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贖罪  作者: 砂河豚
2/8

プロローグ 2

 凡そ四十分ほどであろうか、必死に走っていて正確な時間ではないだろう。しかしそれだけ走っていけば自然と足は遅くなり、後ろを見返すのである。

 背には鬱蒼とした木々は生えており、剣戟の音というのも一切響いてこなかった。

 

「ま、撒けたのか……?」


「多分、ね。はぁはぁ……。大丈夫、彼女なら適当にあしらって帰ってくるよ。」


 少女は型で息をしており、苦しいのか近くの木にもたれかかって深呼吸をしている。

 イシュメールと呼ばれた明らかに異常な女と知り合いという彼女は一体なんなのだ、自分を求めて襲撃してきた犯人の一員なのか。

 だがそれでは殺そうとした人間と戦闘するのも道理としてはおかしい、可能性として自分には生きてもらわなければならない人間なのだろう。


「今回は救ってくれて感謝するよ、俺はやらなきゃいけないことがあるからな。もう行く、よ。」


 そうだ、自分にはなさなければならない事柄がある。はずなのだが何をするつもりだったのか一向に思い出せなかった。

 自分は一体何者で、どんな職業で、ここ十数年の記録も、何もかも思い出すことはできない。

 不思議と記憶を思い出せないということに驚く気持ちはなく、それが当たり前のように受け止めてしまうのだ。

 パズルピースの外郭を埋めた時のような気持ちといっていいだろう。それが当たり前なのだと認知していたのだから。


 思わず足を止めて思案していたらしく、彼女が近寄って心配そうな顔で尋ねてくるのである。


「記憶が、ないんじゃないの?」


「ん、ああ。一向に思い出せなくてね。記憶喪失をして驚きもしないなんて元の自分は相当肝っ玉の据わった人物なのだろうか。」


 短く生える顎髭を右手でさすりながら答えるのだが、彼女の目は視線を下げいた。

 眼窩に宿る眼球にはには恋人が自身を目の前で失った女のように悲嘆に暮れる顔であった。少女らしい肉体に宿る悲嘆さの中には歳不相応な現実を知っている熱さえあった。

 そんな彼女の目はすぐに戻り、いつもの少し垂れ目気味な優しげな女の顔へと戻る。


「やっぱりそうなんだね、君の名前はジョン。ジョン・ドウと呼ばれているの。」


「ジョン・ドウ、名無しってか。まあお似合いの名前ってやつだな。」


 というか自身の名前を名無しというのはあり得ないだろう、間違いなくこの子は何かを隠している。それに先ほどの目つきからも多分彼女は自分のことを知っているのではないだろうか。

 何かの制約や計画によって話せない、そういうことであろう。しかしここで問い詰めても彼女は答えてくれないだろうし、何より自身の礼儀に反する気がした。

 

「ありがとう、君の名前を聞いてもいいか?」


「うん、私の名前は逢沢奏。奏って呼んで。」


「なるほどね日系の子か。それで逢沢さんはなんで俺を助けてくれたんだ。」


 逢沢かぁと残念そうにつぶやきながら言葉を紡ぐのだ。


「それは貴方を案内しなくちゃいけないから、細かいことは歩きながら話してもいい?」


「別に行く当てもないし、記憶もないからな。寝る場所さえあればどこでも。」


 その回答をもって肯定と認識して森の中を歩きだす。しかし不思議な子である。こんな鬱蒼とした森に都会っ子という風体で来ているというのはそうそうないだろう。

 それにスニーカーとか明らかにこんな山奥に来る人間の恰好ではない。誰かにこんな服装をしろと言われてして着用しているのか。もしそうならこいつは相当な少女趣味を拗らせた変態だな。

 そんな風に考えてしまうものの、まあ本人が気に入ってやってるかもしれないので聞くことはないのだが。

 

「逢沢さん、君はいったいなぜこんなところにいるんだ。その高校生のような恰好で来る場所でもなかろう。」


「それはそうだね、でも私高校生じゃないから。あと私は貴方の案内人だから助けなきゃならなかった、それだけだよ。」


「案内人ね……。誰かに指示されてこんなことを?」


「うちの会社の社長から直々の命令だね。」


「社長命令か。それは災難だな、命かけて救った人間である自分がそんなに価値のある人間だとは思えないし、当の本人は記憶喪失で自分のことすら知らないからな。」


 皮肉ありげに肩をすぼめるのだが、そんな自分を見て真剣な顔で見つめてくる。

 その目にはそんなことはないという篤い信頼があるようにも感じた。


「違うよ、君が絶対に成し遂げるであろう大業があるの。それが君の役目、そしてその道を教えるのが私の役目、そのためだけの”モノ”なんだ。」


「”モノ”ねぇ。逢沢さんはどうあっても逢沢さんだ。自分をモノ扱いは自尊心も含めて心理学的によろしくないよ。」


 そうだねと零す彼女の目は少し嬉しいのか口角が上がっており、目を細めていた。


「だが君の社長も何故自分自身にこんな仕事を押し付けるのだろうな。俺はその社長の部下なのか?」


「違うよ、部下じゃない。」


「なるほどね、部下じゃないならバイトとか嘱託職員そこら辺か。ったく自分がどんな地位に居たのかすら忘れるのって意外とキツイな。」


 今となっては豪遊できる地位なら一般の人間と変わらない感性をしている点からしておかしい。今着ている白衣から多分もともとは研究者の端くれかそういった人間なのだろう。

 まあ記憶はおいおい手に入れて、認識していけばよかった。


「社長命令で貴方もうちの社員になるの、といっても部下は私とイシュメールの二人しかない部署だけど。」


「なるほどね、こんな俺も雇い入れてくれる優しい会社様ってな。その会社様は一体どこの小さな会社なんだ?」


「白鳥のロゴが有名なPuissance asterという企業だね。世界的な企業の務め先は支社じゃなくて本社の特別チームに編入ということらしいよ。」


 puissance aster、確かフランス語だったか。アステール電力という地名と電力会社を示す社名はまあ普通の会社といったようであった。

 だが本社のおそらく重要な部署に配置されるのが自分というのは不思議な物であった。まてよ……。


「さっき部下って言ったよな、まさか俺がその部署のチーフをする、ってことか?」


「そうだね、ジョンがチームのまとめ役ってこと。これも社長命令だから諦めて。」


「社長命令、社長命令、まるで一国の国主のようだな。」


「まあ国主って言っても違いはないかもね、まあその辺の話は追々。」


 まあ急に説明されても飲み込みには時間がかかるだろうし正直ありがたかった。この件についてはゆっくりと知っていけばいいかという観念があったが、元々自分はおおらか性格だったのだろうか?

 

「そういえばあのイシュメールとか呼ばれた女は一体何者なんだ、爪とか赤き剣とか全くわからないのだが。」


「イシュメールは何て言えばいいだろ。もともと統一政府の保有する治安維持部隊出身の人間ってところかな、細かいことは知らないけど爪と呼ばれてる精鋭中の精鋭の人間らしいよ。」


「その爪とかになると突然柱を出したり、全く理解できない膂力や金属みたいに固い身体を手に入れるってことか。」


「正確に言えば身体強化に大金を積んでるってことだね。あの人の身体だけでうちの会社の総資産を超えるぐらいつぎ込んでるらしいし、最新の技術とか勿論入ってるんじゃないのかな。」


 この電力会社の経済規模を正確には理解できなかったが、世界的な電力会社の総資産をあの身体にぶち込んでいるという点は驚きであった。

 それはまるで歩く武器庫、というより歩く戦車とかそういった類だろう。


「そいつはすごいな、だがまるで人間そのものだったが。」


 人間戦車だと思っていても人間そのままの肉体であるというのが不思議であった。大抵は身体を置き換えるとか、非人間化していくのが身体改造の常だろう。


「人間そのままの方が感覚器官も流用できるし、勝手にメンテナンスもしてくれるらしいから、じゃないかな。私も改造はされてるけど肉体的な改造はしてないからわからないかな。」


「じゃあ君は一体どんな改造をしているんだい。身体じゃないってことは頭とかか?」


「うん、脳内インプラントで思考力を上げてるの。まあちょっと弊害があるんだけどそれでもかなり便利でね、”お父さん”には感謝しかないよ。」


「思考力を上げるインプラントねぇ。」


 つまりは外付けハードディスクとかそういったものを入れるに近いのだろうか。もしかしたら自分も何かしらの改造が施されているのだろうか。

 こんな人間的な見た目でももしかしたら腕からチェーンソーや剣が出せたりするのかもしれない。正直子供的な貧相な発想しか出てこないといえばそうなのだが、話すことはしなかった。

 自分でも子供らしい発想だなと思ってしまい、話すこと自体が烏滸がましいように感じたからだ。


 さて他愛無い会話の中で凡そはこの世界が見えてきた気がする。この世界は国家は単一国家?らしく他の国がないらしい、企業のお偉いさんは国主ににた関係性らしく、技術力もとびぬけて高いときた。

 これらの情報は自身の置かれた状況を推察するには重要な要素である。そして自分は武装した兵士たちに護送されていたのだろうか、近くに散らばっていた兵士たちとトラックの関係性を鑑みればそう考えるしかなかった。

 もしもその兵士たちと別勢力と考えれば自分を狙って三つの機関が争い合っているわけだ。まずはトラックに乗っていたいた兵士たちの会社、そして殺しに来た赤き剣という男、そしてアステール電力会社の三つである。

 ではその三者に狙われる原因が自分にはあるはずである。その原因を一切忘れてしまっている、まさか覚えていては殺されるような事柄なのか?

 なら赤き剣が理由を聞かずに殺そうとしたことと辻褄が合わない、第一目標は自身の暗殺のはずだ。そう考えれば赤き剣はバレてはいけない協力者だとか、そっちの系列なのだろうか。


 ただ推察するには何もかもの情報が足りていないというのが正直な話であった。聾者が声だけで人の顔を思い起こすようなもので、想像の域をでることはなかった。

 そんなことを考えていると木々は薄くなり、月の光が燦々と地面を照らし出している。そしてここは丘上だったらしくこの先が一望できる地点だ。足を止めその先を見てみる。

 この先数キロ先には太陽のように光るネオンの光が所せましと照らし出す巨大な街が存在していた。中央にはゆうに百階はありそうなビルが一棟たっており、それを中心にして雑多な高層ビルや背の低い安普請のビルや小さな家々が並んでいる。

 鬱蒼な森の隣になこれほどの大きな街があるというのが驚きであった。地方都市というには些か大きすぎる、大都市のような風体は見る物を圧倒するのである。


「こいつはすごいな、一体何人が住んでいるんだ?」


 思わずつぶやいてしまった言葉を聞いて逢沢は髪をくるくるしながらしばらく考えた後に答える。


「大体二百五十万人くらいはいるんじゃない?他企業の支社もここにきてる上に副産物と電力の生産もここが一番のはず。だから近くに工場とか生産拠点もどんどん建って行ってるから生産に従事する人の為の街もできてるし。」


「そいつはすごいな、それで電力会社が副産物を作ってるってのも面白い。というよりもその言い方だと副産物で儲けているって言った方がいいんじゃないのか?」


「まあそうかな。うちの利益の四割強が副産物の利益だし、間違いないかもね。」


 そんなつまらないことを聞いたのか早く来てと催促され、彼女の後について街へと歩いて行くのであった。

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