支度を済ませて家を出ると、キース伯爵家に向かった。潜入すると意気込んだものの、まずは中の人と接触できなければ意味がない。それも仲良くなったアンナさんに接触する必要がある。
前回アルと張り込んだ、使用人出入り口が見える路地裏に身を隠しその時を待つが、今日はなかなかアンナさんが出てこない。
もしかしたら今日はもうアンナさんに会えないのではないか?そんなことが頭によぎる程には時間が経った頃だった。ついに、アンナさんが使用人出入り口から出てきたのだ。
私はアルと頷き合い、アルをその場に残して、アンナさんの元へと向かった。
「アンナさん!」
「あらメリアちゃん!この間はありがとうね!助かったわ!」
この間のお手伝いのことを言っているのだろう。
「どういたしまして!アンナさん何か用事ですか?」
「ううん!今は休憩時間なんだけどね、ちょっと外の空気吸いたかったの。ほら屋敷の中も暗〜いし、雰囲気もなんだかどんよりしてて気が滅入るのよ」
そう言ってアンナさんはハァーっと深くため息をついた。
「なるほど……お疲れ様です、アンナさん。あの、お疲れの所申し訳ないんですけど、実は今日はお願いがあって来たんです!」
「お願い?なにかしら?」
私は事前にアルと決めていた『お願い』をする。
私たちが考えた設定はこうだ。
実は私はルイーズ様の使用人。ルイーズ様がもうじき誕生日を迎えるアンドレ様へのサプライズを考えている。子爵家で行おうと考えていたが、最近は伯爵家にお呼ばれしていてアンドレ様が子爵家を訪れることはない。
そこで、今は領地にいる伯爵家の現当主に、伯爵家の使用人の協力を得ながら伯爵家でサプライズを行う許可を取りたいが、話を持ち掛けるにも、そもそも伯爵家でどんなサプライズができるかルイーズ様が頭を悩ませている。
伯爵家でサプライズをするには、屋敷の中の様子や間取りの確認が必要だが、サプライズを伯爵家でやれるのかもまだ決まっていない段階で、伯爵家の使用人に大体的に協力を仰ぐのは……とルイーズ様は躊躇されている。
そんなルイーズ様のお力になるために、伯爵家の中を実際に見て、どんなサプライズができるのかイメージを膨らませたい。
「……というわけで、アンドレ様には内緒でこっそり屋敷の中を見たいんです!私、見たらイメージが湧いてくるタイプなんです!お願いします!!」
……さすがに怪しまれるかな?もし使用人である証拠を見せろなんて言われたら……。
ドキドキしながらアンナさんの反応を待っていると、アンナさんは私の両手をガシッと掴んだ。
「ルイーズ様の使用人だったのね!そういうことなら協力するわ!」
こう言ってはなんだが、こんなに簡単に他人の話を信じて、大丈夫なんだろうか?いつか騙されそうな気がする。そして身分不確かな人物を伯爵家に引き入れてしまうメイドさんを雇っている伯爵家が心配になってきた。
いや、私が潜入した結果、アンドレ様失踪事件が解決すればそれは伯爵家にとってもいいことに違いない。そうなればアンナさんが伯爵家にいてくれてよかったということだ。
アンナさん、あなたのためにも頑張ります。
「じゃあ着いていらっしゃい!使用人の服を貸してあげる」
「はい!」
使用人出入り口に入る直前でアルに話しかける。
〈アル、行ってくるね〉
〈ああ、くれぐれも気をつけて、何かあったら即撤退だ〉
〈わかった〉
どうかアンドレ様の手掛かりを掴み無事に帰って来れますように。
そう祈りながら、私はアンナさんの後に続いて使用人出入り口から伯爵家の敷地へと足を踏み入れた。
※※※
「できたわ!これならメリアちゃんだってわからないはずよ!」
「アンナさんありがとうございます!」
アンナさんに予備のメイド服を貸してもらった私は、アンドレ様の顔見知りでもある設定のため、バレないように変装する必要がある。
アンナさんがノリノリで私の変装を手伝ってくれたおかげで、今の私は三つ編みおさげの眼鏡メイドだ。
「私、そろそろ休憩終わってしまうから屋敷を案内できないんだけど、1人で大丈夫?」
「はい!大丈夫です!」
願ったり叶ったりだ。アンナさんとどうやって分かれて単独で行動するか、いろいろ考えていたので、むしろありがたい。
「じゃあ、見終わったらまたこの部屋に戻ってきて、メイド服をこれに入れておいてくれる?」
そう言うと、アンナさんは使用人部屋に置いてある洗濯籠を指差した。
「わかりました!何から何までありがとうございます!」
「いいのよ。いいサプライズの案が浮かぶといいわね」
使用人部屋のある別棟から中庭を抜けて本館に到着してアンナさんと別れると、彼女から聞いた説明を頼りに、大まかな間取りを書いたメモを開く。
本館の1階にはサロンや貴賓室、客室、配膳室などがあり、2階にアンドレ様の居住空間があるらしい。
まずは1階から調べていくことにする。
なるべく伯爵家の使用人と顔を合わせないように注意しながら1つ1つの部屋を調べ、アンドレ様失踪事件を解決に導く手掛かりを探していくしかない。
配膳室や厨房は人の出入りが多く、今入ることはできない。他の場所から調べよう、とメモに目を落とした。
何を探せばいいのかわからない探し物ほど難しいことはない。とりあえず手当たり次第部屋に入り、怪しげなものや本物のアンドレ様を見つけ出す手掛かりを探すことにした。
最初に入った部屋はサロン。アンナさん曰く、学者や作家など、頭の良い人たちを招いて会話をする部屋らしい。カーテンから透けて差し込む太陽の光のおかげで、何とか部屋を見通すことができた。
椅子の下やテーブルの周り、装飾品や絵画も見るが、特に気になるところはない。
部屋を出る前にドアに耳をつけ、廊下を通る人がいないことを確認してからそっと出る。
次に入るのは貴賓室だ。ここもサロンと同様カーテンが締められているが、まだ部屋の中を確認することができる。いろいろと高価そうなものが置いてあって、壊したらとんでもない金額が請求されそう。間違っても触らないように、近づかないよう注意した。
部屋のあちこちをジロジロと見たけど、ここでも何ら手掛かりらしい手掛かりは見つけられなかった。
やっぱり無謀だったのかもしれない。探し物が何かもわからない状態での潜入なんて……このまま何も見つけられなかったらどうしよう。ハーッと思わずため息をつく。
いやここでそんなことをしている暇があったら少しでも探さないと。
そう思い直し、部屋を出ようとドアに耳をつけた時、話し声が聞こえてきた。あ、誰かがいる。
このまま部屋を出ずに、通り過ぎるのを待った方がよさそう。私は、息をひそめて様子をうかがった。
「……そう、ほら改修中の倉庫の代わりの客室にご自分で。よほど大切なものだったみたいね」
「わざわざご自分でなんて。なんで執務室に置いておかなかったんだろうね?私なら大事なものは手元に……」
倉庫の代わりの客室……ご自分で……執務室。使用人が敬語を使っている様子と聞こえた単語から察するに、恐らく偽アンドレ様のことだ。
偽アンドレ様が倉庫に置いた何か大切なものをわざわざ自分で客室に運んだ……怪しい。めちゃくちゃ怪しいではないか。
使用人の声が完全に聞こえなくなったところでメモを開き、客室の場所を確認する。この部屋の向かい側が客室だ。
念のため、外に人がいないか確認して部屋を出ると、向かいの客室にサッと入った。
なるほど、改修中の倉庫代わりというだけあって、色んなものが雑多に置かれている。
恐らく、大切なものは混じらないよう、少し離れた場所とかに置くはず。そう考えた私は、まとめて置かれている荷物の周囲に目を向けた。そして、恐るおそる、部屋の中へ足を踏み入れる。……雑多に置かれていても、私からすれば、絶対に高級品のはずだ。下手に壊さないように注意しないと……。
人命がかかっている、という緊張感だけでなく、賠償についても頭を悩ませながら、私は捜索を開始した。
テーブル、椅子、ソファの周りに特に気になるものはない。では次は棚を調べようかと壁の辺りに目を向けた時、何か大きなものが壁際にひっそりと置かれているのに気がついた。
近づいていくと、私の背丈よりも大きい物で、布が掛けられている。そっとその布を外すと、現れたのは豪華な装飾が施された鏡だった。
なんで鏡が?鏡は全部捨てたはずじゃなかった?
疑問に思いながらもボーッと自分が映る鏡を見ていると、自分の姿に何かが重なっているように見えた。しかしカーテンのせいで薄暗い部屋の中では目を凝らしてもよくわからない。
そこで私は、カーテンを半分開けてみることにした。音を立てないようにソロソロとカーテンを開けると部屋に光が差し込む。急な明るさに目が眩んだが、しばらくして目を開き、鏡に近づいていくと、そこには驚くべき物が鏡にうつっていた。
鏡に映っていたのは、涙を流しながら鏡を叩くアンドレ様の姿だった。
「え?あ、アンドレ様?えっ?」
もちろん鏡の前にアンドレ様はいない。いるのは私だけ。それなのにアンドレ様がうつっている。一体どういうことなのだろうか?
とりあえず、よくわからないがこの鏡が大きな手掛かりだということだけはわかった。すごく大きいが、何とかこれをアルのいる場所に……。
鏡をどう持っていこうか必死に知恵を絞っていた私は、部屋に誰かが入ってきたことに気が付かなかった。
「そこで何をしている?」
そのことに気がついた時にはもう遅い。
鋭い眼差しでこちらを睨みつける偽アンドレとの対峙に、頭の中は真っ白になってしまった。




