許すための毒でした
あら? そういえば今日でしたっけ。貴方がたがくるのは。
正直今更何をしに、としか思えないのですが……まぁ来てしまったものは仕方がありませんね。
今お茶を用意しますから、座ってお待ちくださいな。
えぇ、はい。
それで、本当に今更すぎますが、お二人は何をしにここへ?
え?
わたくしに謝罪を?
まぁ、まぁまぁまぁ。
とっても今更ですのね。
それ以前に、その謝罪に意味と価値はございますの?
まぁ怖い。
本当に謝罪に来たのですか?
貴方たちのしたことを思えば、これくらいの嫌味はそよ風みたいなものでしょうに。
ふふ、えぇ、わたくしにだって感情はありますもの。いくら殿下がわたくしの事を人形のようだ、なんて仰っていたとしても、ね。
殿下との婚約は王命でした。決してわたくしから望んで無理にその座に収まったわけではないのです。
それに、望まぬといっても王家からのものを、わたくしが簡単に断る事ができるとでも?
えぇ、そうでしょう。ようやくそれを理解していただけましたのね。遅い気付きですこと。
あら、実際手遅れになったじゃありませんの。
わたくしは、殿下との結婚など本音を言わせていただけば冗談ではないと思っておりましたよ。
無能なら無能なりにせめて少しでも向上心を持って王家の人間として少しでもマシになっていただければまだしも、甘言を用いる愚か者どもの擦り寄りに簡単に靡いて、挙句そちらのご令嬢と不貞までする始末。
殿下の良い部分って、ハッキリと申し上げて見た目と王族という肩書だけで、それすらなくなれば何の価値もないのは言うまでもないでしょう?
陛下もそれを見越したからこそ、殿下をそちらのお嬢さんと結婚させたのでしょうから。
ね、名前も知らないお嬢さん、貴方はわたくしに散々虐められたと喧伝していたけれど、わたくし貴方の存在などあの日、茶番にも等しい断罪劇のあった日になっても名前すら知らなかったのよ?
あぁ、今更名乗られても覚えるつもりもございませんから結構ですわ。
それで、名も知らぬお嬢さん、次期国王ですらなくなってしまった、王位継承権すら失った、実力はないしプライドばかりが高い頭の悪い男と王命で結婚させられて離縁すら認められなくなったお嬢さん。
貴方はそれで満足かしら?
愛があればいい、と仰っていたのだもの。きっと満足なのでしょうね。
えぇ、貴方の家に婿入りする形となった、元王族のお荷物であっても。貴方にとっては値千金の価値のあるものなのでしょう。
あら? まぁ、とっても素敵なお顔になってらしてよ。ふふ。
せめてもうちょっとうまく隠しなさいな。
確かにわたくし、貴方たちの茶番に巻き込まれた事で、婚約破棄を突きつけられ瑕疵がついたと言えなくもないのですが。
ですが結婚相手に困るわけでもなし、王家のお荷物を支えなくてもよくなったという重圧からの解放、人生の数年を無駄にしたとはいえ、それ故にお父様からも陛下からも、自由にしてよいと言われましたもの。
あのような大勢のいる場での婚約破棄でできた瑕疵など、些細なものですのよ。むしろ殿下から解放された事で得られたものの方が大きいくらいです。
だからといって、貴方がたにされた事を許そう、とは思えないのですが。
どうして?
当然でしょう。
やってもいない事をさもやったように言いふらして、人の事をまるで犯罪者みたいに……
今回の謝罪の一件だって、陛下から既に聞いているのです。
わたくしが許したのであれば、貴方たちの生活も多少改善していいと言われているのでしたわよね。
それほどまでに今の生活は劣悪ですの?
確かに周囲からのお二人の評判は地の底に落ちているし、社交の場に出ようものならそれはもう針の筵だとは思うのですが。
でも、わたくしと違ってお二人のそれは自分たちで実績を作った結果でしょう?
冤罪で悪女のように言いふらされたわたくしと違い、お二人がそういう目で見られ噂の渦中にあるのは、お二人の行動の結果ではございませんの。
であれば、身から出た錆。甘んじて周囲の嘲りを受けるべきでは?
とはいえ、わたくしが許しません、お帰り下さいなんて言ったところでお二人は納得しないのでしょうね。
どうせ許してもらえるまで駄々をこねてここに居座るつもりなのでしょう?
迷惑極まりない……何故わたくしが許すと思うのか。
今までされた事をそっくりそのままご自分で体験した上で許せるものなのですか? 無理でしょうね。ますます立場が悪くなる一方かと。
だってそれだけの事をしておきながら、平然と自分たちが許されるものだと思いあがっているのですもの。
本当に悪いと思っているのなら、そもそも人として恥ずべき事しかしていないのだから、我が屋敷に足を運ぶなどとてもじゃないけどできるはずがないと思うのですが……
それでもお二人はやってきた。
どこまでわたくしを甘く見ているのかしらね。
えぇ、ここに来た時点で許すつもりなどありませんでしたよ。
結局わたくしのために謝罪をしたい、などと言っていたようですがわたくしのため、などではなくご自身のためでしょう。今の立場が苦しいから少しでも楽になりたくて、そのために更にわたくしを踏みにじろうとしているだけではございませんの。
いい加減になさいませ。
殿下、などとお呼びしておりますが本来ならばもうそのような呼び方すらしなくても良いのですよ。
そちらのお嬢さん共々、わたくしの家の権力でもって潰す事など容易い。
それをしないのは慈悲でもなんでもなく、する必要がないからです。
いずれ沈む泥船に手を加えて沈むのを早める事に意味を見出せないだけですもの。
……そうね、アレを持ってきて頂戴。えぇ、事前に説明していたアレよ。
何のことかわからない、という顔をしておりますね。ふふ、すぐにわかりますわ。
ほら、来た。
わたくしの許しが必要だと言うのであれば。
では、こちらをお飲みくださいな。
え? なんだこれは、ですか?
毒ですけど。
まぁ、そのような大きな声を出さずとも聞こえております。
確かに見た目からして毒々しい色をしているし、一口でも飲んだら死にそうな雰囲気ですが、別にこれを全て飲んだからとて死にはしません。
確かにお二人の事を憎んだ事もございました。というか、婚約破棄をされるまではいらぬ厄介ごとに巻き込んでくれた事に対して恨み骨髄といった気持ちもございました。
ですが、婚約破棄をされた事でお二人との縁も切れ、こちらとしては清々していたのです。
こうしてここにお二人がやってくるまでは。
まったく、二度と顔も見たくないと思ってる相手がのこのこと我が家に訪れるとか、不快になるのは当然でしょう。折角過去の事として忘れつつあったのを無理矢理思い出させるような真似をされたのですよ、こちらは。
とうに切れた縁。
その先でそちらが苦しもうがこちらにはもう関係なかったのに。
わざわざ自分たちで余計な事をしに来たのでしょう。
やってもいない事のせいでわたくし、色々と罵られたりもいたしました。
心がとても傷つきました。
心など目に見えないので、証明はできませんが……ですが、一歩間違えばわたくしは本当に殺されていたのかもしれなかったのですわ。
貴方たちが扇動して人を悪女に仕立ててくれたおかげで。
それらに対して許してほしい、とのたまうのなら。
せめて相応にそちらも負うべきものがあるでしょう。
一体何が問題ですの?
確かにこちらは毒ですが、でも死に至るものではありません。ちょっと苦しい思いをするのは確かですが、でも、貴方たちによって悪女に仕立て上げられたわたくしに比べれば、一時的なものだし可愛いものでしょう。
えぇ、こういう事をしてやろうと思う程度にはわたくし、お二人に追い詰められていたのかもしれませんわね。
であるならば、謝罪をというのならせめてこれを飲み干して、精々少しくらい苦しめば良いのです。
あら? 飲まないのですか?
死なないのに?
わたくしとて鬼ではないので死ねとまでは仰っていないからこそのこの毒なのに?
そうですか……
仕方ありませんわね。
これは片付けて頂戴。えぇ、悪いわね。
ではお二人とも、これで交渉の場は決裂。わたくしはお二人を許す事もない。
まさかこちらの許す最低限の条件を聞く気はないがそれでも許せ、などと馬鹿げた事、言いませんよね?
では、とっととお帰り下さいませ。
わたくしがお二人の事を許す事など、もうないのですから。
自分の足で出ていくことをお勧めしますよ。生憎とこの家の人間は皆お二人の事を良く思っておりませんから。つまみ出すにしたって決して優しくはありませんよ。
行かないのですか?
え? ここでわたくしに許されなければ、本当にこの先がない?
知りませんよそんな事。だったら先程出された毒を飲めば良かった。人には散々やらかしておいて、自分はアレはイヤ、これもイヤ、などと言える立場であると本気で思っているのです?
確かに少し前まではそうだったのでしょうね。
ですが今は違う。
えぇ、陛下にも王妃殿下にも見捨てられた元王太子。
元王族であり今となっては何の権力も持ち合わせていない男と離縁の許されない結婚をした男爵令嬢。
ふふ、身分の垣根を超えて結ばれるはずだった、周囲から祝福されるはずだった未来から大きくずれて今となっては蔑まれるだけの厄介者。
今までのような生活も難しく、かといって今の生活に甘んじたままでいる事もできない。
だから、少しでも今の生活を良くしたいがためにわたくしに縋りつきにきたのでしたわね。
……でももう謝罪して済むところはとっくに過ぎてしまったのです。
えぇ、具体的には先程。
あら、効果が出てきたみたいですわね。
え? 何のことだ?
あら本当に気付いておりませんでしたの?
実に愚かですわねぇ……あぁ、もうこれじゃあ自分の足で移動するのは難しいですわね。
だから、さっき飲んでおけば良かったのに。
最初に申したと思いますが、今回の事は既に陛下から聞き及んでおりました。
わたくしに謝罪して許されたのであれば、待遇の改善を望んだのでしたわね。えぇ、愚かにも陛下に泣きついて。
だからこそ、近いうちにお二人がやってくるというのを既に聞いておりました。
あんなにも苦痛に満ちた表情の陛下など、わたくしも初めて見ましたのよ。親にあんなに苦労を掛けるなんて悪い子ですわね。もう子、と言って許される年齢でもありませんけど。
わたくしとしては、お二人の存在など何の益にもならないので、さっさと処分するべきだ、と陛下には進言いたしましたのよ?
えぇ、不敬だろうとなんだろうと。
王が無能すぎればいずれ国が荒れる。王妃がいくら優秀だろうとて、足を引っ張る無能の頭に王冠がのっているのです。優秀さでカバーするにも限度がありましてよ。
であるならば、無能の頭から王冠を取り上げてしまえばいい。
そもそも無能であるならば王になど最初からしなければいい。
えぇ、陛下も王妃殿下もようやくそう決意してくれましたの。
わたくしとしては遅すぎると思うのですが、それでも親としての情を考えれば仕方のない事。
許すかどうかの決断を委ねていただけましたので、わたくし、事前に陛下にも王妃殿下にも今回の事を説明してありましたのよ。
えぇ、本当に、心の奥底からわたくしに対する謝罪の気持ちがあって、出された毒を飲んだのであれば。
お二人は許されるはずでした。
わたくしだけではなく、陛下にも、王妃殿下にも。
えぇ、そうなれば、一応殿下は王家の人間として扱われ、そちらのお嬢さんも一応はそれなりの待遇を得る事ができたはずなのです。
ま、その機会をお二人は見事に棒に振ったわけですが。
馬鹿ですか?
ご丁寧に言うわけないでしょう。
言われていたら飲んだ、と言われましてもね。
最初に言ったじゃありませんか、飲んでも死なないと。
それでも拒否したのはそちらでしょう。
今の状況はではなんだ、と?
お二人が理解しているかは謎ですが。
毒は薬にもなるし、その逆に薬も毒となる事があるのです。
わたくしとて鬼ではありませんから、ただ毒を意味もなく飲ませるなどするつもりはなかったのですよ?
えぇ、最初の紅茶に毒が入っておりました。
わたくしも飲んでいる?
あぁ、言い方が悪かったですね。
紅茶そのものに毒は入っておりません。
お二人のカップにこそ毒は仕込まれておりました。
そして先程の毒と言って出したアレは、確かに毒は毒ですが、お二人が飲んだ紅茶に含まれていた毒の中和剤になるものでもありました。
ここまで言えば、いくら頭の悪いお二人でも気付いたようですね。
えぇそうです。
本当に私に対して悪いという気持ちがあってあの毒を飲んだとしても、死にはしなかった。
それから、あの毒を飲んでいたのなら、紅茶と共に仕込まれた毒を解毒できていた。
つまり、お二人は晴れて許され無事にこの屋敷から出る事ができたのです。
けれども謝罪をしたいというのはどうやら口先だけのようでしたし、結果お二人はあの毒を飲まなかった。
あぁ、毒、という言い方がダメだったのかしら。
解毒剤を飲まなかった。これでよろしいかしら?
今更言葉を少し変えたくらいで現実は何も変わりませんけれど……
今から飲むとか言われましてもね……もう終わったのですよ殿下。
大丈夫、紅茶に含まれていた毒も、死ぬものではありません。
あら酷い声。でも大丈夫、それもそのうちなくなりますわ。
あらお嬢さん、貴方の方はもう効果が出てきたようね。
えぇ、声、出ないでしょう?
どうせ謝りたいだとか言ったところでそんなのポーズで、本心からでもないのだから。
そのくせぴぃぴぃ囀って周囲に迷惑をかけるものなら、なくても構わないでしょう?
えぇ、紅茶に含まれていたのは声を失う毒でした。
副作用、と言っていいかはわかりませんが、あとは関節の節々が痛むのだとか。だから今、立っているのもお辛いでしょう?
今から解毒剤を飲んでももう手遅れですわ。あの解毒剤は、まだ声があるうちならともかく声を完全に失ってからでは効果はありませんもの。
あぁ、でも。
これでようやく静かになるのですね。
もうお二人の嘘に振り回される事もなくて、口先だけの謝罪も聞く必要がなくなって。
自己保身のためのみっともない言い訳を陛下や王妃殿下が聞かされる事もなくなる。
えぇえぇ、わたくしたちにとっては良い事ですわ。
お二人の妄言に振り回される人ももう出ないでしょうし。
殿下が王族として返り咲いたとしても、余計な事しかしないのは分かり切っていた事ですし。
マトモに会話もできないのであれば、王太子として戻る事も不可能。えぇ、王妃となる夢をみていたそちらのお嬢さんもですね。
二人そろって声も出せなければ、外交などとてもできるものではありませんもの。
もっとも、仮に声を出せてもお二人の事、下手に諸外国の王族に失礼な事を言って余計な軋轢を生じさせるだけなのが目に見えております。
お二人が怒らせたのはわたくしだけではないのです。
さっきも言ったでしょう?
あの毒を飲んでいたならば、わたくしだけではなく陛下にも、王妃殿下にも許されていた、と。
許しを乞う相手はわたくしだけではなかったのですよ。
さ、そろそろお帰り下さいな。わたくしも暇ではございませんので。
一足先に失礼させてもらいますけど、あまりにも長く居座るようでしたら我が家の警備を担う者たちに蹴りだされても文句は言えなくってよ。
それではお二人とも、御機嫌よう。
廃嫡まではされなくともかろうじて生きてたのに残念だね(´・ω・`)
声が出なくなったなら静かだから生きてても死んでてもわからないもんね(´・ω・`)
次回短編予告
多分ハイファンタジーの異世界転生もの。
文字数は今回の話よりちょっと多め。