12. 春
『あたし、転職するわ』
1月の半ば。光から通話だ。あれから毎日通話している。敬語は止めさせられた。あっちは完全に恋人気分だ。俺にも名前で呼ぶように要求された。
1回戦だけなら酔った末の事故として言い逃れることもできただろう。だが、2回戦に及んでしまったからな。もはや逃げられない。なぜあの時逃げなかったのだろうか? あそこで逃げたら男が廃るというか…… 結局本能に負けたってことか。俺は理性派のはずなのに。自分で自分が解らなくなる。
光はいろいろ悩んだようだけど、以前のアドバイスが役立ったみたいだ。研究を続けるかどうかは聞いてないけど、やりたいこと、やるべきことをちゃんと考えたみたいだから良いんじゃないのかな。
どうせ結果はやってみなければ解らない。そして、採らなかった道の結果は永遠にわからないのだから…… それは俺と光の関係も同じか。
「そうか。それも良いね。転職先は決めたのかい?」
『まだ転職サービスに登録しただけ。とりあえず大学には辞表を出すわ』
「今頃辞表って、遅すぎるんじゃないのか?」
大学というところは年度単位で運営している。1月半ばと言えばどこの大学でも次年度の教育カリキュラムはほぼほぼできている頃だ。つまり、誰がどの授業を担当するか、時間割まで作っている。急に抜けるとなると、抜けた曜日の抜けた時間に抜けた科目を代わることができる先生を探さなければならない。
そこまで都合のいい人は見つからないから、とりあえず抜けた科目を担当できる人を探す。その場合、時間割は他の先生も巻き込んで調整するから、大学というか学部が大騒ぎになる。
最悪、代わりの人が見つからない場合は、過去のビデオを加工してリモート授業でごまかすんだけど、それじゃあ学生からの評価が落ちてしまうから、なるべくリアルタイム授業にしたいんだ。
『そこは大丈夫。もう結構前から教授には相談してあって、助教が一人昇格してあたしの授業を受け持ってくれることになってるから』
「ふーん、それなら問題ないか。で、仕事は何するの?」
結構根回ししてたんだな。円満退職できるなら問題ないな。
『AIエンジニアかな。市販のAIをカスタマイズしたり、教育したりっていう仕事はたくさんあるみたい』
「なるほどね。じゃ、4月になったらお別れだね」
『何言ってんのよ! リモートワークできる仕事探してるんだから別れる必要なんてないでしょ!』
「そ、そうか。ごめん」
『傷つくなぁ… ちゃんとあたしのこと愛してる?』
いや、まだそんな感じじゃないんですけど…… 黙ってたら怒られた。ま、そうなるよな。
その日の通話は最後までお説教だった。不思議と不快ではないんだな。これが。
年末、社長と奥さんの学力測定のテストをした。驚いた。二人とも地元の高校卒だと言っていたが、結果は中学の中の下レベルだった。会社の事務はできているが、学問とかテストとなるとまるで対応できないようだ。
『孝がちゃんと教えてくれるよ』
奥さんは豪快に笑い飛ばして俺に丸投げだ。俺は山の勉強を兼ねて働きに来てるんだがな。家庭教師代、別にもらえるんだろうか? ま、飯は只だし、なくても良いけど。
まずは脳トレだ。親が東大に入れたいと考えたら、自然人の子供は幼稚園ぐらいから遊びを兼ねたトレーニングを受ける。だが、社長夫妻は50代だ。幼児向けのトレーニングなんてやっていられない。とはいえ、いきなり学問を教えても頭に入らない。まずは凝り固まった頭をほぐしてやらないとな。それと直感ではなく、論理的に考えることを習慣づけないといけない。
その次に学力向上だ。中学レベルの学力を完璧にして、一流高校に入れるレベルにしてから大学受験勉強に移る。
さて、どうしたものか。ネットで幼児教育と熟年の脳トレを調べてみたが、この二つを融合する方法は今のところなさそうだ。新生人の間で問題になっていないのか?
逆に、俺が新しく考案して社長夫妻で効果が上がったら特許が取れるかも知れん。上手くいけば一生遊んで暮らせるぞ!
って、雑念が…… それに試している時間はないぞ。確実な方法で2人を教育しなければならない。
俺が悩んでいるというのに、社長夫妻は年末年始、彼方此方に挨拶回りだ。全然家に居ない。
事業をする上で関係者とのコネクションは重要だ。昔ながらの年賀状も送っているらしいが、リアルに挨拶に行くことが重要なのだろう。
だから毎年やってるんだろうな、と思ったら今年はいつもの倍以上回っているそうだ。新生後に備えて早くも関係団体とのコネクションを強化しているという。すごいバイタリティだ。今すぐ政治家になっても良いんじゃないのか? 議員なんて学歴要らんぞ。
だが、奥さんはもちろん、社長もしっかり考えている。ただ議員になるだけではなく、林業や環境に効果的な政策を立案、立法するためには有能なスタッフが必要だと。そのためには農林水産省で一定の地位を得て、省内に協力者=スタッフを確保するのだと。そして、省内で力を得るためには外部の団体とのコネクションが役立つだろうと考えている。
なかなか論理的に考えられるじゃないか。これなら基礎トレーニングは割と早く終えられるかも知れないな。
それにしても、外郭に派閥を持って入省するなんて、権力者のボンボンでもなければ自然人には絶対にできないな。新生人こえぇ……
早いものでもう春だ。社長夫妻にはごく基礎的な指導と今後のカリキュラムを示して、あとはリモートで指導することにした。まだ10年以上時間はあるからな。ウカウカしては居られないが、今から慌てても仕方が無い。俺は街に、大学に戻る。
4月の第一土曜日。丸3ヶ月無人だったアパートだが、リモートで空調を管理していたのでカビなどの発生もなく、ほこりも積もっていない。特に換気や清掃もする必要はなく、いつも通りに生活できる。
荷物を片付けて外へ夕食を食べに行こうというときに光がやってきた。
「やっと逢えた!」
ドアを開けるなり抱きついて来る。まんざらじゃないが、何か引っかかる。
なだめて一緒に食事に行った。
ちょっとしたレストランだ。人目があるからな。今日は俺はノンアルコールだ。
しかし、今月20歳になる。酒が入ってくるからな、いろいろ気をつけないといかん。もう不慮の事故は許されん。
「新しい職場はどう?」
「夕べこっちに帰ってきたの。都会は疲れるよね。来週からテレワークで良かった」
東京のAI会社に転職した光は、入社手続きとPCなどの機材の受け取り、関係先への挨拶のために東京に行っていた。社会人なので新入社員研修などは全部免除だそうだ。
「ちょっと可愛くなったか?」
「ちょっとぉ? すごくの間違いでしょ! 大学でオシャレして学生誘惑するわけにはいかないから抑えてたの。今回は東京に行ったついでに美容室行って、服とかメイク道具とかも仕入れてきたの。ま、気がつかないほど朴念仁じゃなかったってことで許してあげる」
俺より10歳以上年上なのに、なんか子供っぽいんだよな。
そういえば、新生前の記憶がハッキリしないとか言ってたな。セミナーの時。
いつか聞いてみるか。今じゃないな。
「東京なんて新幹線ならすぐだろ?」
「片道1時間半ぐらいかな。時々出社なら良いけど、毎日通勤してたら面倒だよ。それに会社が交通費出してくれなきゃ破産しちゃうよ」
「そりゃそうだ」
「それでさ、一緒に暮らそうよ。2部屋借りてると勿体ないし」
おっと、いきなりそう来たか。
「いや、まだ交際3ヶ月だろ。しかもリモートの」
「関係ないよ。心が通じていれば」
心が通じている実感がわかない…… 黙っていたらまた叱られた。
そして心のつながりを強めるためと称して光の部屋に行き……
そんなわけで、俺は早々にアパートを引き払って……? 引き払わされて? 光の部屋に転がり込んだ。俺の方が荷物が少ないし、夏に1ヶ月、冬に3ヶ月も部屋を空けるからな。無駄と言えば無駄だ。
とはいえ、なんだか振り回されている感が。光といい、社長夫人といい…… 俺ってこんなに女性に振り回されるタイプだったっけ?
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「二代目は私と別人格だということに気がついたんじゃないか?」
「まだそこまでは考えていませんよ。体と環境が変わった影響だと思っていますから、一生気がつきませんね。それよりも、二代目夫さんは私のことをまったく思い出してくれないみたいですね」
「とんでもないことだ!」
「きっと初代夫さんが新生前に心の整理を付けてしまったからですね」
「え!? …… 私のせいなのか……??? でもな、新しい門出っていうものは…」
「ほらほら、ブツクサ言っていないで少し先に行きましょう」




