不思議な婚約者⑥ -身代わり-
私はアルに頼まれて、「ランタン持ちのアル」として、ルイーズ様たちを伯爵家へ連れてきた。私とアルを見比べて、ルイーズ様は驚いた表情をしていたけど、道中は双子ならではのエピソードなどを話すことで、楽しそうにされていた。
本物のアンドレ様がどうなっているのか、不安で仕方ないはず。私たちの面白エピソードを聞いて、少しでも気分転換になってくれていると嬉しい。
侍従の姿をしたアルがルイーズ様と屋敷に入っていくのを見送り、皆が戻ってくるのを門の前で立って待つ。アルが言っていた通り、ここの門番はサムさんたちとは違って、話しかけても無視されてしまう。
道中は、私自身、いろいろと話していたことで気が紛れていた。でも、今は何もすることがなく、あれこれ考えていると嫌な想像ばかり浮かんできてしまう。屋敷で何か起きていたらどうしよう。また、アルが捕まってしまっていたら?なぜ見抜いたのか、なんて言われて拷問にかけられていたら……。
時間が経つにつれて不安はどんどん大きくなる。もはや私の脳内ではアルがアンドレ様に磔にされて鞭を打たれていた。あれ?なんだろう、何かに目覚めそうな……。
新たな扉が開きかけたところで、頬にポツッと何かが当たるのを感じた。
「!雨だ……」
ポツポツと降り出した雨は次第にザーザーと強く降り出した。ロウソクはガラス張りのランタンに入っているため、そう簡単に消えることはないが、念のためランタンに覆い被さるようにして雨から守る。
しばらくすると雨は小降りになった。この調子ならそろそろ止んでくれるかもしれない。足元に目をやると、水たまりができている。水たまりに映るロウソクの光も綺麗だ。
雨にしばらく打たれてたおかげで、身体は寒いが頭の中が少しスッキリしたような気がする。水たまりに映るロウソクを眺めながらボーッとそんなことを考えていると、年老いた声が急に聞こえてきた。
「お疲れ様でございます。ハリー子爵令嬢をお屋敷まで、よろしくお願いいたします」
振り返ると、ランタンを持った家令と、その後ろに心なしか青ざめた表情を浮かべるアルと、コートを頭から被ったルイーズ様、そして護衛の2人がいた。よかった、とりあえず無事に戻ってきてくれたようだ。
そういえば、とアンドレ様の姿も探すが、婚約者の見送りだというのにその姿はここにない。
なぜ大切な婚約者の見送りだというのにここにいないんだろう?雨が嫌なのかな?
いや今はそれを考えてる場合じゃなかった。慌てて背筋を伸ばし、家令に返事をする。
「はい、かしこまりました!」
※※※
ハリー子爵家に戻る間、聞きたいことは山ほどあるが、なぜかみんな一様に口を閉ざし、誰ひとりとして言葉を発さなかった。護衛の人たちまで顔が青ざめてるし、屋敷で一体何が起きたんだろうか?
空気を読んで私も黙って歩みを進め、無事ハリー子爵家に到着したところで、アルが沈黙を破った。
「ルイーズ様、できれば暖を取らせていただけないでしょうか?」
「もちろんよ、すぐに拭くものと温かいものを用意させるわ」
「ありがとうございます」
あれよあれよという間に私たちはハリー子爵家に通され、タオルや温かいミルク、なんと着替えまで用意してもらって、暖を取ることができた。
「服まで用意していただいて、ありがとうございます!」
「いいのよ、ずっと雨の中待っててくれてありがとう」
ソファに掛けるように促されて、恐る恐る高そうなソファに腰を掛けると、あまりにもふかふかで後ろに倒れ込んでしまった。
「何やってんだよ」
「ごめんなさい」
アルに助け起こされて、今度は浅く座り直す。よかった、今度は倒れ込まずにすんだ。
ホットミルクを飲んで一息ついたところで切り出したのはルイーズ様だった。
「アル……黒子の件なんだけれど」
「はい、あれは確かなんですよね?右手にあったものが左手にあったっていうのは」
黒子?2人は何の話をしているんだろう?右手?左手?さっぱりわからないが黙って2人の会話を見守る。
「ええ、間違いないわ。ということは、あの方は……」
あの方は?
「はい、あの方はアンドレ様ではありません」
「やっぱり!」
アルの言葉を聞いたルイーズ様は、顔に手を当てて泣き始めてしまった。
無理もない、アンドレ様じゃないってことはつまり、恐れてた成り代わりが起きているということだ。
問題は成り代わりの正体が隠し子なのか、それとも悪魔なのかだが、アルはその正体まで掴めたんだろうか?
「それではあの人は誰なの?本物のアンドレ様はどこへ行ってしまったの……!」
ルイーズ様の悲痛な声に、こちらまで悲しくなってくる。
「アル、昨日言っていたわよね?アンドレ様は何かよからぬものに取り憑かれてる可能性があるって。もしかして取り憑かれたせいで黒子が左右逆になってしまったの?」
えっ取り憑かれて?成り代わりじゃないの?そう疑問を口にしようとした時アルの声が頭に響いた。
〈メリア!成り代わりのことは言うな!〉
〈えっどうして?〉
〈詳しくは後で説明するから〉
〈わかった!〉
「ルイーズ様、もしかしたらあれはアンデルさんなのではないでしょうか?」
「えっあれがアンデル?どういうことかしら?」
アンデルさん……確か昨日アルが言っていた例の隠し子の正体だよね?アンドレ様の従弟の。
成り代わりの正体は隠し子だったの?
「もしかしたら、本物のアンドレ様はご病気か何か事情があって身を隠していて、ルイーズ様や周りの人に心配をかけないようにアンデルさんに身代わりを頼んだのではないでしょうか?」
アルが語った内容はこうだった。
数年前、従弟の存在を知ったアンドレ様は、いつか何かあった時のためにアンデルさんに貴族として必要な知識やマナーを教え込んでいたのではないか?
そして、いよいよその時が1ヶ月前にきた。理由はわからないがアンデルさんに自分の代わりとして生活するように頼み、それを受けてアンデルさんはアンドレ様として今過ごしているのではないか?と。
日中も家から出ないようになったのも、アンドレ様とは別人だということがバレないためではないか?という。
「コーヒーの飲み方が違うのも、味覚の違いではないでしょうか?使用人に厳しくなったのも、必要以上に貴族としての振る舞いを意識しすぎてしまっているのでは?」
「では、カーテンや鏡、黒子については?」
確かに、それらしくしようとして必要以上に厳しく接するのはわかる気がする。でもルイーズ様の言う通り、なんでカーテン閉めたりしてるんだろう?
「秘密を抱えていると閉じこもりたくなるものですからね、神経質になっているのかもしれません。鏡を見ると自分が自分でないようで落ち着かなかったのかもしれませんね」
なるほど!確かに普段平民のワンピースで過ごしている私が、貴族令嬢に成り代わってドレスで生活してたら落ち着かないだろうな。でも、それならむしろ私なら、普段着られないドレス姿の自分を、もっと鏡で見たくなっちゃう気がするけど。
「そういうものなのかしら?では黒子は?」
「つけ黒子師に依頼したものの、右と左を間違えてしまったのではないでしょうか?」
「…じゃあ、あれはアンデルということね!よかったわ、よからぬものに取り憑かれていたらどうしようかと……!」
ルイーズ様はホッとしたようだが、すぐにまた顔を曇らせた。
「でも……アンドレ様が心配だわ。今どうしているのかしら?」
そう、結局アンドレ様は今どこで何をしているんだろう?
「ルイーズ様にも心配をかけたくないのでしょう。信じて、待ってみてはいかがでしょうか?」
「そうね……もう少し待つことにするわ。アル、そしてメリアもありがとう。今、依頼のお礼を用意させるわね」
やったー!これで事件も無事解決だ!何が貰えるのかな?とワクワクしていると、アルがまさかの待ったをかけた。
「お待ちくださいルイーズ様。お礼は無事アンドレ様が戻られてから頂戴したく思います。真にルイーズ様の胸のつかえが取れてから、お渡しいただければ幸いです」
確かに、アンドレ様が戻ってきていない以上、まだまだルイーズ様の不安は解消されてないよね。アルの言葉を聞いたルイーズ様は、嬉しそうに微笑まれた。
「まあ、アル、ありがとう。優しいわね。では、アンドレ様がお戻りになったら渡すわね」
ルイーズ様のためにも、アンドレ様がどうか無事に早く帰ってきてくれますように。
※※※
こうして私達はルイーズ様に見送られてハリー子爵家を出た。雨はすっかり止んで、道に水溜りがいっぱいできている。
アンドレ様がなぜ身代わりを頼んだのか、そこはわからないけど、あと私達ができるのは待つことだけだ。一応の解決をみたので、ホッと一安心した私は屋敷から離れたところでアルに声をかけた。
「でも、よかったね!正体が悪魔じゃなくて!だからあの時私が余計なこと言わないように止めたんでしょ?
おかげでルイーズ様にいらない心配をさせなくてすんだよ」
「……」
「アル?」
なんだろう?なんかアルの顔色が悪いような。
あれ?そういえばキース伯爵家から出てきた時も、ルイーズ様の顔色が悪いのはわかるけど、正体がアンデルさんだってわかっていたはずのアルまで顔色が悪かったのはなんでなんだろう?
何か嫌な予感がする。何か見落としているような……。
「メリア」
いつの間にか横にいたはずのアルの声が後ろから聞こえる。振り返るとアルは私から二歩離れた位置で立ち止まり、何か覚悟を決めたような顔でこちらを見ていた。
「アル?」
「メリア、さっきルイーズ様に言ったことは全て忘れてくれ。
あれはアンドレ様でもアンデルさんでもない」
アルが次に言う言葉を想像して、心臓の鼓動が速まる。
「アンドレ様の失踪は、怪異の仕業だ」
聞きたくなかった言葉が、アルの口から飛び出してしまった。私は呆然とアルを見る。
その表情から、冗談でも何でもなく、真剣なことだとわかってしまった。




