不思議な婚約者⑦後編 -手鏡-
ルイーズ様のお屋敷を出た俺たちは、その後無言のまま家に戻ってきた。メリアを見ると顔は青ざめているし、明らかに疲れ切っている。屋敷での話やこれからの話をしようと思ったが、俺も疲れて頭がうまく働かないし、メリアもこの状態なら今から話し合いをすることはできないだろう。
話し合いは明日にして、とりあえず今日はもう寝ることにする。メリアにそう言うと、何か言いたげな顔をしていたが、渋々といった様子で頷き、寝支度を整えてベッドに入っていった。
アンドレ様は今どんな状況に置かれているんだろうか。
俺たちでアンドレ様を救えるのか?
もっと情報が欲しいが、一体どうすれば……。
そんなことを考えながら、俺は眠りに落ちていった。
※※※
翌朝俺が目を覚ますと横にメリアの姿はなく、部屋にいい香りが漂ってきていた。
ドアを開けると、メリアがご飯を作ってくれている姿が目に入る。窓に目を向けると、昨日の雨が嘘のように綺麗な青空が広がっていた。すると、俺に気がついたメリアがこちらを振り返り、笑顔で話しかけてくる。
「アルおはよう!今ご飯できたところだよ。食べよう!」
「おはようメリア。ありがとう」
2人で席につき、いつものようにパンとスープを食べていく。賑わう街の声に澄んだ青空、メリアの作る具沢山のスープにパン屋のおじさんの硬いパン。いつもの日常だ。いや、ひとつだけ違うところがある。メリアだ。
いつも食事中もなんやかんやと話しかけてくるメリアが、黙々と食事をしている。これから行う話し合いを考えると、そうなるのも当然かもしれない。
いつになく静かな食事を終えた俺たちは、テーブルの上を片付けると改めて席に座った。メリアはごくり、と水を飲んで深く深呼吸をする。そして、キリっと俺に目を向けた。
「……よし!心の準備はできた。アル、昨日何があったのか詳しく教えて」
「ああ」
こうして俺は昨日屋敷で起きたことを、包み隠さずメリアに話した。
黒子が左右逆だったこと、そして鏡に映らなかったナニカのこと。
全て話し終えたころにはメリアの顔は青を通り越して真っ白になっていた。
「そのナニカは悪魔なの?」
「わからない。鏡に映らないのは魂のないナニカだ。それは悪魔なのかもしれないし、違う怪異なのかもしれない」
人間でないのは確かだが、どんな怪異なのかまではわからない。お父さんから色んな怪異について教えてもらってはいたが、すべての怪異を知っているわけではないのだ。
「じゃあどんな怪異かわからないと、アンドレ様の助け方もわからないの?」
メリアが不安気に俺を見つめてくる。そもそも、成り変わりが起きたと思われるときから、もう一ヶ月は経ってる。アンドレ様はもしかしたら、すでに死んでしまっている可能性もある。
「そうだな……」
だが、生きている可能性もあるのだ。生きている可能性のある以上、なんとか手掛かりを掴みアンドレ様を救出する足掛かりにしたいのだが。
「鏡か……あっそういえば」
そう言うとメリアは何かを思い出したように席を立ち、棚をゴソゴソ探し始めた。
「たしかこのあたりに……あった!」
こちらを振り返ったメリアが見せてきたのは手鏡だった。この手鏡は見覚えがある。お母さんがお父さんからもらったと言って、身支度を整えるのに使っていたものだ。美しい細工でなにかの紋様が刻まれている手鏡で、メリアがいつも羨ましがっていたな。
手鏡を手に席に戻ってきたメリアは、なぜか鏡を伏せた状態で深呼吸を繰り返している。
「……なにやってるんだ?」
「深呼吸」
「それはわかってる。何に緊張してるんだよ」
俺の言葉にメリアはえらく真剣な様子で応える。
「鏡に映らなかったら、どうしようと思って」
こいつはほんとにバカだな。街中でも自分の姿がふとしたときに映るって言ってただろうが。まあ面白いから黙って見守るか。
しばらく深呼吸を繰り返していたメリアは、ついに意を決した様子で手鏡を覗き込んだ。するとその表情は不安から驚愕へと変わっていく。
「……!!そんな!!」
「どうした⁈」
まさか映らないのか?メリアの方に駆け寄り俺も手鏡を覗き込む。するとそこにはちゃんとメリアの姿が映っていた。
「驚かせるなよバカ!」
「バカ⁈バカじゃないもん!」
プンプン怒るメリア。いや今のは絶対こいつが悪い。
「何に驚いてたんだよ」
「あっそうだった!ほら見てここ!」
メリアが手鏡に映る自分の右耳を指差した。
「ここ!黒子ある!」
確かにメリアの右耳には黒子がある。こいつ今まで気づいてなかったのか。まあ鏡で自分の顔をマジマジと見る機会なんてそんなにないもんな。
少しメリアに呆れながら手鏡で自分の耳を見ているメリアの様子を眺めていると、メリアと鏡に映るメリアの姿に何かがひっかかった。なんだろう?もう少しで何か掴めそうな気がするのだが。
「アルと完璧に同じだと思ってたのに、まさか左耳に黒子があったなんて」
「左耳じゃなくて右耳だろ」
ショックで右と左もわからなくなったのか?そう思っているとメリアは俺に呆れた様子で言葉をかけてきた。
「アル、左だよ左!ほら鏡に映ってるでしょ!私の左耳の黒子!」
そう言ってメリア手鏡を指差す。
「お前はほんとにバカだな。鏡に向かい合ってるからそう見えるだけなんだよ。鏡の中の自分からすれば左耳の黒子と言ってもいいのかもしれな……」
ルイーズ様の言葉が頭の中にパッと浮かび上がる。
「右手の指先にあった黒子が、左手の指先にあったの……」
「それだ、メリア!」
「えっなにが?」
キョトンとした様子でメリアが俺を見上げてくる。
「鏡だよメリア!ナニカの正体は鏡に関係のある怪異なんじゃないか?」
アンドレ様の指の黒子が左右反転だったのは、鏡に映ったアンドレ様の姿だったからなのではないか?
そう告げるとメリアは神妙な顔で頷き口を開いた。
「アル、私明日屋敷に潜入してみる」
その言葉に、俺は「は?」と一言返すしかできなかった。




