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【完結】--新生--生まれ変わって山へ、宇宙へ  作者: 浅間 数馬
第二章 山へ
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8. 迷い

夏休みだ。明日からサカイ林業で仕事だ。今日移動して、1ヶ月間、社長宅に居候させてもらう。着替えとPDAの他には弓道教本を持ってオンデマンドバスに乗って山に向かう。


無事に弓道初段審査を終えた。矢を2本持つ『一手二射』という射法で二射とも的には当たらなかったが、ペーパー試験というか論文が書けて、型の基本が一通り覚えられていれば良いらしい。うちの新入部員は全員合格だ。

弓道教本はいまだに紙の本だ。変わらないものがあるものだ。書いてあることは大体覚えたが、何度も読み返せと師範が言う。心というか、腹の底というか、頭で理解するのとは違う理解の仕方がある。前世で理論的なことしかしてこなかった俺にもそういうものがあることは解る。日本人だからな。

山の仕事にも通じるものがあるんじゃないだろうか。漠然とそんな期待を持って何度も読み返している。今はまだ暗記レベルが上がっていくばかりだがな。


それにしても部活をしていると学生生活が楽しい。生まれ変わって良かったと心底そう思う。


バスの中でそんなことを思っていると、PDAにメッセージが来た。原先生だ。

ちょっと憂鬱だ。

あれから時々メッセージが来るようになった。最初のうちは俺の昔の論文についての質問だとか、原先生の論文を読んで意見をくれとか、そんな内容だった。

それが、いつの間にかどうでもいい日常会話に変わってしまった。なぜ俺が相手をしてやらなければならないのか? 段々面倒になってきた。そろそろ既読スルーしてみるか。


『夏休みだね。どこか行くの?』


これは…… ちょうど良いかもしれない。


『今日から1ヶ月住み込みでアルバイトです』


ぶっきらぼうに返信した。上手くいけば1ヶ月解放してくれるかもしれない。その後、自然に途切れてくれればありがたい。




「よく来たな。待ってたぞ」


社長と奥さんが迎えてくれた。3月にも居候したが、また同じ部屋を占拠することになる。かつての子供部屋らしい。

社長夫妻のお子さんは名古屋でサラリーマンをしているらしい。林業を継ぐ考えはないそうだ。社長は後継者に悩んでいる。よくある話だ。

夏休みにお孫さんが遊びに来るのかと思ったら、孫はいないらしい。少子高齢化だな。

新生制度で高齢化には多少はブレーキがかかっているようだが、出生率はじわじわと下がり続けているようだ。日本の人口ピラミッドは68歳以上と17歳未満の人口が少ない、いびつなピラミッド構造というか、ケバブぽい構造になっている。上が少ないのは良いとして、自然人の若者が少ないことは、やはり社会に歪みをもたらす。

そしてすべての人が新生するわけではない。新生しない人が産まれてくる自然人より多いから、人口は減少傾向だ。まさに削られていくケバブの様だ。


それはさておき、そんなこともあって、社長夫妻は俺を孫のように可愛がってくれる。お陰で体だけ若返った俺も甘えることに慣れてきた。


「はい、俺もここに来るのが待ち遠しかったです」

「そうかそうか」


社長も嬉しそうだ。




今日は社長と一緒に山に入った。軽トラで行けるところまで行って、そこで装備を身につける。春との違いは熱中症対策だ。

ペルティエ素子またはペルチェ素子という、電気を流すと冷える電機部品を要所要所に取り付けた上着を着る。これには送風ファンも付いていて、服の中全体が冷えるようになっている。ヘルメットの中にも冷風が入ってくるので爽快だ。バッテリー駆動なのだが、最近のバッテリーは大容量なのに小型軽量で発熱も少ないから気にならない。

地球温暖化が警告されてから数十年。温暖化ガスの排出量も消費電力も減少傾向にあるが、人間の努力も虚しく気温はどんどん上昇している。人間だけが原因ではないんじゃないかな。原因を解明するヒントが山にあるんじゃないのか。俺は漠然とそう考えている。


社長の目はすごい。ドローンや各種センサーでは解らない細かい状況が見えている。枝の張り具合、木肌の苔、下草の種類と繁り具合、様々なものを一瞬で把握していく。

そしてその見方や理由、関連などを一つ一つ解説してくれる。覚えきれないほどだ。

この社長の目と知識をデジタル化できれば林業はもっと効率化できるのではないだろうか。つい、昔の癖でそんなことを考えてしまった。いかんな。今は素直に林業を学ぶときだというのに。生半可な理解だと、改善のつもりが改悪になりかねない。

おっと、いけね。頭の中の言葉遣いまでジジ臭くなっちまった。




「なあ、留浦君、新生って… その… どうだい?」


山を歩きながら社長が話しかけてきた。


「どうって聞かれても……」

「痛いとか苦しいとか、面倒なことはないのかい?」

「まあ、痛くはないですよ。何度か全身麻酔するんで、それがちょっと不快だったな」

「そうか。不快か」

「ええ、でも我慢できますよ。若返ったときのことを想像すると苦じゃなかったですね」

「そうか……」

「悩んでるんですか?」

「ん? んんん」

「社長らしくないですね」

「……」


歯切れが悪い。多分、聞きたいことは他にあるのだろうな。




その後、社長は無口になった。事務所に戻っても特に何も言わずに奥に引っ込んでしまった。


「何かあったのかい?」

「奥さん、いや、ちょっと新生のこと聞かれたんですけど、その後なんか様子が変なんですよ」

「ああ、そういうこと」

「悩んでるんですか?」

「うちの人は来年55だからね。後継者問題もあるし、悩むよね」

「後継者ですか。それなら新生してしまえば自分で続けられますよ」

「あの人もそう考えてるんだろうけど、踏ん切りが付かないだよ」

「それなら2年かけてゆっくり教えてくれますから、とりあえずセミナーに行ってみたら良いと思いますよ。俺も最初は半信半疑でしたから」

「ふーん、そうなの。じゃ、そう言っておくわ。ありがと」

「いえ、俺の体験談で良ければ話しできますから、遠慮しないでください」




その夜だった。心を落ち着けて弓道教本を読んでいると、PDAに音声通話の着信があった。

俺に通話って珍しいぞ。画面を見ると発信者は原先生だった。うーん……、気がつかなかったことにしよう。

呼出が途切れるまで待ってから、もう一度心を落ち着けて教本を開く…… まったく集中できない。参ったな。


しばらくするとまた着信だ。どうしよう。出た方が良いのかな…… やっぱりよそう。

PDAを部屋に置いて外に出た。


夏だが、山の麓だ。湿度が高いので爽快とは言えないが、暑くはない。早くも夜露が降り始めていて、足下の雑草が湿っているのが解る。この湿った匂い、嫌いじゃないな。

田舎の夜は騒々しい。虫と蛙の大合唱だ。街灯の近くでは蝉まで鳴いている。都会の方が静かなんじゃないだろうか。

山に囲まれたあまり広くない空を見上げると雲が結構出ていた。その合間から星が見える。前世では近視で星なんてよく見えなかった。今は裸眼でも多くの星が見える。残念なことに湿度が高いからキラキラといった感じではないが。

見えるということがとても嬉しい。生まれ変わって1年以上経ったが、今のところ新生を後悔したことはない。この気持ちを上手く社長に伝えてあげられれば、社長も悩まずに新生するんじゃないだろうか。

いや、1年ぐらいの経験じゃまだ不足か。


林業という産業は他の産業に比べてとても長い時間スケールで営まれる。植林した新しい木を自分で伐採する機会は限られている。普通は間伐ぐらいだ。木材として出荷できるまで成長するためには最低30年はかかる。大木は数百年だ。

今伐採している木々はほとんど先代が植えたものだ。中には先々代が植えたものもある。自分で植えた木を自分で伐採することは、人にはできない。新生でもしなければ。

社長は一本の木の一生を最初から最後まで見たくはないのかな? 見てみたいだろ、って言うのは門外漢の妄想に過ぎないのかな?


人の心はその人自身にしか解らない。いや、その人自身も解っていないってケースもあるよな。他人の心を解った気になってお節介を焼くと相手に大きな迷惑をかけたり、傷つけてしまう。

人の気持ちがわからない奴に限ってお節介を焼くんだ。俺はそんなことしたくない。社長はいい人だ。俺は社長が好きだから、社長の心に土足で上がり込むようなことはしたくない。

相談されたら真摯に向き合って、できる限りのアドバイスをしよう。それまではソッとしておいてあげよう。

うん、それが良い。


こういう配慮を理解できない奴らからは『冷たい』って言われるんだがな。幸い、サカイ林業にはそんな人は居なさそうだ。みんな言葉ではないコミュニケーションで解っているんだろうな。

俺も早くその言葉じゃないコミュニティに入りたいな。



=====

「二代目夫さんは原さんに冷たいですね」

「ホルモン的には興味があるようだが、私の記憶と思考では特に惹かれるものがないからな。二代目も同じ考えなのだろう」

「ちょっといやらしくないですか? その言い方」

「スケベは人が持つ生物としての本能だ。相手や社会に迷惑をかけなければ問題ない」

「それでは、二代目さんは本能に逆らっているんですね?」

「健康な自然人の若者なら年上のお姉さんにいろんなことを教えてもらいたいと思うのが普通だ。だが、あいつは俺の記憶と思考を持っている。一通り経験しているから焦りはない」

「ああ、なるほど。あの人とのあんなこととか、あっちの人のアレのことですね?」

「な!? なぜそれを? あ、もう見てしまったのか?」

「はい。時間を遡って私と出会う前の初代夫さんの半生も拝見しましたよ。私が死んだ後もお二人いらっしゃいましたね。残念なことに長続きしませんでしたけど」

「……」

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