ヒロシマ焼き
「へー、そんなことがあったんだね。なんか薄汚い恰好をしてるなあって感じちゃったっす。」
自分の解れが至る所に現れている白衣と薄手のシャツ一枚という恰好を舐めまわすように見つめてくる。
「お兄さんって以前は研究職だったんすか?」
「多分、だけどな。状況と服装から推測しての結果だが。」
「んー、その理知的な感じマジで陰キャ研究職って感じでっすね!!」
アハハ!!と笑いながらお好み焼きを食べる彼女に逢沢さんはほとほと呆れた顔で見つめていた。
彼女に悪意というのものはないことははちきれんばかりの満面の笑みからもわかる。というか悪意があればそのままぶつけてきそうな性格だ。
言いたいことは真っすぐに言う人間、無邪気といえば聞こえはいいのだが邪気がないからこそもっとも邪悪ともいえるのであるが。
呆れかえった顔の逢沢さんはシャーロットへと無言の文句を視線越しに何度もぶつけており、バチバチという音が聞こえそうなほどに威嚇といった目つきであった。
「……ちょっとジョンはそんな陰キャ、だけどそれなりに会話できる人なんですけど。」
陰キャは否定しないのか、元々の自分ってそんなに陰キャなのだろうか?それなりに会話を楽しめて、それなりに会話できているはず、決して陰キャではない!
陰キャと決められたことに対して憤りを感じつつ、突然の味方からの誤射に胸を痛めるものの会話は続く。
「へーそうなんすね。」
お好み焼きを口に含みながら考え事をしているらしくこちらをずっと見つめていた。
全てを吸い込むような奥深い瞳で見つめる彼女だがしばらく濁した言葉を零していた。どうにか自分の言葉で心内を表現しようと苦心しているようで、箸の先を宙にくるくると円を描くように回していた。
しばらく彼女を見ていればハッとしてそうだそうだと箸先で指さしてきた。正直お行儀もクソもないなと感じるのだが。
「あー!!そうっすよ、この前出会いましたよね!!」
「へっ?シャーロットさんと?」
突然のことを言いだす彼女だが彼女は何度か納得したのか意味深長にそうかそうかとカッコいい低い声を出していた。
彼女は何か自分のことを知っているのだろう。もしかしたら超重要なことを言うのかもしれない、それが自分の身分証明になることだと無意識的に想像してしまう。
ただそれを聞いている逢沢さんは何言ってんだコイツといった白けた顔をしていた。
「この前合コンにいましたね!!私見たことありますよ!!」
合コンだって?!合コン……、婚活をしていた???????
想像の遥か彼方へとすっ飛んでいく話に全く理解が追い付いてなかった。合コンに出ていたからってどうやったら身分証明になるのか。
(いやいやいやいやいやいや!!絶対に身分証明にならなんだろ!!)
思わず心の中でノリ突っ込みしつつもにこやかに尋ねるのだ。
「えっと、それはどこでいつ頃?」
「それはっすねぇ、都内のはずれに位置する居酒屋でぇ、確か今月のはじめごろ?って奏ちゃん顔怖いっすよぉ!そんな凄んだ顔してもワタシから青汁も胆汁もでませんって!!」
グギギギと苦しそうな顔とかいう余りにオーバーリアクションな様相はなんというか彼女らしいなと最早諦めの境地のような諦観によって感じていた。
もう一方の逢沢さんといえば合コンに行っていたとい言葉を聞いてむすーと鬼のような形相で見つめていた。いやいや!なんで自分も巻き添え被害を受けるんだ?!
というか合コンに行ってといっているが、それは本当に自分なのだろうか。全く記憶のないために会っているかさえも知らないことである。
「えーっと、ごめん何にも覚えていないから何とも言えない。でも会っていたらなんで話しかけなかったんだい?」
「あーでも、よくよく見ればなんかあそこで見た人はもっと太ってたかな。私の見間違えだったね!」
はっはっはっは、と笑う彼女だが正直ウソかよとガックシといったところだ。
というよりかわざと言っている風でさえあった、彼女の悪意なき行為はそんな気さえしていた。
後のことからいえばこれは当たっていたことであるのだが、今の自分はそんな気がした程度で認識している。
シャーロットの言葉に惑わされ二人だが逢沢さんはため息と共にグイっと豪快に、それも酒を浴びるように飲む彼女であった。
友達の言いぐさに呆れと諦観を含む疲れはてた女性社員の悲哀にも似た顔をしていた。横顔から見るそんな彼女なのだがどこか高校生らしからぬ様子である。
彼女も社員関係で相当苦労しているのが見えてくるのだが、気になって尋ねてみることにした。
「逢沢さんの会社ってこんなこってりのような味の濃い子ばっかりなの?」
その言葉を聞いて目を下にやり、あはは。はぁ、と引きつった笑みと共に零し一層疲れ果てた顔つきになったのが見える。なんというべきか、それだけで会社の全容が見えてきたような気さえした。
「ほ、ほんとうにそうなのか?」
「まあそれが私の役割でもあるから、仕方がないよね。本当にマシな人間が少なくて嫌になるよ。」
最低限マシな人間はいるのだろうが、彼女の暗い一面を見た限りだと相当アクの強い部署になりそうだなと感じてしまった。
まあ自分は最低限逢沢さんに迷惑を掛けないということで行くことが決定した瞬間でもある。というよりも彼女に対してこれ以上の負担を掛けることが可哀そうだと感じたからに他ならない。
決してシャーロットのような大概な人間と一緒にされることが遺憾であるといった理由であるのは注記しておく。
そんな他愛無い話をしていれば中華麺を入れたであろうお好み焼きが鉄板のテーブル上に運ばれてゆく。
濃いタレが鉄板に零れて奏でる音は表面を焼く音との合唱のようであり、匂いというハーモニーを存分に楽しむのである。
鼻孔には甘い香りが充満していて、味わいというものを想像するのに難くなかった。パリッとした麺類と粉物とキャベツ、豚肉で固めた一品は見てくれ自体も見ていればヨダレがあふれ出てくるようである。
「こいつは美味そうだな、これがお好み焼きのメジャーなんだな!」
そんな言葉を聞いて笑みを取り戻した彼女が違うよ、と説明をする。
「お好み焼きは麺類が入っていないのが普通らしいよ、この麺が入ってるのかヒロシマっていう地方での食べ方。」
「なるほどなヒロシマでの食い方だからヒロシマ焼きってわけか。」
「そうっすね、ついでにお好み焼きでも地方によってめっちゃ変わるるらしいっすよ。地方ではもんじゃ焼きとかありますし、ドロ焼きなんていうものも。」
お好み焼き一つで地域性が出るのは面白いなと感じつつも、鉄板の上に置かれたお好み焼きをヘラを押し付けるように突き刺す。
何度か食べやすいサイズに切り分け、皿に移して箸で掴んで食べた。
逢沢さんも気になっていたものだけに興味深そうに観察しながら口に含むのである。
口の中に広まるタレと粉物と麺という明らかに頭のおかしい高密度エネルギー物体のハーモニーは筆舌に尽くしがたく、口の中にてうま味の大合唱となっている。
これは端的に言って美味い、卵と粉を使った上に中華麺を入れるカロリーのことなぞ考えない非人間的発想から生まれたこのお好み焼きは初めての味わいであった。
「こいつは、うまいな。」
何度か小さく頭を上下させ感動に浸っていると、逢沢さんも小さい口で必死に食べているようでその様子を見ていれば小さな幸福感と小動物的な可愛いさを彼女に見出していた。
「あちっ、はふはふ……。」
熱い物が苦手なのだろう、目を閉じて口に含んだものを飲み込もうと必死になっていた。口に含めるまでは想定していなかったのか、ちょっとだけ涙目になりかけであった。
彼女は美味しく食べて、かつこういった抜けた点もある。きっと同僚だとか同年代の子たちにモテているのだろう気がする。
所作は人の本性を映し出す一端だ、まさしくそういった面では彼女らしいなと思うのである。
一方シャーロットは食べ方が非常に綺麗で、非の付け所がない満点の食べ方であったのが以外であった。人間性をなぜ排水溝に捨ててきたのかと考えてしまうほどに丁寧であった。
多分生まれ自体はかなり厳しいところであろうことは容易に推察できた。だからこそ驚きだったのだ、あれほどクソの煮凝りのようなことを言う人間が中流階級以上から現れたことに対して。
というか悪意を持っていないから純正の煮凝りなのか?
「うー、美味っす!開闢の時、地球が生まれた時からうちは美味い物を食べる定めなんすねぇ。これは運命論ってヤツなんですよ、そう!それはファムファタールのような存在、くぅ!!うま過ぎる!!」
日本酒を追加でぐいっと飲み干し、プハーとオッサン臭い動作をしていた。
ついでになんだかよくわからない持論を展開しているバカはとりあえず傍に置いておいて黙々とヒロシマ焼きを食べていく。
熱いものでも冷まさずに食べられるだけに熱々の焼き立てを小さく切り分けて口に運ぶ。元々食べるのが早い人間なのだろうが食べ終わるにはそう時間はかからなかった。
それと食後には習慣づけていたのだろう、思わずご馳走様と一礼していた。
食事云々にて食べ方も最低限汚らしく食べない点からも自分自身はそこまで礼儀作法に無頓着な人間ではないことは理解できた。
一方逢沢さんはまだ鉄板によって熱されたお好み焼きをふーふーと息を吹きかけながら冷ましては美味そうに食べる。美味しい物を最大限楽しんでいるようで、蕩けかけたような優しい顔だ。
小さな身体にしては健啖家と評していいほどに大きな円盤を、彼女が急ぎながらもできるだけ冷まして食べるという動作全てが、蕩けかけの横顔もすべてが愛おしく思ってしまう。
それはなぜそう思ったのか理解はできないが、彼氏彼女といった関係性に近しいものだと言うべき目つきであった。
これら無意識的に感じる衝動をただただ微笑みとして表現していた自分だが、可愛らしいなという感想以外に思いつかなかった。
貧相な語彙力から出力される言葉なのだが、決して通常通例がそうなのだと思わないでほしい。等身大の彼女といるとそうなってしまう陰キャの質ってヤツなのだろう。
そう思いながらお冷をグイっと流し込むのである。水の冷気が臓器へと伝播してくのが、毛細血管を伝って肺の奥から多臓器へと染み渡るのがわかる。
これこそ生きている実感なのだ、食事の終わった時の飲む冷ややかな飲み物こそが生きているという体験をもたらしてくれるのである。
だからこそ最後に飲む水こそが〆としては最高の一杯なのであった。
「ステーキ一〇〇グラム一丁お願いしまっす!!」
シャーロットが元気に声を上げる中、やっと食べ終わった逢沢さんはふぅ、と小さく満足気な顔で息を漏らす。
「もうお腹いっぱい、ジョンって食べるの滅茶苦茶早いんだね。私が半分終わった時にはもう食べ終わってたみたいだし。」
「だな。もともと自由時間が少ない人間だったのかもしれないし、早く食べる人間かもしれない。きっと人のことなんて気にならないせわしない人間だったに違いない。」
わざとらしく呆れにも似た顔でリアクションしてみると意外とウケたのかそうそうと相づちを打つのだ。
「ホントに人のこと気にしない人間なの、その上愛想も悪いし。」
「そうなのか、そいつは大概な人間だな。そうか、そうか。」
元々自分は大概な人間だったらしいが、今となってはそれが本当の自分なのか確認のしようがなかった。今いる自分こそが自分であって、過去の自分とのつながりのない人間だからだ。
ならば過去の自分が恥ずかしくなるぐらいに生きてやろうと思っている。そうすることこそが自分の希望であるはずなのだから。
奥底から湧き出る他者への信頼と何かしなければならないという焦燥感がそう指し示すのだ。
同時に湧き出る泉のように噴出する理解不能な気持ちに対して猜疑心がないわけではなかったのだが、今はこの気持ちに答えるしか道はないように感じる。
そう思考が固定されているといって差し支えないほどに、そう思ってしまったのだ。
逢沢さんは同様に一礼してそそくさと伝票を持ちレジへと向かって支払いをしている。
そんな中である、シャーロットが意味深長な面持ちでこちらを見ていた。
何かを思い出そうとしているときの顔であった、どうせ合コンとか変な話のことなのだろうと思いその場を離れようとしたときである。
「あんた、私と会ったことがあるんじゃ。」
真面目な音色であった。奇天烈でアクのある彼女らしい天真爛漫な姿ではなかった。
彼女の顔は恐怖で引きつっていた、それがなぜ恐怖だと理解できたのだろう。それに半開きになった口からは必死に説明しようとしているのがわかるのだが、声にならない声だけが響く。
あれほど自信ありげな目さえ目の前の現実を認識しようと瞳孔が狭まっているのが見える。
それは不俱戴天の仇に出会ったときの女の顔であった。彼女は自分をじっと見つめていたことに気づくとすぐさま鉄板の方向へと視線を戻し、手を震わせていた。
蛇を前にした蛙ようだ、今の彼女を見てそう思った。必死に怯えている自分を隠そうして、目の前の現実が虚構であると認知しようとしている。
だが。
「おーい、支払ったから会社に行こうよぉ。」
「ん、ああ!!」
逢沢さんに呼ばれたために一端その場を後にするしかなかった。恐怖で怯えている彼女を捨て置いて。
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