アステール電力旧本社
アステール郊外 旧アステール電力本社跡
社用車を遠くの駐車場において安普請が立ち並ぶ貧民窟のような場所を歩く面々は何とも鬱屈とした重々しい空気が漂っていた。
というのも何やら急に険悪な関係性となったシャーロット、思いっきり喧嘩をしてバツが悪いのか沈黙を貫く奏、インナーカラーの変なポエマー、最後に推定一般人という余りに救いようのないメンバーだからであろう。
「……うぅ、結構居心地が悪いなぁ。」
肩身の狭い新参者はどんなことにでも受け入れるほかにないのだが、思わずポツリと零してしまう。
それは誰に対しての嫌味というよりか自分の感受性に対する後悔の言葉である。こんな時に心を無にできるのであればどれほどに幸せであったのであろうか。
若干熱血漢よりの人情家(自分で言うのもどうかと思う)であることを後悔した。そんな文句の一つも彼女へと聞こえたらしく、奏が振り向いて答える。
「仕方ないですよ、シャーロットがあれだけ毛嫌いしてるわけですから。」
「けど俺は何にもしてないんだがな。この髭がダメなのかなぁ。」
あの会社で休んだ時に綺麗に剃った髭はいつの間にかちょびちょびっと生えそろっており、コンニチワと芽吹いているようであった。
「えっ、そっちの”毛”嫌いですか。」
「こっちの毛嫌いじゃないの?」
突然のボケに当惑した様子を見せるのだが、真面目に困惑しているジョンの顔を見て深く、それもとびきりの呆れにも似た吐息を零していた。
「こんな人だったっけ、この人……。」
「?何はともあれ、随分と嫌われたな。本当に自分が何をしでかしたがのか気になるが、逢沢さんは何か知っている、よな。」
「知っていますけど、それを聞くつもりもないですよね。」
「まあな、俺の感がヒシヒシと言ってくるんだ。これは俺が探さないといけない試練だってことをな、それを補助するのが逢沢さんの役目だろ?」
「そうですね。よく理解しているようで助かります。」
そういうと彼女は前へと視線を戻し歩き続ける。
しっかし彼女は意外とオフとオンの区切りがしっかりした女子(?)なのだと思った。
自室で見せた緊張感のない家庭的な一面を見せる彼女であったが、今の彼女からそんなことは一切感じとれない雰囲気であった。
さながら真面目な秘書みたいな感じであろうか、というか秘書がつけられるこの立場ってのは背後に社内政治的意図があることは確かであろう。
逢沢さんは俺のことを知っているみたいで、尋ねてみたいのだが今は聞かないでおくことにした。
貧民窟を歩いて数分、目の前には酷く朽ち始めたビルが見え始めていた。5階建てであり、白っぽい外壁はひび割れ灰色の素肌が見え隠れしていた。
このビルが廃棄されて凡そ数十年といったところであろうか。自分の直感がそう訴えかけるのだ。
そしてそのビルの前には一人の男がいた。前日自分を殺そうとしたあの赤き剣が。
背中にツヴァイヘンダーを持つ男はビルの入口近くで壁にもたれ掛かり、疲れ果て精魂が欠片も残っていなさそうな顔で煙草をふかしていた。
それは誰かを待っているように感じる。何故そう感じるのか分からないが、そんな気がしたのだ。
奏は目の前に男に警戒の色を込めた声音で後ろのイシュメールへと声をかけた。
「イシュメールさん、敵意はありますか?」
だがイシュメールは心底つまらないのか仏頂面のままどこかを見つめながら答えた。
「いいや、今日のあいつは別件できたのであろうな。しかして能ある鷹は爪を隠すとも謂う、気を付け給え。」
そうですか、と零せば入口へと毅然とした態度で歩いて行く。男も気づいたのか短くなった煙草を地面に捨て、右手を半分ズボンのポケットに入れた状態で挨拶してくる。
「……、よう。昨日ぶりだな。」
小さく口角を上げ笑う彼の口からは重々しい声が響く。酷く疲れ切った声音は彼の苦労を物語っているようであり、苦労人なのではと思ってしまった。
その挨拶が誰に向けられたものなのか分からないが、誰も返事もしない様子であった。
なんというかバツが悪いので思わず足を止め返事を返してしまった。
「ああ、昨日ぶりだな。今日は随分と呑気にしてるんだな」
「……昨日あんなにビビっていたのに随分気さくに声をかけるじゃないか。」
「昨日のことは昨日で終わったからな。あんたもそうだろう?」
「違いない。」
そんな他愛のない会話をしていれば後ろで甲高い子供の声が響く。
「あー!!おじちゃんまたタバコポイ捨てしてる!!」
突然の声に顔を向けると、凡そ十歳ほどであろう小綺麗な黒髪の少女が男の元に走っていく。
足元に落ちている煙草を見ると、元気いっぱい文句ありげな目で赤き剣を見つめていた。
「ワタシ、ポイ捨てしちゃダメって言ってるでしょ!おじちゃんはいつになったらまともに聞いてくれるの!!」
そんな子供に対して赤き剣は疲れ切った顔から少し柔らかな笑みを浮かべて屈んで彼女の背丈に合わせる。
ただ彼の笑みはどうにも慣れていないのか少し不器用な笑みとなっていた。
「はいはい、今度はお前に見つからないように捨てるから今回は見逃してくれないか?」
「もーダメです!!おじちゃんはこうめいでめいよある人なんだからしっかりしないとです!」
「そうだね、であの馬鹿はどこをほっつき歩いているんだい?」
「お姉ちゃんなら――。」
彼女が振り向いて指さした道路の先へと視線を移せば必死に走ってくる女性が遠目で見えた。結構しっかりとしたスーツに身を包んでおり、腰に東洋にて伝わる刀を佩いているようであった。
我々と目の前の二人の注意を彼女は集めていたのだが、たった一つの視線に末恐ろしい殺気を放っているものがあった。それは赤き剣からである。
いつも剣呑としている彼のことだ、殺気立つのは良くある話なのであろう。しかし昨日感じた殺気以上のものであり、さながら鋭く研がれた刀が喉元に突き付けられているほどにである。
凝視する先の人物の心を射抜くには十分な威力を有しているのではないだろうか。
そして彼の顔には一層暗い闇が現れていた。それを表現するには言葉が足りないとさえ思ってしまうほどに昏く、何人でさえも背筋が凍り付き指先一つ動けなくなるほどに身体が感じていた。
この男は一体どれほどのことがあればこのような殺気を会得することができるのであろうか、想像の域を出ることはなかった。
類にもれず彼女に向けられた殺気は彼女も察知したらしく、必死に走っているところ二、三倍のスピードを出して道を駆けて来て目の前で直立不動の体制で敬礼をした。
「アレクサンダー先生、大変遅れまして申し訳ございません!!」
「……。」
二メートルはある赤き剣に対して三十センチは小さい彼女に対して怒りを含んだ深い吐息を彼女に吹きかける。
見るからに怒り心頭の彼を見て、彼女は本当の死の恐怖の前にどうしようという迷いが顔に出ていた。
ダラダラと溢れ出る汗を隠しきれずに視線は左右ウロウロ、どう考えても彼女はこの先の未来を想像している様子である。
近くで見る彼女は意外と女性的な顔立ちをしており、遠目で見たピッチリスーツ姿から想像できないほど細身で美形の女性であった。
薄い浅葱色の髪に簡単に括られた癖っけのある長髪、柔らかな女性的な目じりに透き通る青い瞳、健康的な小麦の肌、正直アイツなら喜びそうな女性であった。
「ようよう、おねえおそかったじゃないか!」
少女は笑みを浮かべ、トントンと彼女の綺麗な直立不動の足を叩くのだが彼女は何か文句ありげな顔で少女を非難するように見つめていた。
この時点で大方何が起こったのかわかったのだが、この男の前に立つのは死を意味するのでやめることにした。
人情家といえ自分の命が大切なのだ。
「~!!貴女が飛び出していくからぁ~。」
目を閉じ歯を食いしばって零した文句は間違いなく少女に向けた言葉なのだが、まるでそれを想像できなかった自分に対しての文句に思ってしまった。
だがそんな背景を知ってか知らずか、赤き剣ことアレクサンダーは殺意の色かと見間違うほどの真っ赤な目で見下ろし重々しい言葉を発した。
「……貴様がしていたことはわかるな。」
「っは、はい!それについては十二分に理解している、つもりです!」
素っ頓狂な声で答える彼女を見ていれば本当に赤き剣を恐れているということがわかる。
まああの時の自分も相当ビビっていた、のかわからないが恐ろしいことだけは理解できる。この男は怒らせてはいけないということも。
「子供がこんな場所を歩いていれば美食家に誘拐されて明日のランチになっているだろうな、ガキから目を離すってことはそういうことだろアレクサンドラァ……。」
名をゆっくりと呼び、自由な左手でアレクサンドラの髪を握って赤き剣の眼前へと近づけるのだ。
より一層闇を深くして彼女へと睨み付ける。
「絶対に目を離すな、次はないぞ。」
「は、はいいいいいいい!!」
ヒイイイっと言わんばかりの泣きそうな顔のアレクサンドラを前に赤き剣は左手で掴んだ髪を離し、代わりにアレクサンドラの隣にいる少女の手を優しくつかむ。
そして柔和な顔をして少女へと語りかける。
「さあ行こうかマリア、事務所にいなきゃダメだろ。」
「へー、マリアぬいぐるみをかいたいなー。おじちゃんかいにいって!!」
「はいはい、今度な今度。」
元気いっぱいに赤き剣の手を握り返しぴょんぴょんと子供らしく跳ね回り、元気が有り余っているのが見て取れる。
だが赤き剣はアレクサンドラへと振り返った。それも飛び切りの殺意を込めて。
「今日の依頼はお前がこなせ。」
短く彼女へと伝えることを伝えればマリアと共に歩いてどこかへと向かっていった。
残された彼女は今にも泣いてしまいそうな顔であったのだが、その涙には怖いから泣いたというよりも悔して泣いているようであった。
男の様子を見ていた面々もそれぞれ言葉を零していた。
「ま、マジ怖かったっすね。何なんすかアイツ。」
「色付きの便利屋ですね、この辺で仕事を請け負っている有名な人です。知っていても損はないですよシャーロット。」
「っふん、そうですか。」
シャーロットは奏の言葉が気に入らないのか聞く耳を持つ気はなかったようだが、色付きの便利屋というのが少し気になってしまった。
そういえば依頼とか言っていたなと思えば今のうちに聞いておくことにした。
「そういえば便利屋とか言っていたが彼はどんな仕事をしているんだ?」
奏へと尋ねてみれば彼女はあー、と零し少し思考を整理してから説明を始めてくれた。
「そうですね、わかりやすく言えば人材派遣会社ってところでしょうか。といっても大半は個人事業主で事業も多岐にわたります。法律関係から犬猫探し、暗殺に探偵業まで様々な事業展開をしていて、企業や個人がそこに依頼を寄越すのが便利屋です。」
なるほどと思ってしまった。企業からしてみれば細かいところに手が届く人材派遣は意外と有用な存在なのだろう、彼のような有名どころが排出されるということは。
前提知識を聞いて理解したのを見ると奏は言葉を続ける。
「その便利屋は階級分けされており、一級から九級まで細やかな指定がなされています。その中でも一級から特異な性質、卓越した技などが認められた場合により色が付与されます。彼の場合は赤、特に戦闘面での卓越した技術によって付与されたと聞いています。」
「……じゃあここに来たのもその戦闘があるってことのか?」
「色付きが依頼されるほどの危険性を有する戦闘なのでしょう。」
「ははぁ、それであいつが来ていたってわけか。」
今の説明で大体は理解できた。彼らがその便利屋という人間で、戦闘特化の人間たちということが。そしてそいつらを使って誰かが自分を襲ったということも。
そんな風に思案しているとアレクサンドラは涙をシャツの裾で拭き、涙目ながら応対していたジョンに対して疑問をぶつけてくる。
「それで、あなたたちは一体何者なんですか。」
「ん、ああ俺たちか?」
「そうですよ、こんな辺鄙なところに来る人間なんて依頼目的以外に考えられませんので。」
「そうさねぇ。」
奏へと目線を向ければその意図に気づいた彼女は小さく頷く。どこまで話していいのかわからないが、できるだけ言う情報は絞るつもりである。
「俺たちはアステール電力の人間だ、”依頼”を受けてね。」
指示ではなく依頼、まあ間違った言い方ではないだろう。会社の上司からの”依頼”なのだから。
嘘を言ったわけではないし、本当のことに嘘を混ぜて吐いたに過ぎない。それをアレクサンドラは訝しみながら聞いていた。
「会社専属の調査チームって奴ですか、でもおかしいなアステール電力は本社の探索を禁止しているはずなのに……。」
ぶつぶつと小言を述べているがどうにも気になる言葉であった。アステール電力は本社の探索を禁止している、なのに俺たちが向かうように指示が下った。
つまりは社長が何かの計画を裏で始めているのであろう。
社長の手の内と言わんばかりの計画性に嫌悪感を抱いてしまいそうであるが、ここは黙って従うほかないだろう。
この抑えきれない胸の声を解決する方法がなくなると理解していたからに他ならない。
「なら手っ取り早いです。その依頼、この旧本社の探索ですよね。そうであるなら手を組みませんか。」
「手を組むだって、それほど危ないのか?」
あまりに突拍子のない言葉にアレクサンドラは開いた口を閉じることを忘れているようであった。
はて自分は何かとんでもないことを言いだしたのであろうか。周りを見回すと各々何とも言えない様子であった。
ポエマーは変わらずつまらないのか目を瞑っている。シャーロットは何を馬鹿なこといっているんだと困惑気味の顔で、奏は顔を下に向けながら額に右手を置きあちゃーと言わんばかりであった。
「ほ、本当に調査チームなんですか。しかも武器を持っている様子もないですし、命知らずの便利屋集団なんじゃないです?」
「いやっ、そういうわけじゃないんだが。まあ俺はお飾りみたいなもんだし、対して知らないんだ……。」
アレクサンドラからの視線は益々厳しい物となっており、相手へのリスペクトというものが段々失せているようである。
彼女は自分が相当非常識な連中に協力要請したなぁと相当参っているのか大きくため息を吐き、目を閉じ後頭部へと手をやりポンポンと軽くたたく。
峡谷の如く深いため息にムッとしてしまうのだが、まあ彼女の言葉に反論できることはない。だって記憶喪失なんだから。
アレクサンドラは仕方がないと呟き非常に対応に困った苦慮が透けて見える顔となる。
「言い出した手前反故にするのも正直気が引けるからなぁ、仕方ない。邪魔しないなら後ろをついてきてもいいですよ。」
「じゃあそれで頼むよアレキサンドラ。」
「アレクサンドラです!!」
素性もわからない剣士が本社探検のメンバーに加わるのであった。




