帰還
『見張りです。侠叉されました』
「いかんな。侠叉されたのか。こちらも撃ち返すぞ」
「今2万1000ヤードです」
「かまわん。全艦オープン・ファイア」
「ファイア」
艦長がすかさず発砲命令を出した。
「ファイヤ」
【敵艦発砲】
【焦ったかな】
【米軍のレーダー射撃は精度が高いようですが】
【この距離で正確かな】
【撃たれてみませんと】
【長門が不安だな】
【確かに】
距離はそれなりに良いが前後がかなりダメだった。評価で言えば「可」程度か。
「敵は焦っているようね」
「長門姉様」
「いい。大和、武蔵。焦ってダメよ」
「「はい」」
大和の初弾は5斉射目でアイオワ前甲板に命中1。武蔵初弾は5斉射目でニュージャージーに2発命中。長門初弾は2斉射目にワシントンに命中1。まだアメリカ側の命中弾は出ていない。
長門は続く6斉射までの4斉射32発でワシントンに命中13を出し、合計14発を浴びたワシントンは脱落した。長門は目標をマサチューセッツに変えた。武蔵の出した命中弾の4発目は当たり所が良くニュージャージーに深刻な損害を与え速力が低下しワシントン同様脱落した。目標をアラバマに変えている。アイオワは5発の46センチ砲弾が命中しているが、砲撃を続けている。
ここに来てようやくアメリカ側も命中弾が増え始める。
しかし、既に遅かった。ろくに命中弾を出さないうちにアイオワがさらに46センチ砲弾を3発浴びて沈み、アラバマも喫水を大きく下げている。アラバマとマサチューセッツは武蔵に6発の命中弾を与えたが、46センチ砲防御の艦が40センチ砲弾6発程度で参ることはなかった。大和と武蔵も混じった砲撃でマサチューセッツは沈んだ。
巡洋艦以下の戦いも金剛と榛名がいる日本側が圧倒的に有利で、アメリカ側の敗北に終わった。
【信じられんな】
【5隻相手ですか】
【いつまでも呆けている場合ではないが、どう報告すればいいんだ】
【命中弾を出してからの命中率ですか】
【愛宕からです「集まれ」】
【呉に帰投してから考えるとするか】
【それまでにいい考えが思いつけばいいのですが】
「やったわね」
「はい、長門姉様」
「武蔵も頑張ったわよ」
「ありがとう、大和姉さん」
「皆さんご活躍でしたわね。私もお紅茶を飲みながらお優雅に戦いましてよ」
「私もですわ」
「「「ですわ。ですわ。うるさい!」」」
沈没
熊野 野分 清霜 藤波 沖波
中大破
長門 武蔵 榛名 妙高 愛宕 利根 筑摩 能代 磯風
小破
大和 高雄 羽黒 摩耶 早霜 磯風
筑摩は後自沈。愛宕は沖縄で着底。
この高速戦艦部隊壊滅の方を受け取ったオンデンドルフ少将は勝てないと悟り、針路をマニラ湾へと変更した。せめて楯となるために。
しかし、この進路変更は遅きに失した。艦隊がマニラ湾口へたどり着く前に栗田部隊が迫ってきたのだった。
結果は無残であった。高速戦艦部隊と同じ結果になったのだ。
「防空戦闘疲れたわ~。伊勢、赤福ちょうだい」
「積んでません。ダメね。名物の無いところは」
「あるわよ。きっと」
「でも日中の空襲は激しかったよね」
「千代田は残念だったわ」
「千歳と一緒に頑張っていたのに」
「千歳泣いていたわ」
「瑞鶴がほぼ無傷なので余計にね」
「秋月級を1隻回して2隻にしてくれれば千代田も助かったのに。少ない艦数で輪型陣2個に分けたので戦力が減り、多摩と槇も失われましたし」
「多摩は呼ぶとニャーと答えてくれて面白かったのに」
「あの司令長官はダメね」
「やはりこのタコは、守り神か」
瑞鶴は呉で釣り上げたタコを大事にしていた。(釣り上げた・・錨鎖に絡みついて巻き上げの時にミンチになりそうだったのを瑞鶴が間一髪で助けた。乗組員は気が付いていない)
【どうしてか。何故あんなに墜とせるのか】
【どうしてでしょう】
【俺にわかるか。神様にでも聞け】
小沢部隊はハルゼー部隊の猛攻から辛くも全滅を免れていた。
沈没
千代田 多摩 槇
中大破
瑞鳳 若月 桑 桐
小破
伊勢 日向 瑞鶴 千歳 五十鈴 大淀 初月 霜月
10月25日午前
マニラ湾では護衛駆逐艦部隊と栗田部隊+西村・志摩部隊が睨み合っていた。
降伏勧告をしている。
上空には許す限りの速力を出して南下してきたハルゼー機動部隊の艦載機が舞っている。しかし、砲を輸送船団と上陸した陸軍部隊に向けられている状態では日本艦隊を攻撃できなかった。
11月中旬
フィリピン沖海戦に参加した各艦が母港に帰ってきた。
翌年4月
修理なった各艦で実弾射撃訓練を行うが、結果は海戦時には遠く及ばず以前の訓練結果と同じであった。
彼女たちはどうしたのだろう。誰にもわからない。
最後書き切れず、尻切れトンボになりました。10月25日以降は想像にお任せします。
宮崎は行ったことが無いので名物とか知りません。特に戦前の名物は知るよしも無いです。
他の九州では
福岡県は高速で通過しただけで降りたことがありません。佐賀は長崎へ行く途中にうろついたくらいです。
雲仙は普賢岳噴火前に温泉に宿泊しました。
天草はPS-1がボロボロでしたが乗り込めました。
指宿は海岸端の本物砂風呂に埋もれたし、別府も行った、湯布院も行った、阿蘇も行った。
温泉宿の砂風呂は蒸気配管を埋めて砂を被せてあるので配管の所だけ熱いです。本物は全体的に暖かく気持ちよい。本物の所は台風でダメになったんでしたっけ。
あの頃は元気もあったし金もあった。今は両方ともありません。