喧嘩
エレベーターが無限に落ちていった先、地底とも評するに等しい震度へと到着すれば廊下が左右に広がっていた。
左右にはスーツを着た職員らしき人間が疎らに存在しており、自身の仕事をしているようである。
逢沢さんは廊下を右に向かって歩いて行き、突き当りのドアの前に立つ。
鉄でできた扉にはカードリーダーが備え付けられており、彼女はポケットから一枚のカードを取り出し読み込ませる。
電子音と共にドアのロックが外れる音が鳴った。彼女はドアノブを捻り戸を開けた。
その先には個室とは思えないほど大きな部屋が存在した。一LDK並に大きな部屋で、そこには仕事場にしては生活空間も備え付けられているようである。
最新であろう家電の数々、一人用にしては随分と柔らで大きなベッド、なんというべきか。地下にこれほどまで生活空間が備えられていることに驚きであった。
「逢沢さん、ここは一体?」
「ここはジョンが住む個室です。あとこれが鍵です、紛失しちゃったら私か係の人に声をかけてくださいね。」
そういって自分の顔と名前が印刷してあるカードキーを渡された、カードにはジョン・ドウと書かれていてここには過去の自分の手がかりというものはなかった。
「なるほどね。」
二人は靴を脱ぎ、框の上へと足をやって中へと歩いて行く。
一方は家に帰ってきたかのような足取りに、一方は好奇心にそそられてのチェックである。
彼女がキッチンで何かをしている間にも扉を開けて部屋のチェックを進める。メインの部屋にはそれなりに大きなテーブルに椅子が二脚、テレビまで置かれていた。
キッチンには一通りの家電が置かれており多分最新機種の家電がこれでもかと並んでいる。
包丁などキッチン道具も丁寧に棚にまとめられていて、手に取りやすいようにキッチンペーパーなど備品が表に置かれているところからも生活感が滲みでていた。
「あっ、一応棚に戻すときはちゃんと元に戻してくださいね。使う人が困るから。」
「んっ、ああ。わかったよ。」
そんな返事をしながら別の部屋を探索死に向かう。
その中でも特段驚いたのは書斎であった。両端にはこれでもかと外国語の本が並べられており、中央の奥に置かれたテーブルには新しいデスクトップ型のパソコンが置かれていた。
外国語の本のタイトルを見ていけば雑多なものが並べられている棚と専門の分野だけ集めた棚に分かれていることに気づく。
以前使っていた人は脳科学についてよく調べていたらしく、新旧様々な書籍がずらりと並んでいる。
随分と読み古された装丁がボロボロの一冊を手に取りパラパラと捲ってみると意外性というのはなかったが、興味深いことが多く書かれていた。そして一端テーブルへと置く。
「ふむ、まあこれは後で読んでみるか。」
そうやって暇な時間の読み物を見繕っていればキッチンから逢沢さんの声が聞こえる。
「ジョン、珈琲が出来たよ~。」
「ああ!!わかったよ。」
めぼしい本をテーブルの上へと置けば彼女の元へと向かう。リビングのテーブルには珈琲が二杯置かれており、本人はいないようである。
彼女がどこにいったか分からないものの、とりあえず座ってから考えることにした。よいしょ、と何ともオッサン臭い言い方をしながら座った。
そして足を組み、珈琲の入った金で縁取られた純白のカップを手に取り、ずずっと一口含む。
口に広がるは濃厚な甘さとコクを感じさせる味わいは心を落ち着かせるに十分な効力を持っている。今日あったことはどうにも荒唐無稽な話ばかりで信じられないのだが、この味だけは真実のように感じる。
「好い珈琲だな。しかしだが、あの男は一体誰なのだ?この会社も私を雇う理由もわからない、逢沢さんだって何かを知っているようだし……。」
黙々と考えてももくもくと憶測程度の考えしかでてくることはなかった。思わず、はぁと大きなため息を吐いてしまう。
どうにも要領を得ないといえばそうである。推測するにしても材料が全くもって足りていないのだから仕方がないだろう。
(まあテレビでも見て、時間をつぶしておくか。)
テーブルの上に置いている可愛げな猫模様に改造された推定リモコンを手に取り、赤い電源のボタンを押す。
電源がつけば番組表を見てみれば今の時間ではつまらないニュースか、アニメか、ドラマばかりで正直見たいものはニュースぐらいであった。
特に興味がないので珈琲を飲みながらニュースを眺めていた。
『本日未明――地区において猟奇殺人鬼が処刑されました。殺人鬼処刑の担当事務所はこの件について、こう述べています。』
『わがアステール電力管轄の未来は君たちの手によってなされる。集え未来の若者たちよ!ともにアステール地区を勃興させよう!!』
『統一政府から新たな政策が発表されました。世界的な電力および新型燃料不足につき電力事業者への全面的な支援策を発表いたしました。またこの政策についてアステール電力はこのように声明を出しています。――』
すごく陳腐なプロパガンダが流れてきたようであるが、ここは無視することにした。アステール電力というのは相当に大きな会社らしく、新型燃料を作っているようでもあった。
気になることはできるだけ頭の中にメモしながらもぼうっと眺めていた。
しばらくすると後ろから戸の開く音がした。そちらの方へと目をやると特には開いている様子はなく、多分バスルームのはずであった。
ふむ、バスルームから音がしたか。
(……待てよ、なんでバスルームから音がするんだ?)
ふとしたことに怪訝に思う自分であったが、その音を出した元凶が戸を開けて姿を現した。
それはシャツ一枚と一瞬下着に見えた腿が見えるズボン?らしきパンツを着た逢沢であったのだ。逢沢は、さっぱりさっぱりと零しながらタオルを頭に乗せて席に着くのだ。
「どうしたのジョン、何か変?」
逢沢がキョトンとした風にこちらを見つめてくるが、自分の方が驚きのあまり小さく口を開けたままになってしまい、声にならない声を漏らしていた。
それはまるで鳩がガトリングガンを撃たれたかのような驚くことさえできない有様であったことは想像するに容易いだろう。
「えーっと、ここ俺の個室だよな?」
「うん、でも私の個室でもあるけど?」
「あー……なるほど、な……う、うん。何かの手違いだろ?」
「ちゃんと指令書にはそう書かれていたけど、いやなの?」
「いや、嫌というわけではないのだが。年端も行かない女性と同棲っていうのは、なぁ。」
「何言ってんだか、ってテレビ変えていい?」
「んっああ、勝手に変えてくれたらいいぞ。」
そう言うと彼女はリモコンを手に取り、慣れた手付きでチャンネルを変える。
画面にはアニメの一つが流れ始め、それを嬉々としてみているようでまあ彼女が楽しいならいいか、と風呂へと行くのであった。
そしてさっぱりとした後はリビングに置かれているソファーへと横になって目を閉じる。
(今日は随分と色々なことがあったな、しかし自分は一体何者なんだろうか。)
今深く考えてもどうのしようもないために、考えるだけ考えてそのまま眠りへとつくのであった。
明日の朝を起きれば時刻は六時ほどであり、既にキッチンから何かを焼く音がしきりに耳へと届いていた。
彼女へと挨拶し、テーブルに座ればとん、と目玉焼きとハムが乗った皿が出される。ついでに何切れか切られたであろうパンも近くにおいてくれていたので上にのせて口に含む。
そうして食べ終われば外出用の服に着替え、逢沢さんの案内されてエントランスホールへと舞い戻るのである。
エントランスホールには前日の女がいた、黒髪に青いインナーカラーが特徴的な漆黒のドレスを着る女である。名はイシュメールといったか。
彼女はエントランスホールの壁にもたれ掛かっており、腕を組み心底から暇そうに天上を見上げていた。
逢沢さんはそんな彼女へと元気に声をかける。
「イシュメールさん、今日はよろしくお願いします。」
彼女は緩慢な動作でこちらを一瞥すると、しばらくこちらの顔を見つめていた。
眼窩に埋まる目にはあの時のような殺意は籠ってはいないのだが、どうにも底の見えない深淵のような目つきであった。
大地に穿つ大穴と評すればいいのだろうか、それほどまでに彼女の心や感情というモノは見えなかったし一瞬で理解することは難しかった。
そんな彼女はこちらを存分に見ると嗜虐的な、とてもじゃないが見知った人に向けるに到底思えない顔を見せる。
「嗚呼……その顔よく見ていれば随分と若々しくなったな。懼れも、告解も、呪も、何もかも抱擁するお前はとても耽美で、見ているだけで恍惚としてしまうほどに美しかった。お前は知らぬであろうが、私は識っているぞ。お前の”原罪”を……。」
「……そうかい、でもその顔じゃ聞かれても教えるつもりはないのだろう?」
「斯様、お前はお前の脚で見つけるべきものだ。それをお前は理解しているのだろう?それを分からぬほど蒙昧の徒ではあるまい、この眼窩に埋まる眼には嘘はつけんぞ。」
それは間違いなかった。自分のことは自分で探すべきだと心が叫んでいる。他人から教わって、はいそうでしたでは終われないと識っている。だからこそ彼女の言わんとすることは分かる。
「……ああ。勿論だ。」
「私からいえることは私はお前の終わりまで視ていてやることぐらいだ。お前がどんな答えを出して絶望するのか楽しみにして居るよ。その目でお前のバベルの塔の崩壊した様をね……。」
そういうとまたつまらなそうな顔に戻り、また天上を眺めていた。
突然の彼女からのポエムに面くらったのか少し困惑気味の逢沢が案内を続けた。
「えーっと、彼女はイシュメール。今日の現地調査の護衛です。それと――。」
「……なんであんたがいるんですか。」
後ろから怪異にであったか女子のように怯え切った声が聞こえ、後ろを振り返ればシャーロットが自分を目の前にして立ちすくんでいた。
「っと最後に管理部門チーフのシャーロット・マクドネルの計四人での調査です。」
「奏!なんでコイツと一緒に私が調査に行かないといけないんですか、私は嫌ですよ!こんな男と、一緒になんて!」
こんな男呼ばわりにはちょっと感じるものがあったがここは口を挟まない方が賢明だろう。多分昔の自分が何かしらやったことは違いないし、余計な地雷を踏みたくはなかった。
癇癪を上げるシャーロットに対して逢沢は冷静に言葉を紡いでいく。逢沢の目にはいつもの温厚な彼女の面持ちはなく、そこには冷徹な機械のような彼女の目があった。
「シャーロット、これは社長命令です。代表取締役からの指示なんですよ、理解してください。」
「社長に代表取締役、奏はほんとに社長が好きだよね。あんな不合理で不条理なことをされてもまだ”愛して”いるんでしょう?ホントに救いようのない”機械”だよ。」
「それとこれは別ですシャーロット、あと過度な侮辱は貴女の処分にもつながります。注意してください。」
「……好きに言ってろ。どうせできないだろう?」
バッチバチに喧嘩腰のシャーロットに対して疑問に思う点はないわけではなかったのだが、とてもじゃないが安心して調査とやらはできそうになることだけはよく理解できた。
こんなメンツに不安を抱えつつも面々はその場を後にするのであった。




