3. 新生と社会
今日は3回目のセミナーです。前回のセミナーで体の状態を連続して計測するウェアラブル機器も身につけています。
それでは、セミナーでの夫の心の揺れを見てみましょう。
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『本日は法律上の諸問題についてご説明いたします。対象者の皆さんはこのビデオを何度でも視聴することができますので、解らないところは繰り返しご覧ください。また、ご質問はメール、チャット、通話でお受けいたします』
今回のセミナーはオンラインだ。1回目と2回目はこちらがちゃんと話を聞いているかどうか確認していた節がある。3回目がオンラインということは、きっとこのウェアラブル機器でモニターしているのだろう。
それに法律的な問題は何度も確認したいだろうからな。ビデオの方が良いことは確かだ。あるいは、興味がない人にはスルーしてもらいたいのかもしれない。主催者はなかなかよく考えているようだな。
『まず、新生された後のお立場ですが、生年月日は50年後の同月同日になります。2月29日生まれの方は2月28日に変わります。
氏名と性別は原則変わりません。氏名を変えたい方は、新生前、または新生後に裁判所で手続きを取る必要があります。
そして性別を変更したい方は複数の医師による診断が必要です。性同一性障害の方は、治療として性別を変更することができますので、資料にあります窓口にご相談ください。性同一性障害以外の方は性別を変更することはできません』
どんどんビデオは続いていく。しかし、50代後半向けで、なおかつ難しい内容なだけに講師の話す速度はゆっくりしている。1.75倍速にあげるとちょうど聴きやすくなった。
『新生後、戸籍は新しく作られます。現在の戸籍は終了となります。失礼な表現かもしれませんが、わかりやすく申しますと事務的な扱い上は死亡と同等です。
死亡と同等なので、法律上の婚姻関係も消滅します。その後、ご夫婦ともに新生されて、また同じ方と結婚されるケースもありますし、別の方と結婚したり、新生後は独身で過ごされる方もいらっしゃいます。配偶者がおられる方はお1人で決めず、配偶者の方とよく相談して円満に方針を決められることが望ましいです。
新しい戸籍では、法律上の親戚縁者はありませんので、現在の親戚がなくなった場合などに財産を相続することはできません。また、皆さん自身に不幸があった場合も法定相続人はいません。新たに結婚したりお子さんをお作りになると新しい家族ができますから、その際は今まで同様に新しい配偶者やお子様が法定相続人となります。新しい家族ができる前に不幸が起きると、財産はすべて国庫に入りますのでご注意ください。
新生すると国民番号は新しくなりますので、PDAの情報書き換えが必要です。民間サービスでPDAによる国民番号紹介を行う場合、新生後に閲覧できる情報は新しい情報だけになりますので、新生したかどうかを知られることはありません。ですが、行政は現在の情報にもアクセスできますので、今の暮らしに関わる法的問題が生じた場合は新生庁にご相談ください』
この辺りは既に理解している。問題ない。
『新生するのは4月上旬です。その時の年齢は大抵の方は17歳、4月生まれの方はすぐに18歳になります。新生後、半年間のケア期間が終了すると高卒認定が降ります。それ以上の学歴をお望みの方は改めて就学してください』
ここだ。次の人生では実業をしたい。学者という仕事は私には合っていなかった。もう一度大学に行って学び直そう。そのための学費と生活費ぐらいの財産はある。
『皆さんの現在の財産は配偶者とお子様、そして新生される方自身に相続されます。まず、新生される方の財産が半分ずつ2つに分けられ、一方を配偶者の方に、もう一方をご自身に分配されます。
次に、お子様がいらっしゃる場合はご自身の配分をさらに2つに分け、一方をお子様たちで分け、もう一方をご自身が相続します。
この配分は変更することができますが、その際は裁判所の承認が必要ですので、弁護士や司法書士に相談されると良いでしょう。そして配偶者やお子様がいらっしゃらない場合はすべてご自身で相続することになります』
私の場合は妻も子供もいないから、全額私が持って行くことになるな。学費には十分なはずだ。
『相続ですから、相続税が発生します。申告を怠りますと、最悪脱税として罰せられることになりますから、ある程度財産をお持ちの方は税理士や信託銀行などにご相談になるとよろしいかと思います。また、資産が高額ではない場合も手続きの漏れがあってはいけませんので、自治体で行っている無料相談をご利用になることをお勧めします。
なお、負債がある方はご注意ください。通常、負債を抱えたまま死亡すると、相続人が返済の義務を負いますが、相続放棄することで返済を免除されます。しかしながら、新生の場合、ご本人の負債は免除されません。配偶者とお子様が相続を放棄した場合、負債は全額ご本人が相続することになります。この場合、負債額が大きいと裁判所が新生を差し止めることもありますので、負債をお持ちの方は新生するまでになるべく返済するようにしてください。
なお、負債をお持ちの方は借用書や貸借契約書をよくご確認ください。新生手続きを取っているかどうか、金融機関が新生庁に問い合わせることができるという条文があると思います。お借り入れがあるということは、この条文に同意したことになっています。実際、新生庁には定期的に金融機関から大量の照会が行われていますので、逃げられるとは思わない方が良いでしょう』
そうか。なかなか厳しい制度だな。自分のことしか考えていなかったが、制度としては様々なケースを想定しなければならないからな。逃げ得は許さないということだ。私もきちんと納税して新しい生活はクリーンに始めたいものだ。相続税は一体どれだけ取られるんだ? 税理士に聞かなくてもAIに聞けばすぐ解るかな。
さて、財産は……今のままだと家のローンが少し残るな。
結婚してすぐに買った家。子供も2人ぐらい育てることを考慮した少し大きめの家だ。まさか1人で住むことになるとはな。すぐに売って賃貸住宅に移り住むという手もあったが、短い期間だけれども妻との思い出もあって住み続けてしまったな。あと10年余り。せっかくだからこのままローンを支払いながらこの家に住み続けるとして、最後は繰り上げ返済で負債を0にしよう。
問題は株だな。評価されるときの時価が低ければ良いが、高いと大損になるかもしれない。適当なところで現金化した方が良いのかもしれない。検討が必要だな。
おっと、考え事をしていたらビデオが進んでしまった。戻さなければ。
『なお、重い罪に問われている方、裁判中の方、懲役刑を受けている方々は新生することができません。故意はもちろん偶発的な事態も含めて、くれぐれも犯罪を犯さないようお気をつけ下さい。また、事故などの民事訴訟は早めに解決するようにしてください。
最後に、新生制度を申し込まない方、もしくは医師の診断や裁判所の差止命令等により、残念ながら対象外となってしまった方に対するご案内です。
新生されない場合は従来通り年金を受給することができます。健康保険、介護保険も従来通りです。条件を満たした場合は、必要に応じて特別養護老人ホームなどをご利用になることもできます。これらにつきましては、厚生労働省がご案内しておりますので、どうぞそちらをご覧ください。
なお、念のため申しておきますが、新生される方は年金を受給することはできません。また、新生後は新たに社会保険に加入していただきます。生まれ変わるのですから、1からやり直すのだとお考えいただければ幸いです』
うーん。最後が引っかかるなぁ。口さがない評論家なんかは『払い込んだ年金がぼったくられている』なんて言っていたが、新生するための費用は安くはないだろうからな。今まで払い込んだ年金は新生のための費用の積み立てだったと考えれば損ではないと思うが……
この言い方がな。ちょっとカンに障るのかもしれないな。
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あらあら、聡明な夫が気づいていないようですね。
そのまま年老いて年金受給者になると、国としてはただ年金を支払い続けなければならない、一種の負債になるのです。そして、生まれ変わると新たに税金と年金を払うことになるので、破綻した年金制度を延命して国を立て直すことができるのです。
口さがない評論家さんはそこの所の指摘が不十分だから、世間は気がついていないのです。評論家さんもあまり批判すると自分が新生しづらくなりますしね。
それに、技術の進歩で新生にかかる費用は年々下がっていくという算段もあるのです。制度を考えた人と関係業者がウイン・ウインになる訳です。だから老人医療や健康サプリで大もうけしていた業者を押さえ込んで、あるいは巻き込んで新生制度を実現できたのです。
そうです。新生制度適用目前の方々に健康への配慮を強調しているのは、医療・医薬品関係者への配慮なのです。彼らのターゲットを高齢者から少し若い世代に移すことで、関係者の利益を減らすことなく医療費を抑制して年金制度を守っているのです。よく考えたモノです。
時代が変わってもやっていることは同じなのです。
こちらの世界に来た人は、皆、すべてを理解して歯がゆい思いをしています。もちろん感情的にではなく、概念的に。
それと、この制度を作った方々も少しずつこちらの世界に来ています。周囲の方と意識を共有して、ちょっと気まずいようですね。もちろん概念的に。
さてさて、夫はどうなりますことやら……もちろん、私はもう知っているのですけれど。
年齢を修正しました。