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恋愛学園のアンテロース  作者: 宗真匠
第二章
30/30

30.復讐者

 夏がゆっくりと近付く季節。じめじめとした嫌な暑さが体に張り付く。

 季節のせいだけではないのかもしれない。保健室の空気が嫌に重い。

 周防はいつもの爽やかさの欠片もないじっとりと不気味に笑う。


「俺の前でその話を暴露したってことは、全て話してくれると思っていいのか?」

「うん、そのつもりだよ」

「どうして俺なんだ? 信頼して話してくれる、なんて間柄じゃないだろ。さっきも言ったが、俺は興味が湧くことにだけ尽力する。俺が2人の関係性を崩壊させるかもしれないぞ」

「だからこそ、だよ」


 周防の意図が読めず俺は目を細めた。

 彼はそんな俺を見て楽しそうに笑う。

 その笑顔を見ていると、これまでの彼の笑顔が作り物だったように思えてくる。

 無邪気な子供っぽい、心から喜びを感じているような笑顔。

 この会話の中でそんな表情を見せる周防は少し不気味だ。


「君が僕たちの関係を壊してくれるなら……僕のしがらみを壊してくれるなら、僕にとっては本望なんだ」

「お前と君下は知り合いなのか? とてもそうは見えなかったが」


 周防が君下を嫌悪している、或いは類似した感情を抱いていることはこれまでの言動から明白だ。

 君下を挑発できるネタを持っていたことからも彼らはこの学校に入学する前から見知っていたと考えるのが妥当だろう。

 全国から学生が集うこの学校で顔見知りがいる可能性は限りなく低いが、逆に言えば全国でもたった1校しかないこの恋愛学園だからこそ、見知った人物がいてもおかしくはない。

 事実、俺と喜一は同じ中学の出身だ。2人でこの学校を志望し、偶然にも2人とも受かった。前例がある以上、どんな可能性も否定はできない。

 しかし、彼らの会話やこれまでの関係性を見るに旧知の間柄のようには見えなかった。

 周防が一方的に知っているだけか……とも思ったが、彼は首を振って否定する。


「僕と君下君が知り合ったのはこの学校に来てからだよ」

「だとしたら、この1ヵ月でいざこざでもあったのか?」

「それも違うね」

「……だとしたら、随分と理不尽な当たりじゃないか?」

「そう……かもね。でも反省はしてないよ。誰にだって相容れない人はいるから。僕は彼を嫌悪してる。彼の性格や行動……全てが嫌いで仕方ない」


 周防らしからぬ発言だ。いや、俺が周防邦好という男を理解していなかっただけか。

 俺だけじゃない。周防を知る人物のほとんどが彼を人当たりがよく真面目な好青年だと評価していた。

 しかし、彼はそんなにお利口さんじゃない。裏の顔があるとでも言うべきか。その優等生の仮面の内側には憎悪に近い感情が眠っているように思う。

 周防は自嘲的な笑みを見せると、ベッドの端に腰をかけたまま顔を伏せた。

 誰もが知る彼の姿はそこにはない。剥がれ落ちた優等生の仮面の下に本物の周防を見た。

 脆く弱々しい。春風のひと吹きで倒れてしまいそうなその姿を前に俺は密かに笑みをこぼす。


「よかったら聞かせてくれないか? 周防がどうして君下を嫌うのか。お前の過去に何があったのか」


 そう問いかけるまでもなく彼は話すつもりだっただろう。

 だが、好奇心が先行して余計なことを口走る。知られたくない過去。隠してきた裏の顔。それらが垣間見えた瞬間、俺は沸き立つ欲望に抗えなくなっていた。

 周防のことをもっと知りたい。彼が何を考え、何をしようとしているのか。どうして君下を排斥しようとするのか。

 俺の興味は既に周防邦好という男にスポットを当てていた。

 周防はわざと考える仕草を見せる。それが演技であることくらいは俺にもわかった。

 そして彼は、躊躇うことなく話し始める。


「天沢君は、全ての人が善人だと思う?」


 突拍子もない質問。だが、先程までの話と無関係とも思えない。

 答えは考えずとも決まっていたが、俺はあえて数刻の時間を置いて答える。


「……思わないな。人には必ず良いところがあって、どんな悪人にも善の心が宿っているという論もあるが、それは理想論だ。むしろ俺は、悪どい考えを持つからこそ人間だと思う」

「なるほどね。僕もそう思うよ。悪い人はどこまで行っても悪い人だ。人の価値観や思考はそう簡単に変わらない。純粋な善人なんて存在しないんだよ」


 周防の言うことは正しい。人は変わりたいと願ってもそれ相応の努力をしなければ変われない。悪人は常に悪人であり続ける。多少の変化ではそのレッテルが剥がれることもない。

 しかしそれは、悪人が善人になろうとした時の話だ。その逆はいとも簡単に起こりうる。善行はその人物の根底に善意がなければ成せないが、悪行を止めるのは自身の中にある善意だけ。

 実際にその様を目の当たりにした俺には、周防も同じ道を歩もうとしているように見える。彼自身に自覚はないかもしれないが。

 過去と現在を重ねながら、周防の言葉に軽く頷いて返す。

 彼がどちらに転ぼうとも彼の人生だ。俺が口を出す権利も義務もない。俺はただ、自身の悪意的な好奇心に従って傍観を続けるだけだ。

 俺の同意を得て周防は続ける。


「中学生の頃にも居たんだ。その純粋な悪人って人が。僕は物心ついた時から人前に立つことに忌避感がなかったんだ。輪の中心として皆を引っ張ることは嫌いじゃなかったし、人が嫌がるようなことも率先してやったよ。それでクラスは上手く回っていたし、皆が喜んでくれるなら僕も嬉しかった」


 過去の人生を振り返り、一歩一歩たどって行く。思い出して、微笑む。彼にとってそれまでの人生はとても充実していて、彼の栄光とも呼べる日々だったのだろう。その顔を見ていればわかる。

 周防が演じていた仮面は、過去の周防の人格そのものだったんだ。他人に献身的で自己犠牲を厭わない。それすら喜びと感じ、自身の存在意義に昇華する。周防の言葉を借りるなら、純粋な善人とも言える人間だった。当時からすれば彼はとうに悪人としての道を歩みつつあるのかもしれない。

 彼に自覚があって先の言葉を口にしていたのなら、なんとも嘆かわしい話だな。

 密かに憐憫の情を催していると、突如周防の表情が曇る。

 全ては過去形での話だ。つまり、今は違うということ。彼が変わるに至った経緯が君下との関係性に繋がってくる。


「でも彼は、それまでの平穏な日々を突然壊した。自分のわがままで、恫喝で、暴力で、恐怖で、僕の大事なクラスメイトを傷つけた。大切な人を奪った」

「奪ったとは……また物騒な話だな」

「少し誇大だったかもしれない。だけど、決して過言じゃない。人一人の人生が奪われたのは確かだから」


 そう強く言い放った周防の表情には憎悪が満ちていた。黒く渦巻く感情が体の中で収まりきれずに全身から漏れ出している。表情。声。仕草。そのどれもが彼の憎しみを物語る。

 そこに心優しい青年の面影はない。この感情を押し殺して1ヵ月以上普通に生活していたことが不思議でならない。未だ彼が悪に染まっていないのは、偏に彼の強い精神力があってこそだったのだろう。

 それが今、抑えきれなくなった。俺という他人を前にしても吐き出してしまうほど、彼の中の憎しみは大きく膨れ上がっていたということだ。


「よくもまあ、君下を前にして我慢できたものだな。よかったのか? 俺に話して」

「良くはないだろうね。でも、我慢ならなかった。君下君を前にしてもこれまで耐えられたのは、彼がまだ普通の人だったからだよ」

「トリガーは体育祭のあいつの言動か」

「そうだね。やっぱり彼もあいつと同じだった。そう確信したんだよ」

「自分の力を誇示する自分勝手な人間。お前は君下をそう評価したということだな」

「そういうことだよ」


 たかが体育祭。自分の得意なステージで多少舞い上がってしまうのは仕方のないことだ。俺は君下に非があるようには思えない。

 しかし、周防にとっては違うのだろう。その小さなわがままでさえ、過去の出来事と重ねてしまう。わがままで自分勝手なのはどちらなのか、判断に困るところだな。


「逆恨みと思ってくれても構わないよ。けれど、彼が君下篝である以上、僕は彼を許さない」

「わからないな。お前が恨むのは君下だけなのか? その取り巻きもやってることは同じだ。あいつらにはお前の憎悪は向いていない気がするが」

「そうだよ。彼が君下篝でなければ、僕は彼を放ってチームの勝利を優先しただろうね」


 周防は顔を上げないまま、淡々と無機質な声で答える。

 不自然なほどの君下への固執。それが意味するところは凡その察しがついている。

 だが、周防がはっきりと口にしないのは、まだその点は伏せておきたいという彼の躊躇いがあるからだろう。

 言及すべきか逡巡していると、彼は声のトーンを落としたまま言う。


「そろそろ戻った方がいいよ。僕の怪我も大したことはない。皆にもそう報告しておいてほしい」


 これ以上の追及は難しいか。状況を俯瞰できるだけの情報は得られたし、今はこれでいい。

 ボロボロの心境でもクラスメイトの心配ができるのは流石の一言だな。やはり周防はクラスの中心に居るべき人物だと改めて感じた。

 俺は部屋を出る前に、もう1つだけ彼に問う。


「どうして俺に話したんだ? 俺が君下と繋がっている可能性もある。無闇に人に話すことでお前の目標が閉ざされることだってありえるだろ」


 周防が生徒会に入りたい理由も想像がつく。それに、MVPを狙うもう1つの理由も。

 相手が俺だったからよかったものの、周防の裏の顔はそう簡単に他人に見せていいものじゃない。下手をすれば彼自身がこの学校に在籍できなくなる。

 俺としてもそれは少し寂しいことだ。

 周防は自身の過ちに気付き、ふっと小さく笑う。


「ここまで話すつもりはなかったんだ。でも、君なら僕の力になるかもしれないとも思った。それが理由だよ」

「……そうか。お前の口から全てを聞くまで結論は出さないでおく」

「それでもいいよ。君が敵になろうと、僕は復讐を成し遂げる」


 俺は既に答えを決めていた。俺は自分の興味のために動くだけだ。

 だが、彼の宣告に俺は何も言わなかった。俺には俺の目的があるように、周防にも周防の信念がある。彼が今後何をしようとしているのか。その先にどんな結末が待っているのか。それを見届けるのも悪くない。

 優等生の皮を被った復讐者を横目に、俺は重圧漂う保健室を後にした。

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