アステール電力本社地下 1
入口であーだーこーだ言っていた面々はアレキサンドラを先頭に薄暗い社内を歩いて行く。表層の会社部分は至って普通の廃墟であったのだが、地下に入っていく度に昏く、赤い非常灯が点滅していた。
コンクリートで作られていてもおかしくない外壁は全て金属製のモノであり、このひと区画を見ただけでも相当の金のかかり方をしているのだろう。
壁には所々黒ずんだ血痕や大きく引っかかれたような傷つきさえ存在し何かしらの異変が起こっていたことは想像に難くない。
そして所狭しと収容室のような個室が並んでおり、開かれた厳重そうな扉の先には一部区域には元指令室だったのかパソコンや印刷機、デスクなどが置かれた部屋も近くに存在していた。
また廊下には腐敗集がこれでもかと漂っていた。
「随分と酷い匂いですね。」
スーツの袖で鼻を抑えてながら呟くアレキサンドラは近くの一定周期で並べられた扉の前へと自然と視線が向かった。
そこには腐敗しきったスーツ姿の死体が扉に折り重なるように倒れている。余りの腐臭に鼻をつまんでしまいたいほどに発酵した臭いが零れる死体があふれていた。
「一体何があったんですか、ここ……。」
右手のピッチリとした手袋を外し、指先で死体の内の一つを触って触感や状況を確かめてみた。
ブヨブヨに爛れた顔には蛆虫すら湧いていないほどの状況であり、肉も腐っている風ではなかった。また死後数日も立っているようには見えなかった。
(どういうこと?死後数年以上は立っているはずなのに蛆虫一匹湧いていない。それにこの臭いも気になるな。)
蛆虫もいなければ蠅も一匹もいない、まさしく以上な空間であった。これもどこかの会社の特異点の技術による副作用なのだろう、一応尋ねることにしてみた。
奏へと向き直り名前を言おうとするのだが、記憶がすっぽり抜けているのか名前がわからなかった。
「ねえ、えーと名前は……。」
確か話していたよなって思いつつもしばらく記憶の糸を手繰り寄せていると奏ですと呟いた。
「あーうん、奏さん。説明はありますよね。」
「秘密保護に関する契約がありませんのでお伝え出ることはありません。」
むっ、と思ってしまうがこうなること自体は織り込み済みであった。男の方は大して知識も力もないが、女性の方は相当頭が切れるようであった。
「はいはい、そーですか。さて後は私の直感で何とかするしかない、か。」
企業の仕事は自分の感覚で何とかしなければならないことが大半である。自分たちのような有名どころの事務所でも、企業からはなぜそうなったのか、どうしてそうなったのかという情報は与えられることはない。
だからこそ慎重に事を運ぶことが肝要だと社長から教えられた。
情報を整理して考えてみる。アステール電力は膨大な電力とaquae vitae(命の水)という高性能な液体を販売している。
命の水は高純度のエネルギー物体であり、手近な例として格安の麻酔として加工され路地では販売されている。自分も一度虫歯が出来た時に使ってみたがその効能は他の麻酔とは一線を画すほどの鎮痛効果があった。
ただこの物体はどのように生成されているのかそれは誰一人して知る人間はおらず、違法な手で作られているのではないかと専ら噂である。
アステール電力も相当情報漏洩に気を使っているのかどのような企業の間者でさえも知ることはできずにいた。
今回の依頼は放棄された本社ビルの地下にはその一端が残されているかもしれない抽出方法の調査である。
抽出方法を知ってどうするつもりなのかは知らないが、それを調べるのが私の役目であり、命の軽い便利屋あるあるの鉄砲玉の仕事って奴であった。
だが大量の職員が逃げられずに毒性のモノで殺されている点、腐食の一つさえない現状、それに不快な暑さ全てが脳内警報が鳴り響いていた。
この職員を大量虐殺した犯人が必ずいるはずである。それは自分の常識では通用しないものではないのだろうか、収容室のような部屋からそんな想像をしてしまったが今は頭の片隅に追いやって進むしかなかった。
帰ったら焼肉でも食べよと考え、空腹を紛らわすジャーキーを千切って口に放り込むのであった。
そんなアレキサンドラの様子を見つつジョンは奏へと尋ねるコトン敷いた。
「逢沢さん、少しいいか?」
「あっはい、何でしょうか。」
タブレットを見ている奏へと話かければこちらへと振り向むいた。
「ちょっと気になっていてな、この場所嫌な空気が充満していないか。いや言語化できないんだが背筋に来るものがあるんだ。」
「どうでしょうか、それも自身で確かめることなのではないでしょうか。」
相当つまらないことを聞いたのか、視線をタブレット端末へと視線を戻し黙々とマッピングしているようであった。
後ろのポエマーはいつもと変わらず何を考えているのかという感じだが、会社の時はポケットに手を突っ込んでいて武器を見せないようにしていたのに対して今は両手を出し指全てに指輪を嵌めていた。
その指輪がどのような効能があるのかわからないが、彼女にとっての戦闘態勢というのだけは理解できる。
この剣吞とした空気感は、とても懐かしかった。記憶にないのに、それを思い出すような不思議な感覚は筆舌に尽くしがたい。
答えを知らないのに、識っているかのような感覚は自然と五感から脳内まで自然とチューニングを始める。それは身体が覚えていることに違いはなかった。思考は研ぎ澄まされ、視覚聴覚触覚全ての情報を統合していく様はさながら高性能な計算機のようである。
自分はこの不思議な感覚に身を任せるしかなかった。どれほど抵抗しても無駄だと理解しているのだろうか、身体は一切の命令を聞くことがなかったのだから。
奏はジョンの変化に気づいたのか、少し物悲しい顔をしていた。
「やっぱり、変わっちゃうんだ……。」
小さな嘆きが鬱屈とした地下に響いて消え、反応する人間は誰一人していなかった。
奏にとってたった一人だけの彼でさえも過去の環境に染まってしまうことは理解していたし、きっと”今回”はそうはならないと思っていた。
だが現実は目の前の彼の様子を見ればわかる。柔らかな変な人間から無機質で無感情な計算機に成り下がった彼の様子を見るだけで胸が張り裂けそうな思いだ。
その光景を知っていた。自分が嫌というほどに見た顔で、全てを見透かすかのような鋭い目つきは壊れた男の顔であった。
”最早人間はたった一人を除いで消えてしまった。”
しばらく廊下を歩いていれば遠くに死体を貪り食っている黒い大型犬がいた。その犬は元職員の腕を食べており、こちらを一瞥すると随分と機嫌がいいのか体ごと振り向いて尻尾を振って反応していた。
「ワン!」
威勢のいい声と共にこちらへと寄ってくるとちょこんと座って血液が零れる口から舌を溢して応対を待っているようであった。
その犬を見てアレキサンドラはなぜに犬がいるのかと不審に思いつつも外見の異常性を観察することにした。もしかしたら犬型の改造生物なのかもしれないと。
撫でることをしてみると意外と短髪で剛毛なのかゴワゴワとした中に柔らかさを持っているために触り心地は相当癖があるものの気持ちがいい部類だろう。
殺意を込めた念を送ってみたり、食べていたであろう肉を取ってみたり、腹を見せた犬をもしゃもしゃと触れてみたりした結果。
これは間違いなく普通の大型犬だろう、多分犬種としてはゴールデンレトリバーとかいうやつだ。対して犬には詳しくないがオリガが飼っていた犬そっくりだったのでそういうことにした。
「でもなんでこんなところにゴールデンがいるんだろ。飼い主とはぐれたのかな?」
異常性はないと認知して死体を避けて先に進もうとした瞬間、ジョンが声を上げた。その声音は相当に警戒の色をしていて、低く先ほどとは全く違う圧を持っていた。
「アレキサンドラ、進むな。死ぬぞ。」
「は?」
突然のことに足を止めてジョンへと振り返るのだが場所が悪く、バランスを取ろうと足を出した位置が死体の山であったのだ。
臓器があふれ肉塊となった体へと片足を突っ込んでしまい、靴の底が血まみれになってしまうのだった。
「あっ、せっかく綺麗にしたのに……。」
かなり気に入っていた靴が一瞬にて肉塊塗れになったことに心底からどんよりとした空気を漂わせながら本題のことを聞いた。
「で、なんで死ぬんですが。異変は特にはないとは思いますけど?」
「……多分だが、その犬の特性だろう。その先に行けば心臓が止まって死ぬのかもしれない。死因を良く見たか?」
ジョンの中には様々な可能性が溢れ出ていた。目の前の死体の山は一定の規則性をもって死んでいるようで、突然の心不全で死んだかのような不自然な倒れ方。
それに自分の経験がそう告げていたのだ、これは何かしらの儀式を行わなければならないものであるのだと。
この犬がそうさせているのか、この場がそうさせているのかわからないものの確かにこの先に行くべきではないことは確かであった。
「死因、ですか。見たところ心臓が止まって死んだって感じで……まさかこの犬が?」
怪訝な様子で犬を見つめるのだが犬は撫でて欲しそうにアレクサンドラの横にちょこんと座った。
常識的に考えこんな犬が呪いの元であるとは考えにくかった、だが異常なことも現実にあり得るがこの世界である。
しばらく思考を回転させているとシャーロットがやれやれといった風に犬の傍に近づき優しく頭を撫でている。
「部外者が知らないのも仕方がないっすよ。こいつは管理番号F-192、水鏡の犬。一定の領域外に出る場合何かしらの対価を支払わねば行けないバケモノですよ。」
「バケモノですって?なんでそんなのが電力会社の地下に……。」
アレクサンドラの嫌な予感はどんどんと高まっていく、この会社の特異性に気がづいたという方が正しいだろう。それに色付きの人間が派遣されるほどの任務だという点も十二分に考慮すべきであった。
自分が相当不味い場所に片足を突っ込んでいて、その当事者たちを目の前にしているということを理解した。前日担当した仕事が拍子抜けだったばかりの勘違いであったのだが本来の仕事というのはこのような一歩間違えば死が普通なのである。
それを彼女は今思い知ったのだ、一歩先の死を眼前にしてやっとである。
「……わかりました、その対価はどういったものなら大丈夫なので?」
恭しく敬愛の念をを込めた目つきでシャーロットを見つめる。彼女はそうだね、と小さく零すとアレクサンドラの口に含まれていたジャーキーを思い出して何か考えついたようだ。
「そのジャーキー、私にも貰えないっすか。一切れだけでいいっすよ。」
「えっ、あっはい。」
何をするのかよくわからないままに彼女はポケットから美味い!病みつき!とラベリングされた袋を取り出し、簡単に丸めて閉じられた封を解く。
その中から無造作に取り出し一枚の安っぽいジャーキーをシャーロットへと渡す。
「それをどうするんですか、ええと……。」
「シャーロット・マクドネル。それがうちの名前っすよ!!」
彼女は右手でもらい受けると死体の山の向こう側めがけて大まかに狙いをつけ、振りかぶる。彼女最大の力をもって薄暗い廊下の先にぶん投げるのである。
ジャーキーは確実に飛んでいき、放物線を描いて廊下を飛翔する。犬もそれを見てすぐさま動き出し自身を飛び越えて彼方へと向かうジャーキーを追っかけて走りだす。
犬が死体の山を越えた瞬間、死体から少し奥の廊下がまるで水面のように揺れ動くのがわかる。そして犬は水面の向こうへと消えていった。
それが粒子になって消えたとか、そういったものではない。水面のように見える壁を越えていく犬の頭から消えていったのだ。
さながら水面に食べられたかのように……。
その光景をたった一人アレクサンドラは理解できないといった顔で見つめていた。犬が消えてしまったことに驚いたこともあったが、何よりもこの会社がなぜ怪物を飼育しているのかという点が一番であった。
明らかに化け物を理解している点からも飼育という言葉が正しいのだと思った、怪物をどのように活用して発電しているのかわからない。
もしかしたら怪物をシバきまくって何かしらのエキスを捻出、それを加工していたりするのかもしれない。怪物を活用し物品を生産することこそがこの会社の特質であり、他社とは一線を画す特殊性であることは違いない。
それに怪物を前にしても慄く風もないのはまるで気持ち悪さすらあった。さながら”命なぞいくらでもある”と言わんばかりの立ち居振る舞いであった。
なぜそう思ったのは分からないものの、直感がそう訴えかけていた。所感の駆け込み訴えは重要な要素であると社長も言っていたっけ。もしかしたら会社の中でも相当のトップの人間たちなのだろうか。
一応聞いてみることにした。
「えーっと、シャーロットさんって結構偉い人なんです?」
その問いには答えてもらえないだろうと思っていたが彼女は屈託のない顔で答えた。
「まあトップの五本指には入るかな。」
「えっ!!!???」
アステール電力本部のトップ五本指といったら各種部門における責任者ということになる。今眼前にいる彼女は世界を統括する企業の中のエリート中のエリート、そんな女性が目の前にいること自体驚きであった。
あまりの答えにどう反応していいのか脳内が真っ白になっていく。あわあわと言葉を選別しようとしていると彼女は心底からうんざりといった雰囲気を醸し出し、項垂れながら言葉を続けた。
「けど今回は特別出張、うちのクソ陰気上司と創設者一筋の元社長秘書のせいで来ることになっただけ。」
「社長秘書にシャーロットさんの上司って……。」
入口ではあんなことを言っていた間抜けそうな男がシャーロットよりも上の役職の人間であり、さらに隣に立っていた人間がアステール電力の社長秘書。あの男は一体どんな人間なのだろうか、元社長の秘書を与えられた人間ということは間違いなく上流階級中の上澄みである。
今までのことを思い返せばとんでもない人間にクソみたいな口を利いてしまったと自責の念が沸々と湧いて出てくるのがわかる。
(し、しまったアアアアア!!私今すっごい不味いことしてるよね、最悪うちの会社ぶっ潰れるかもしれない。そうしたら明日から無職じゃん。社長に滅茶苦茶怒られるぅ……)
あーだこーだぶつぶつと呟いている彼女を見てシャーロットはこうなるよね、と苦笑いを浮かべ他の面々は彼女を置いて進んでいく。
勿論犬が貪り食っていた死体を避ける形で廊下を歩ていく、シャーロットも渋々後ろに回り、その後ろには遅れたアレクサンドラがぶつぶつ念仏を唱えながら駆けていくのであった。




