6. スキャンは突然に
私たちはあれから4年後に来ました。夫の新しい体は今、7歳ぐらいまで成長しています。
ここでちょっとしたイベントが発生したので見てみましょう。
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新生センターから通知が来た。制度が変更になるという。ちょっと驚いたが、よく読むと心配することはなさそうだ。
新しい体の培養を始めてから約10年後にニューロンパターンをスキャンするのだが、どうもこの10年でトラブルが多いらしい。脳卒中とか痴呆とか、中には事故や急病で亡くなる人も居るらしい。そういえばセミナーでもそんな話を聞いたな。
通知には書かれていないが、そのとき培養していた新しい体はどうなるのか? 秘密ではないだろうが、わざわざ公にはしたくないだろう。運営側がそういう事例を減らしたいと考えるのはごく自然だ。
そこで出てきたのが早めにニューロンパターンをスキャンしておこうというアイディアだ。スキャンは磁気と電磁波の他に放射線も使うから少々被爆する。電磁波も体に良いものではない。あまり頻繁に利用するべきではないが、今の体は捨てるのだから気にする必要はない、と言うと乱暴だが、まあ、そういうことだ。
結局、今後はDNA採取時と2年毎にスキャンすることになるそうだ。で、頭がダメになったら最後にスキャンしたときの記憶で新生という訳だ。誰だって新生できないよりは良いと考えるだろうな。
で、私の場合は、申し出れば最初の1回はすぐに受けられるのか。念のため、すぐに申し込もう。
すぐ、って…… スキャンの申し込みから3ヶ月も待たされた。世の中がデジタル化が進んでも、この高額なニューロンパターンスキャン装置は簡単には増やせない。技師の養成だって費用と時間が掛かるだろう。待たされるのは仕方がないのだが…… そうか、それもあって今までは新生直前とその1年前の2回だけだったんだな。制度開始から約25年でスキャン装置も相当数増えたってことか。
CTスキャンは1度やったことがある。40代の人間ドックの時に有料オプションを申し込んだんだ。素人目にはニューロンパターンスキャン装置もCTスキャンと同じに見える。ドーナツ型の本体と、人が横たわる可動式ベットの組み合わせだ。受ける側の人間から見ると。だが、受ける人間が見ることのできない別室には、こいつを稼働させるための電源やら冷却装置やら解析装置が大量に並んでいるはずだ。その中にはあの忌々しい量子コンピュータもあるらしい。ノイマン型のクラウドでやったって良いじゃないか!
「PDAをここにかざしてください。お名前と生年月日をお願いします」
いつもの確認だ。面倒だが仕方がない。20世紀には医療現場で患者を取り違えて、健康な人の臓器を摘出してしまった、なんて事故もあったとか。
新生の場合、取り違えて他人の体で生まれ変わってしまったら大変だ。イケメン君になるならそれはそれで良いかもしれんが、不細工だったら要らない苦労をする羽目になるかもしれない。世の中、いくら技術が進歩しても差別はなかなか無くならないからな。ましてや、女性の生き方を一人称で考えたことなんて一度もない。性別が変わってしまったら18歳からのスタートは厳しいだろう。やはり幼少期の経験が重要だからな。
いや、そうじゃない。取り違えなど絶対にあってはならないのだ。
「金属は身につけていませんね? 眼鏡はお預かりします。ではベットに横になってください」
ドーナツに頭を向けてベッドに仰向けに横たわると技師が体を拘束する。
「では全身麻酔をかけていきます」
ニューロンパターンのスキャンは医療のCTスキャンやMRIよりももっと細かくスキャンする。騒音がすごいらしい。MRIなんかだとヘッドホンを付けて大音量で音楽流して2,30分じっと動かずに我慢するらしいが、ニューロンパターンスキャンは2時間ぐらい掛かる。流石に動くなとは言えないので寝かせてしまうのだ……
…… どうもこの麻酔明けというやつは不快だな。これをあと何回やるんだ?
「次は新生直前の1回だけというわけにはいかないのですか?」
ダメ元でカウンセラーに聞いてみた。面倒な老人だと思われるだろうか。
「そうですね。スキャンは辛いですよね。回数を減らしたいというお気持ちは解ります。でも、複数回に分けるというのは新しい体のためでもあるんですよ」
「ほー、と言いますと?」
「スキャンする方は磁気とか電磁波とか放射線を照射するだけで、いわば工学的なモノです。全くの無害ではないですが、命や健康に関わるような負担はありません。留浦さんは辛いでしょうが、失礼ながらその程度、です」
「はあ、その程度ですか」
「ええ。それに対して新しい体へのニューロンパターンのコピーは化学的、生物学的なモノです。様々な化学薬品やナノマシーンを投与したり…… 反応にも時間が掛かるので新しい脳への負担は大きいのです」
「ああ、それは大変だ」
「ええ、それで初期の頃はコピー回数を1回にしていたんですが、コピー自体に時間が掛かる上に、コピー後に新しい脳が落ち着くまで待たなければなりませんから、スキャンしてからコピー完了までの期間の記憶が無くなってしまうんですよね。そうなると新生された方が違和感を覚えるので、この記憶が無くなる期間を短くしようということで制度が変わりました」
「なるほど、理解できます」
「それで、生まれ変わりの1年前に1度スキャンしてコピーし、生まれ変わりの直前にもう1回スキャンして前回と変わった部分だけをコピーすることになったんです。それが、留浦さんが新生を申し込まれた頃の制度です」
「なるほど、差分バックアップとリストアの発想ですね」
「よくお解りですね」
「はい、大学で情報工学を教えています」
「なるほど。専門家でいらっしゃったのですね。失礼しました」
「いえいえ」
「それで、1回目のコピーに比べて2回目のコピーの方が新しい体にかかる負担が少ない上に、早く脳が落ち着くということに注目した学者が、小さなコピーを繰り返すことで新しい体への負担を減らそうと提言したわけです」
「なるほど」
「そこへ、ご案内にあったように痴呆ですとか事故ですとか病気によるニューロンパターンに異常をきたすことへの対策が必要という気運が高まりまして、培養開始から数回に分けてスキャンして、新しい脳の成長に合わせて適宜コピーすることになったわけです」
「そういうわけですか」
「はい、ちなみに、今回スキャンしたニューロンパターンは一気に新しい脳にコピーするわけではありません。留浦さんの新しい体は現在7歳ぐらいですね。まだまだ脳は成長過程なのですべてのパターンを受け入れることはできません。基本的なものから順次時間をかけてゆっくりコピーしていきます。今回のスキャンは留浦さんに何かあった場合、今の時点からの記憶で新生していただこうという保険の意味があります」
「そうですか。そこまで考えたことがありませんでした。よく解りました。ご丁寧な説明ありがとうございます」
「ご理解いただけて良かったです。納得して生まれ変わっていただくことが私の仕事ですのでお気遣いなく」
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夫は病院嫌いですからね。病院ではないとは言え、似たような施設に頻繁に通うことは不愉快だったのです。でも納得したのでこれからは素直にスキャンを受けていきますよ。
でも、『保険の意味』と言うところ、気になりませんか? そうです。培養した新しい体が無駄になると勿体ないということです。無駄にしてしまった事例が何度かあったからですね。
新しい体の培養には大変な費用が掛かっています。新生してもらって改めて税金と社会保険を払って欲しいのに無駄にはできませんよね。チャッカリしていますね。
では、私たちは一足先に生まれ変わりのそのときを見に行きましょう。