父親
会社へと向かう道たる裏路地には所せましと並ぶ安普請のビル群が並んでおり、人々が細々と生きる生活が存在している。
数人の人間が近くのゴミ捨て場に両手いっぱいの大きな袋をもって歩いて行く彼らはどうにも生気のない顔つきであった。
気にならないわけではなかったのだが、中心街につながるであろう道路ではあまり見ない光景の為に隣で歩く逢沢さんへと尋ねてみたのだ。
「なあ、あそこのゴミ捨てに行っている人はどうしてあんなにも無表情なんだ。まるで精が尽きた人間って感じだが。」
指さした先を見て、あーと零すのだが、どう説明すればいいのか悩んでいる様子であった。
「それはそうだね。多分こんなビル群の一角を間借りしている人間だから相当生活に苦しいんじゃないかな。正社員と非正規の違いってやつ?」
「非正規でもそれなりに儲けはあるだろ。それともなんだ、ここは非正規の人間は使いつぶしてすりこ木にでも掛けているのか。」
非難めいた言い方ではあるのだが、その言葉に小さく臥せった顔つきになる。陰を感じさせる彼女の顔はどうにも色っぽさを感じざるおえなかった。
推定高校生に対して劣情を感じる己の変態具合に必死に抑え込む。
「――そうだね。でもね正社員であろうが非正規であろうが、ここではみんなミキサーに掛けられているのと同等だよ。どう生きようとうちの会社による法外な税金とかで消えていくわけだし。簡単に死んでいくのだから。」
「……。」
彼女はまるで申し訳ない様子といった風に答えるのだがどう返答するべきなのか困窮してしまう。
というのもこの街の前提知識が全くないからであり、正社員であれば苦労がないという幻想があったからに他ならない。
きっと彼女も相当苦労しているのだろう、そう思うと正直掛ける言葉が見つからなかった。
毎月の法外な税金、裏路地を牛耳る自治会への献金といった金銭的生活苦。非正規雇用による不安定な就職をした彼らに安寧の日など訪れることはない。
それにこの街では企業統治がなされており、民主主義なんて幻想は露として消えている。人々はその鬱屈とした苦痛を日々溜めていき、壊れることこそが宿命なのだ。
だからこそこの不条理の世界に憤りを感じている。
アステール電力は一体どれほどまでに傲岸不遜な人物が運営しているのだろうか、虐げる行為が許されていることに対して声も上げられないこの無辜の人々のことを考えると見つけ次第一発殴ってやろうか。
「へーそんな顔ができるんだね、ジョンって。」
非常に驚いた顔で見つめてくる。本当に珍しいらしく驚嘆に満ちたモノであった。
「こんな惨状を前にして怒らなければならないだろ、こんなにもはらわたが煮えくり返る思いは感じたことがない。」
「……今のジョンはそう感じるだね。本当に。」
「ああ、ああ!!勿論だ、是正できるなら今すぐにも是正すべきだ。」
ふふっと心底から嬉しそうに笑った、その笑みの真意は分からないけれどもそれが嘲笑や馬鹿にするといったものではないことはわかる。
「うんうん、それでこそ案内人冥利に尽きるって感じ。さあ行こっか、私たちの会社へ。」
二人は生気をはく奪され、無色無臭の裏路地を歩いて行くのであった。
さて裏路地から主要道路へと出て、街の中心地へと向かえば景色が一変するのがわかる。
薄暗い通路にネオンが輝く怪しい通路から近代的な整備された街という変貌ぶりだ。ビル群も好く整備されており、何十階と高層建築が立ち並んでいる。
暗い夜にもまるで昼かのような気さえしてしまうほどに明るく照らされており、街灯が要所要所に置かれている。
空にはドローンがひっきりなしに飛び交っており、広告を空中に投影していたり、宅配便として活用されているようだ。
車道には渋滞の欠片も存在せず、歩道も程よく空いている。ついでに道路状況もちゃんと整備されていたので相当に歩きやすく感じてしまう。
歩いている人々もThe人間といった身体が多くなっており、裏路地含めたネオン街には見られない光景でもあった。
ネオン街も夜の街という風情は感じたのだが、こちらの方が空気感というのは清涼としているみたいである。
「ここはすごいな、さっきのネオン街とはだいぶ違う。」
「でしょ、都市機能のほぼすべてが網羅された中心街。それがここアステール市!空気は新鮮だし、大気汚染もない、人が消えることはない。路地に比べれば天国みたいな空間って言えばわかりやすいかな?」
天国と称するには十分な要素を兼ね備えている空間であるのは疑いようのない事実のようだ。というか路地では普通に人が忽然と姿を消すのが普通なのか……。
「そ、そうか。しかし近未来的な物かと思えば意外と地に足のついた未来って感じだ。会社ってのはこの高層ビルのどれかなのか?」
近くに聳える大きなビルを指さして尋ねるのだが、違うよと首を振る。
「ここら辺のビルはアステール電力の協力会社の支部ってやつだね。一応業務提携をしている会社たちだけど、指さした先がマグネフトカラフト工業で、主に特殊鋼の製造をしている会社、うちの会社で正式採用しているほど重厚な鋼鉄らしいよ。そのとなりが――。」
「わかったわかった、それで務めることになった会社は一体どこなんだ?」
「あーそれならついてきて、案内するから。」
そういって歩き出した。しばらく桃源郷のような街を歩けばこじんまりとした、二階建ての町工場並みの小さな会社の目の前で止まるのである。
それも都市の一番の中心地には似つかわしくないこの会社は、なんというか想像を大きく外れていた。
想像していたのは百階建てで、豪華絢爛で、明らかに豪奢なビルだっただけにただただ驚くしかなかった。
「ここがうちの会社、世界に名だたる電力会社アステール電力だよ~。」
ちょっとした笑みとパチパチと拍手が響く玄関に。世界に名だたる会社がこんなこじんまりとしているというのは……。
「これが、アステール電力?」
「うん、間違いなくアステール電力本社だよ。どうしたの?」
「ああ、いや少し想像と違っていたからさ。」
「みんな最初はそういうからねぇ、これでも本社は支部の数倍は大きい会社だよ。」
「ささ、早く入ろっか。」
支部より数倍大きな会社か、まあ入ってみるほかにないだろう。彼女に手を引かれながら入ってみるのである。
これまた予想外なもので、玄関から入ってみれば明らかにおかしな空間が目の前に広がっている。
町工場に似つかわしくないほど大きなエントランスが広がっており、見てくれはあんなにも小さなビルなのに中身は遥かに大きな敷地が広がっている。
受付頭上の電子掲示板にはアステール電力の象徴の白鳥が今か今かと飛び出そうとしていた。ここまでくると白鳥をホログラフィックで投影した方がいい気がするが。
また来訪者も百人ほどと雑多な様子で、受け付けの人数も十人以上存在しており全てが別空間のように感じてしまった。
正直外見で舐めていたことを認めざる負えない、ここは間違いなく世界に名だたる大企業であること間違いなしだ。
「こいつはすごいな、全てが異次元のデカさをしているな。」
「ね、大きいでしょ。エントランスだけでも受け付けが十人体制だし、毎日相当な数の来訪者の対応をしてるんだ。」
一応の応対を終えた受付は自分たちが入ったことを見つけると立ち上がって会釈してきた。
「おかえりなさいませ逢沢様。」
「ただいま~、座ってていいからね。」
彼女は会釈して再度座り、受付常務を開始したようである。一方逢沢さんは左手壁際に並列に五列並ぶエレベーター前へと近づき、素早く下の矢印を押した。
淡い光がボタンを照らす。余りに慣れている動作に彼女はこの会社に勤めている人間なのだと実感を覚えてしまう。
「逢沢さんはここに勤めて何年目なんだい?」
「私は、ここに働いて五年目です。」
「五年目ね、ってことは小中学生のころからこの会社に?」
小学生の彼女がこんな会社に勤めているなんてほぼほぼあり得ない話だが、こんなブラック極まる社会では普通なのかもしれない。
というか小学生のOLとは一体何の冗談なのだろう。言っておきながら荒唐無稽さに呆れて物も言えない。
「えっと、まあそういうこと、ですかね。私生まれも育ちもこの会社なので。」
ちょっとばつが悪そうに困った顔で不思議なことを言うのである。
「なるほどね、子供ながら大抜擢された逢沢さんは相当なエリートだったりして。どうだ、違うか?」
「そんなことないですよ、私なんてお父さんに好かれることができなかったモノなの。お父さんに捨てられたからこんな案内人をしているんです。」
お父さんに捨てられた、きっと彼女にとって重い過去なのだろう。えへへ、とはにかむような笑みは自分にとってはとても痛々しく映った。
子供をこんなにも物扱いして、気に入らなかったから捨てただと?
屈託一つない硝子玉のように美しい魂をたたき割るような行為、余りに非道。こんなにも未成熟な子供を捨てる親の顔が見たくあった。
エレベーターを閉じる金属板、そこに映る顔は怒りで歪んでいた。目の前の人物がそうであるならば、渾身の一撃を加えてやろうとさえ思ってしまうほどに。
だが彼女はそれでも嬉しそうな顔で、言葉を紡いでいく。それはとても楽しい過去を思い出すかのように。
「あっでも、お父さんが大好きなんです。色々と、思うところはないわけではないですけど、私をこんなにも愛してくれて、人として感情を教えてもらえて、嬉しかったんですから。」
「……そうか。」
短くそういうしかなかった。この胸の痛みが苛立ちを募らせるのだ。
けれども他人の為に泣いたり怒ったりすることを。
無意味さを知っている。
無力さを知っている。
ただ自分を傷つけるだけだと知っている。
きっとこの過去の自分は他人に対して興味関心を失うつらい体験をしてきたのだろう。けれどもなぜこんなにも他人の為に何かしてやりたいと思うのだろう。
心の奥底で熱い気持ちが、熱された鉄のように体全体へと広がっていくのがわかる。
自分は彼女を助けたいと思った。
自分は彼女を助けなければならないと感じてしまった。
それは身体をハンマーで殴りつけらたほどに広がる衝撃、筆舌に尽くしがたくあった。
この身一つで何ができるかなんてわからない。記憶を失って、誰かの計画に利用されて、振り回されるだけの人生なのかもしれない。
だが彼女のために尽くしてやりたい、そう思ったのだ。
エレベーターが到着したのか電子音のチャイムと共に扉が開き、二人はお互い顔を見せずに入るのである。
彼女は地下百二十一階のボタンを押し、自動的にドアが閉まっていく音がする。
地下に眠る深淵の中、たった一筋の光だけが自分の証明である。自分は、いや”俺”は決めた。彼女についていってその助けになってやりたいと。




