8、その頃、フレサは――
もうすぐ王都に着く!
フレサ・ヴェンデラーは、街道を行く馬車の中で期待に胸を膨らませいた。
聖女で勇者の光――十日前の聖女儀式が、フレサの人生を一変させることになる。
一伯爵令嬢であるフレサは、割と美貌には恵まれていた。素性を隠して男漁りや夜遊びなど、色々と貴族の娘として問題となる行為も平然としていた。
母シアスが何かあれば問題を揉み消した。その母自身も、伯爵に取り入って妻に収まっただけに留まらず、あれで今も男と遊んでいるのだから、子供も子供なら親も親だった。
伯爵家の財産を浪費させての贅沢な日々。
しかし貴族の娘である以上、聖女儀式は避けては通れない。高いお金を払って、儀式を回避する方法もあるにはあった。
何せ儀式は時に、その娘の命を奪うことがあったから。
フレサとしては儀式で死にたくはなかった。だがシアスは、娘を守る手段を講じていた。 これまで追い出さずに家に起き続けたリリーを儀式に受けさせる。ヴェンデラー伯爵令嬢ではあるのは事実であるが、ずっと引きこもっていたこともあり、多くの者がヴェンデラー伯爵家に、年の同じ娘が二人いるとは思われていない。
見届け役の神官には、ひとりと申告して儀式に、リリーを送り込む。それで万が一命を落としたとしても、どうせ遅かれ早かれ追い出すなり殺すつもりだったので、手間が省ける。
何もなければ、ヴェンデラー伯爵家は儀式が終わりました、で済む。そしてシアスはフレサにこう告げた。
『もし、万が一……万が一にも、リリーが聖女の洗礼を受けることがあったら、あなたは神官を背中から刺して殺しなさい。そしてそれをリリーのせいにするの』
警備として同行する騎士たちは、祠の外にいる。誰が神官を刺したかなどわからない。そこでいの一番に、リリーが刺したとフレサが伝えれば、後は騎士たちが始末をつけてくれる。
リリーより先に騎士たちに自分が聖女だとフレサが言えば、リリーが聖女は自分だと主張しても手遅れ。神官の死体と合わせてみれば、早く言った者勝ちなのである。
『そしてリリーが始末されたなら、あなたが聖女となるのよ!』
聖女となれば、百年ぶりの出現。周りが勝手に持ち上げ、富と名声は欲しいままだ。王国からも手厚く保護され、また王子とも結婚できるかもしれない。それだけ聖女とは優遇されるものなのだ。そこらの貴族よりも。
成り上がりのシアスとフレサにとっても、それはチャンスと言えた。もっとも、リリーが本当に聖女になれるなんて、ふたりとも思っていなかった。
だが世の中というのは不思議なもので、その万が一が起きてしまった。リリーは聖女で、しかも勇者の適性まで授かった。
万が一が起きたため、フレサはまさか本当になるとは思わなかった計画を実行。バラ色の未来に目が眩み、神官を殺害。リリーにその罪を押しつけ、まんまと自分が聖女で勇者だと名乗ったのである。
騎士たちはリリーを神官殺しとして囲んだが、彼女はその場から消えてしまった。真相を知る者が逃げてしまったことに、フレサは不安を覚えたものの、シアスは首を横に振ったのである。
『もう神官殺しはリリーの仕業と、教会から王国、そして諸侯に知れ渡るわ。お尋ね者の言葉など、誰も信じないわ』
それよりも、とシアスは、フレサの肩を叩く。
『これからはあなたが聖女で勇者として、この国を動かすのよ。これからもっとお金も入って、好きに遊べるわ!』
『新しいドレスが買いたいわ!』
『ええ!』
『お屋敷を買いたい。それで顔のいい男たちを集めて、ハーレムを作るの!』
『思いのままよ! ……でも、表向きは聖女らしく振る舞ってね。裏で遊んでもいいから』
シアスはニンマリとした。
『私も、聖女を生んだ母――聖母として贅沢しちゃうわ! もちろん、裏でね』
アハハ、と母娘は笑った。
『でもお母様、わたし聖女の力はないわ。……バレないかしら?』
『バレないわよ。一応あなた、魔法は使えるのでしょう?』
『ええ、神聖系の魔法をいくつかね……でもそれだけよ』
『それで充分よ。この平和な王国に、聖女の力が必要な事態は起こらないわ。この百年。聖女はいなかったけれど、聖女が必要な事態は起きていないのだから』
適当に演じていれば大丈夫、とシアスは断言した。それで気をよくしたフレサは、その問題のことは忘れて、聖女として持て囃される未来を思い描き、シアスと妄想に浸った。
未来は明るい。この時、ふたりは微塵も疑っていなかった。
三日後、フレサは王都行きの馬車に乗ってヴェンデラー伯爵領を出た。新たに誕生した聖女は、国王への挨拶し、以後王都で生活することになるのだ。
夢にまでみた王都での暮らしがすぐそこにある。百年ぶりの聖女誕生とあって護衛の騎士団が守りを固めながらの1週間。ようやくにして王都に到着したのである。
だが、王都で待っていたのは、フレサにとってまったく想像していなかった事態だった。
・ ・ ・
「いま何と、おっしゃいました?」
「はあ、すぐにでも聖女様のお力をお借りしたい」
ゲオマリー王国の大将軍と教会大司教が揃って、フレサに宛がわれた部屋を訪ねた。
「いま王国の複数カ所で、魔物と魔族の跋扈が報告されております」
熊のようにいかつい体躯の大将軍が言った。
「襲撃を受けた現地の軍は応戦しており、この王都にも救援を求める使者が、ここ二、三日で相次いでいるのです」
大将軍に続き、長い顎髭の大司教も頷いた。
「左様。さらに封印されていたはずの太古の魔物まで復活し、その呪いが広がりつつあります。これらの汚染を取り除くには聖女のお力にすがる他なく――」
(待って、待ってよ! どうしてそうなるの!?)
フレサは絶句する。聖女はリリーで、自分はそれに乗っかっただけ。汚染とやらを祓う力なんてあるはずもない。
(わたしは、贅沢するために王都に来たのよ……! 何でこんなことになっているのよ!)
今さら違います、なんて言えるはずがない。大の大人――しかも国にとって重要人物であり、普通は会うことすら大変な大将軍と大司教の二人から頭を下げられているのだ。
しかも本物の聖女に、神官殺しの罪を背負わせて……。
これで本当のことが知られれば、神官殺しがフレサの仕業だとバレるということ。当然、投獄され、おそらく死刑だろう。
(言えない……言えるはずがない!)
「聖女フレサ、どうか力をお貸しください!」
(うぅ……)
困った。これは完全に困った。力はない。現場に連れていかれることになれば、嘘も露呈してしまう。そうなったら終わりだ。
「あ……そ、そうですか。でも、王都への長旅で、わたし、疲れてしまい……体調がよくないのです」
フレサは苦し紛れの仮病を使った。
「しばし、休ませてください」
「おおっ、そうでしたな。慣れぬ長旅でお疲れでしょう」
「国の大事。とはいえ、聖女様はフレサ様おひとり。いまは休んでいただき、一刻も早く体調を戻されるがよろしいでしょう」
とりあえず、引き伸ばしに成功した。だが、それも数日も保たないだろう。
ベッドに潜り込み、具合が悪いフリをするフレサである。当然、想像していた贅沢や男遊びなどできるはずがない。
どうすればいいのか――ない知恵を絞って考えるが、嘘がバレた後の死刑が脳裏にちらつき、まとまるはずがなかった。