9. 夫婦
二度目の山の夏が終わろうとしている。林業のスキルはさっぱり上がっていないが、前世に比べると心が広くなったような気がする。定量的に計測できないのでただの主観だが。
サカイ林業の山は複数ある。全部を見回るのはなかなか大変だ。今日は社長と二人で一番遠い山に入る。
あの時から2週間以上空いた。今日も新生の話が出そうな気がする。ま、俺としては相談されたら真摯に対応する、されなければそっとしておくという既定方針でいく。
社長の雰囲気はいつも通りだ。ちゃんと指導してくれる。取り越し苦労だったかな。いや、来るとしたら帰りだな。車の中だろう。
「留浦君、ちょっと立ち入ったことを聞いても良いかな?」
案の定だ。自然人の19歳なら戸惑うだろうが、中身が69の新生人だ。心の準備はできているよ。
だが、社長は俺を若造として扱ってくれているからな。その気持ちに水を差さないように対応してあげなければ。
「はい、何ですか?」
「生まれ変わる前のことなんだが……、結婚はしてたのかい?」
「ええ、2年ほど。事故で死別しました」
「そうか。済まない。悪いことを聞いてしまったな」
「いえ。昔のことですから。生まれ変わって気持ちを入れ替えましたから大丈夫です」
「じゃあ、新生するときは一人で考えて決めたのかい?」
「そうです。特に相談した人はいませんでしたね」
「そうか……」
思いっきり残念がられている。何だろう。奥さんの絡みだろうか?
「奥さんのことですか?」
目を伏せて考え込んでいる。やばい! と思ったら、いつの間にか自動運転に切り替わっていた。ある程度山から下りていたからな。良かった。
山の中ではガードレールのないところや、道とは判定されないところもあって、そういうところでは手動で運転しなければならない。だから伝統的に『軽トラ』と呼ばれるこのタイプの作業車は昔ながらの形で、ブレーキはもちろん、ハンドルもアクセルも計器類も付いている。
農業や漁業、鉱業、建設業なんかでも手動運転機能がなければ仕事にならない。緊急自動車にも手動運転機能があるらしい。まだまだAIに任せられないし、AIベンダー側もこの領域にはあまり踏み込みたくないようだ。
俺も手動運転免許を取った方が良いな。
「あれがな、新生したくないって言うんだよ。このまま歳をとって自然に死にたいって」
「そうなんですか!」
前世の俺の周囲にも新生しなかった人は少なからず居た。理由はいろいろだった。調べたわけではないが、人生とか世の中に悲観的で新生に魅力を感じない人、一定の幸福を得て人生に満足した人が新生しないようだ。悔いがあってやり直したい人、欲の強い人がより多く新生している気がする。
奥さんは今の人生に悔いがなんだろうな。十分幸福なんだろう。羨ましい。
「俺は新生して仕事を続けたいんだが、あいつが手伝ってくれないって言うんだ。
あいつの老後の面倒を見るって言うのは良いんだが、あいつが逝っちまったらそのあとどうすりゃ良いんだ? って思うとな」
ウーン。そんな立場考えたことないぞ。何も言葉が返せない。
「あいつはさ、若い娘見つけりゃ良いって言うんだけどよ。山に来てくれる娘なんてそうそう居ないしな。居たとしてもその娘と夫婦として何十年もやっていけるのか? そもそもずっとあいつと一緒にやってきたんだよ。生まれ変わったとしても今更って考えると、俺も新生しないでこのままの方が良いのかって思うんだ」
少し間が空いた。なんと応えるべきだろうか。良い考えが思いつかない。痺れを切らしたのか社長がまた話し出した。
「問題は後継者なんだよな。日原か倉沢に継がせても良いんだが、どうもあいつらは人を使うとか事業を営むって言う、そういう考え方がちょっと弱いんだよ。特に山の問題はデリケートだ。役所とかとも相談とか話し合いが必要だしな。木の面倒が見れれば良いってもんじゃない。あいつらに任せることは不安なんだ。留浦君がもう10年早くうちに来てくれたら事業を譲っても良かったんだが……」
「いやいや、それは」
確かに俺ならステークホルダーとの折衝はできるだろう。事業戦略という視点で考えることもできるだろう。だが、俺は社会から少し距離を置いて自然の中で生きたいと思ってここに来たんだ。そんな考えは甘いっていうのは解っていたが、他の3人の従業員と同じような立場でのんびりやっていきたいと思ってる。
正直、事業継承の話は迷惑だ。ま、10年早く、って条件付きだから良かったが。
「環境が人を育てるとも言いますからね。日原さん達にある程度経営に関わる業務の権限を委譲してみたら変わるかも知れませんよ」
「そうか…… 俺もあと20年ぐらいは働けると思うからな。その間に2人を鍛えるか。日原は去年40になったんだよな。あと2,30年はやれるか。次の世代はまた考えれば良いな」
どうやら後継者問題にはアドバイスできたようだ。社長の新生にも一言言っておこう。
「社長、新生のセミナーだけは受けておいた方が良いですよ。正式に新生を申し込むのは3年後ですから。その間に奥さんの考えも変わるかも知れませんしね」
「ああ、そうか」
「セミナーは結構踏み込んだ内容ですよ。俺もあれを受けるまではそれほど乗り気じゃなかったんです」
「そうなのか!?」
「ええ。いろいろ考えさせられますよ。『俺の人生って何だったのかな?』とか。そしたら俺はなんだか『生ききっていないな』って思えてきたんですよ。悔いが残るって言うか。それで『もう一度やり直そう』って決めたんです」
「ふーん」
「奥さんはおいくつでしたっけ?」
「俺の1つ下だ」
「でしたら、1年後に奥さんに案内が来たら、最初から拒否しないで、セミナーだけ行くように説得してください。セミナーを受けたら奥さんの気も変わるかも知れません」
「そうかなぁ。あいつは頑固だからな」
「俺も協力しますよ。結論は3年後に出せば良いんです。今チャンスを潰してしまうことはないですよ」
「それもそうか……」
「その間に新生後の希望というか、目標というか、やりがいかな。そんなものが見つかれば新生したいと思いますよ」
「そうか。それもそうだな。うん、そうしよう。留浦君、ありがとう」
「いえ、俺で良ければいくらでも相談に乗りますよ」
よし、なんとかまとまったな。
しかし、なんとなく俺がサカイ林業に就職するような話になっていないか? 今は林業の勉強をしているだけで、まだ将来のことは考えていないんだがな。
ま、仮に就職したとしても経営を任されるようなことは避けられそうだ。
それよりも社長の未来だな。この人の知識と経験をこの先にも活かしてもらいたい。後継者に上手く伝えられればそれでも良いが、やはり新生してもらってそのまま仕事を続けてもらうのが世のため、人のためになるんじゃないだろうか。
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「二代目夫さんはすっかり新生制度の信者になってしまいましたね」
「まったくだ。初代が安楽死させられると知っていればあれほど勧めることはないだろうし、社長も奥さんとともに生ききろうと思うだろうにな」
「そうですね。知らぬが仏と言ったところですね」