姉様(1)
新章突入!
今回はナギを中心に話しが進みます。
途中からアケの過去にも触れられていくのでお楽しみに。
一閃。
その太刀筋を例えるのにそれ以上の言葉が存在するのか?もし、それ以外の言葉を選べと言われたらこれしかない。
不可視。
白蛇の国の中心地である都の中心に鎮座する関白大政大臣を始めとする国の官職が集い、住まう皇居の外れに武士達の修練場はあった。
豪華絢爛、汚れのない白の漆喰で建築された事から白蛇城と呼ばれる皇居に比べ、武士達の宿舎も兼ねた修練場は規模こそ大きいものの正方形の質素な造りで塗装もされずに木の色がそのままに残っている為、住民からはびっくり箱と揶揄される。
その名の由来は実に簡単。
建物の中から絶えず喧騒と悲鳴と苦鳴が漏れ聞こえるからだ。
しかし、今日に関しては喧騒も悲鳴も苦鳴も聞こえない。
その理由もまた実に簡単。
声を上げる前に倒されているからだ。
1階のほとんどの面積を使って造られた、ただただ広く飾り気のない修練場。どれだけの武士達が稽古に励んでも広く感じる舞台が今日だけは一際に狭く感じた。
全身を汗で濡らし、木刀を正中に、横凪にと各々の得意な型で構える頭から足先まで完全防具を纏った50を超える武士達。
その足元を縫うように舞台に倒れ伏している同じように防具を纏い、折れた木刀を持った同じ50を超える気を失った武士達。
そしてその武士達に囲まれるように中心に立つのは簡素な道着を着て、木刀を鉛筆でも振り回すように構える手首を振る金色の髪の少年であった。
彼の名はナギ。
3年前、元服を迎える前の弱冠14歳で近衛大将となり、数百年、誰も得ることの出来なかった"朱"の称号を得た天才剣士である。
彼は毎朝、1人稽古をする。
誰と手合わせすることもなく、修練場の隅で身体を鍛え、木刀の素振りをしている。
そして月に1度、隊舎に住む100人を超える武士達と実戦さながらの仕合をする。
そうしないと相手にも鍛錬にもならないからだ。
1人1人の相手するよりもナギ1人で稽古の方がよっぽど修業になる。
100人を超える武士達は下手をすると自分の半分の年齢もない少年相手に完全防具を纏い、最高の状態に身体を整え、持てる技術を実戦以上に駆使する。
そうしないと相手にならないから。
そして実際に相手にならないのだ。
武士の1人が前に出て、木刀を振り上げる。それに続くように数人の武士が各々の得意な型で木刀を振るう。
しかし、その木刀がナギに触れることはない。
いつの間にか振られた木刀がいつの間にか相手の木刀をへし折り、彼らの纏う防具に打ち付けられ、その衝撃に気を失うのだ。
それはまさに一閃。
何が起きたのか、どう刀が振られたのかも分からない。
ナギは、倒れた武士達を見下ろし、嘆息する。
「まったく・・・もう少し頑張ってくださいよ」
ナギの目が木刀を構えたまま動けずにいる武士達を見据える。
「そんなんで国を守ることなんて出来るんですか?」
ナギは、木刀を振る。
空気を切り裂く音が修練場に響き渡る。
武士達の顔から血の気が引く。
「さあ、どうぞ。俺からは攻撃しませんので安心してください」
ナギは、小さく冷笑を浮かべる。
武士達は刀の先を震わせながら小さな敵に立ち向かう。
そして数分後、全員が修練場の床に沈んでいた。
修練場の裏にある汲み上げ式の井戸の注ぎ口に桶に溜めた呼び水を注ぎ、レバーを何度か上下させると地下から組み上がった水が蛇口から大量に溢れ出す。
ナギは、呼び水の入っていた桶に井戸水を汲み取ると地面に起き、手拭いを水に浸す。
指先に触れた井戸水はひんやりとして気持ち良い。
ナギは、道着の上を脱ぐ。10代の半ばとは思えない程に発達、隆起した無駄な肉が一切ない鍛え上げられた筋肉が現れる。そしてその筋肉の表面に描くように付いた無数の刀傷も。
ナギは、手拭いを固く絞り、身体を拭いていく。
本来、近衛大将ともなれば誰に気兼ねすることもなく、大浴場を利用することが出来るのだがそれは気絶するほどに痛めつけた部下達に譲った。
それに彼らも自分とは入りたくもないだろうし、ナギ自身も彼らと稽古以外で肌を交えたいとは思わなかった。
ナギは、知っていた。
彼らが月に1回とは言え、ナギの為に設けられた100人稽古に参加するのを嫌がっている事を。
そして彼らがナギを近衛大将として認めていないことを。
それは彼があまりに若過ぎるからとか、その天賦の才に嫉妬してではない。
彼らがナギを忌避する理由。
『ジャノメ姫の小姓が!』
『ジャノメ姫の愛玩動物の分際で調子に乗りおって』
『気持ち悪い。あいつも化け物なのではないか?』
彼は気に入らないのだ。
彼らは畏れているのだ。
彼らは嫌っているのだ。
ナギを。
いや、ナギの後ろにいるジャノメ姫を。
ナギは、水桶に思い切り腕を叩きつける。
その衝撃で桶が半分に割れ、水が溢れ出す。
「あの・・・」
背後から掛けられた声に振り返る。
そこに立っていたのは白いフリルの付いたエプロンを付けた12か3歳くらいのおかっぱ頭の少女であった。その手には湯気の上がる湯呑みを載せた丸いお盆を持っている。
ナギは、少女に見覚えがあった。
確か、隊舎の食堂で働く給仕だ。
愛くるしい容貌から武士達にとても可愛がられている印象がある。
それを理解した上でナギは眉を顰める。
少女が自分の近くにいてこちらを見ている事は気配で分かっていた。敵意もなく、ただこちらを見ているだけであると言うことも。
ただ、何故そんな事をしているのかが分からなかった。
少女は、少し怯えたように身体を揺らしながら視線を下にしている。
「・・・何か用か?」
何も言ってこないのでナギから声を掛けると少女はびかっと身体を反らせる。そして再びオドオドとし出す。
ナギは、尚更分からず眉を顰める。
「お・・・御大将・・」
少女は、言い慣れない言葉を何とか言葉にし、お盆を前に差し出す。
「良かったら・・・これ」
ナギは、お盆に乗った湯呑みを見る。
湯気上がるその中身は緑茶でも焙じ茶でもなく、澄んだ黒い液体であった。
この甘い香りは・・・。
「コーヒーか?」
ナギが言うと少女はぱっと顔が明るくなる。
「はいっ御大将が最近よく飲まれていると給仕仲間から聞いたので」
先程までのオドオドしさはどこへやら明るい声で少女は答える。
「いつも私達の為にありがとうございます!」
そう言って少女は、にっこり微笑む。
あまりにも予想外な展開にナギは大きく目を見開き、そして微笑んだ。
「ありがとう」
ナギは、湯呑みを受け取り、熱いコーヒーに口を付けた。
苦い。
同じ苦味でもアケが淹れてくれたものとは問題にならないくらいに別物だ。正直、飲めたものではない。
しかし、それでも少女が感謝を込めて淹れてくれたものを吐き出す訳にはいかない。
ナギは、酒を煽るように一気に飲み干した。
少女は、嬉しそうにその様子を見ていた。
「ご馳走様」
ナギは、湯呑みをお盆に戻す。
少女は、嬉しそうに微笑んだ。
ナギは、道着を羽織り直し、礼を言って立ち去ろうとした。が、少女はまだ何か言いたそうにこちらを見ている。
「どうした?まだ何かあるのか?」
ナギが聞くと少女は少し迷った仕草をするが思い立ち、言葉に出した。
「戦争・・・始まるんですか?」
「えっ?」
ナギの眉が小さく動く。
「食堂で武士の方々が話しているのが聞こえたんです。青猿の国と邪教が手を組んだかもしれない。だから戦争が近々始まるかもって」
少女は、不安を言葉に乗せて聞いてくる。
ナギは、胸中で舌打ちする。
(あいつら、機密情報を簡単に!)
ここから遥か南方に位置する青猿が治める国と邪教が手を組んだかもしれないと言う話しが流れてきたのはつい最近のことだ。
その両眼に百の手の巨人を宿したジャノメ姫ことアケが金色の黒狼に庇護され、手を出せなくなった邪教が次の手として青猿に協力を求め、青猿は承諾した・・・という噂が。
そう噂だ。
真偽も分からない眉唾物の話しだ。
巨人を崇拝する邪教とその巨人と闘ったとされる5柱の王の1柱である青猿が手を組むだなんて現実的にもあり得ない。
そんな不確かな情報、しかも機密扱いとされている情報を食堂で井戸端会議のように話し、あまつさえ国民に不安を与えるなんて・・・。
ナギは、爪が肉に食い込まんばかりに握りしめる。
しかし、表情には出さない。努めて冷静に口元に笑みを浮かべて逆の手で少女の頭を撫でる。
ナギの突然の行動に少女は頬を赤らめる。
「大丈夫。そんな話しは出鱈目だよ」
ナギは、少女を安心させる為に優しく言った。
「でも、武士の方々が・・・」
「武士は寡黙を美徳とする。そんな大事を食堂でなんか話さない」
それは事実だ。
真の武士ならそんな事を簡単に口にしない。
「だからそれは歓談の中の与太話だ。案ずることはない」
ナギの言葉に少女の顔が明るくなる。
「コーヒーご馳走様。後でお昼ご飯食べに行くけど今日は何かな?」
「鯵の南蛮漬けです」
「それは美味しそうだ」
ナギが微笑むと少女は顔をさらに赤らめて笑った。
少女が頭を下げて立ち去るのを見届けるとようやく握りしめていた手を解いた。
爪が肉に食い込んだ跡がきっちりと残っている。
「さて・・・と」
機密情報を漏らした奴を見つけて徴罰を食らわさないとな、と胸中で呟き、その場を去ろうとした。
その時だ。
「アケの周りってタラシが多いのかな?」
突然、聞こえてきた声にナギは反射的に振り返り、刀を抜く姿勢を取る。しかし、そこに刀は無く、無常に手が空を握っただけだった。
「何してんの?」
声の主は面白そうに笑った。
鮮やかな黄緑。
それがその人物に持ったナギの最初の印象であった。
新緑のような黄緑色の髪に黒い隈のある黄緑色の目、幼いが整った綺麗な顔立ち、華奢な身体に黒色の甚平を纏っている。
目を見張るような美しい少女。
しかし、何よりも特徴的なのはお尻から生えた黄緑色の尾羽とその両腕だ。
本来、腕となる部分に髪と同じ艶やかな羽毛が生えて、翼と化している。先端には五指のある手を携えているがまごう事なき大きな翼、その翼を使ってナギの目の前で宙に浮き上がっていた。
「姑獲鳥・・・」
ナギは、ぐっと奥歯を噛み締める。
こんなに近くにいるのに今の今まで彼女の存在に気付かなかった。
100人稽古ですら流さなかった冷や汗がナギの頬を伝う。
「アケも言ってたけどその姑獲鳥って何?私そんなおどろおどろしいモノじゃなくてハーピーなんだけど」
自らをハーピーと名乗った少女は不服そうに唇を歪める。
「貴様、姫様を知っているのか⁉︎」
ナギは、右手を広げて手刀を作る。
刀が無くとも闘う手段はある。
しかし、目の前の少女をした化け物にどこまで通じるか?
気配で分かる。
彼女はこの隊舎にいる武士の誰よりも強い、と。
そんなナギの緊張を他所にハーピーは、あっけらかんと笑う。
「そりゃ知ってるよ。アケは私の友達だもの」
ナギは、大きく目を見開いた。
友達?
この娘は今、そう言ったのか?
自分がアケの友達である、と。
「私はウグイスって言うの。アケが付けてくれたの。綺麗な名前でしょ」
ウグイスは、同意を求めるようにナギの顔を覗き込む。
その黄緑色の目は星のように純粋に輝いている。
「貴方がナギでしょ?アケが言ってた特徴そのものだもん」
「特徴?」
「そう。金色の髪の可愛らしい男の子。見るからに真面目な堅物」
それは果たして褒めているのか?貶しているのか?
「私ね。アケに頼まれてきたの」
「姉様に⁉︎」
ナギは、思わず"姉様"と声を上げてしまい、はっと口を紡ぐ。
その様子をウグイスは、可笑しそうに笑う。
魅力的な笑みだ、と思った。
両腕の翼が無かったら流石のナギでも見惚れてしまっただろう。
「アケがね。助けて欲しいんだって」
ナギの表情が一瞬で強張る。
姉様が・・・助けて欲しい?
ナギは、唇を噛み締め、ウグイスを睨む。
「貴様・・・姉様に・・!」
怒りのあまり呼び名が姉様となる。
「何もしてないからね」
ウグイスの目が半眼になる。
「アケがね。凄く困ってるの。だから助けて欲しいんだって」
「何があった・・」
また、邪教が襲ってきたのか⁉︎
それとも黒狼に何かをされたのか⁉︎
まさか、青猿⁉︎
ナギの胸中が緊迫する。
しかし、そんなナギとは対象的にウグイスは、特に焦った様子もなく、目線を上に上げて「うーん」と悩んでいた。
「まあ、何かあったって言えばあったのかな?」
器用に片腕で浮遊力を保ちながら顎を摩る。
そのまるで要領の得ない返答にナギは腹立つ。
「とりあえず、明日、猫の額に来て。屋敷から東に行ったところに岩の多い平野があるんだけど、そうだな、正午くらいに来てくれればいいよ」
まるで遊ぶ約束でもするように言う。
「何を悠長な!」
ナギは、直ぐにでも飛び立つつもりだと言うのにこの女は何を⁉︎
「いや、あっちもまだ準備が出来てないんだよ。だからいい?明日の正午ね。分かった?」
ウグイスは、子どもに言い聞かせるように言ってから、翼を大きく羽ばたかせ、宙に舞い上がる。
「あっわたしが白蛇の国に来たのは内緒ね。皆に怒られちゃうから。それじゃあ明日ね」
子ども同士が家に帰るからバイバイとでも言うような口調でウグイスは空へと消えていった。
ナギは、彼女の消えた空を見る。
アケに何があった?
刻限が決まっているのはどういう意味だ?
猫の額で何が起きている?
様々な憶測が頭を過ぎる。
しかし、アケの安全を考えるなら今は下手に動いてはいけない。
ナギは、溢れ出そうな感情の波を抑えて、明日の準備をし、機密情報を漏らした武士を罰するのを忘れ、国に外出許可を申請しないままに朱の称号を持つ大将だけが身に纏える赤い甲冑と刀を差して次の日の早朝、飛龍に乗って空へと飛び立った。
アケの身に何が!?




