16、思うところがあって
「わからない人です」
思わず呟いたリリーに、シャーロット姫は首を傾げる。
「何がです、リリー様」
「フォルティス様のことです」
ガイスト公爵領ガイスト城。フォルティス王子の居城にして、リリーが住んでいる場所でもある。
「フォルティス兄様が、ですか?」
「そう、そのお兄様です」
よく手入れされた庭を歩く。城壁は高く、まさに壁としてそびているが、広さも中々ののだ。庭師が一部荒れた庭の手入れをしているが、聞けば先日現れた封印の魔物が暴れたのが原因なのだそうだ。
「フォルティス様は、私に対して敬語を使うのです。王子様なのに」
「それはリリー様が女神様だからでしょう?」
「……本気で言っていますか、シャーロット」
リリーは軽く眉をひそめた。
「最初、あの方は自分を騎士と名乗りました。迷いの森などに住む私を信用しなかったのでしょう。それはわかります。私だってきっと疑うでしょうし」
騎士と名乗ったからには、恩人に対して敬意を示すのはわかる。
「ですが、王子様と名乗った後、少し素を出したように思えたのです。でも気づいたらまた敬語になって、しかも私に『様』をつけた……」
「それは女神――」
「シャーロット?」
リリーは、ジェスチャーで静かにするように示した。本城から庭に出るテラスめいた一角には、戦闘の跡が生々しく残っている。
「私は、ちょっと魔法が得意なだけの魔法使いで、天使でも女神でもありません。故に、王族から様付けで呼ばれるのは、おかしいのです」
「恩人ですから。敬称をつけてもよろしいのではなくて?」
シャーロットが目を潤ませて言うのだ。リリーは居たたまれなくなる。彼女もリリーを様付けで呼ぶのだ。
「……わかりました。好きなように呼べばいいと思います」
「はい!」
シャーロットは嬉しそうに言うのだ。随分と懐かれてしまったと思う。
「見つけた!」
リリーは、気になって闇の欠片を見つけて、魔法をぶつけて浄化した。シャーロットが目を丸くする。
「まだ、呪いが残っていたのですか!?」
「何となく、感じていたのです。ドロリとした黒い波動のようなものを」
「まだ、城に残っていますか?」
「――いえ、もうないでしょう。元々そこまでたくさん感じていたわけではありませんし」
そこでリリーは、浄化した場所を見つめた。
(ここかな、シャーロットが呪いを受けたのは……)
おそらく封印の魔物とやらとの戦闘があって、ここで呪いが飛んできて、シャーロットはそれに当たってしまったのだろう。その外れかすが壁について、黒い染みとなっていた。 心なしか、シャーロットが暗い顔をしていた。目が合った時、リリーはニコリとした。
「もう大丈夫ですよ」
それを聞いて、シャーロットは心底うれしそうな顔をした。
・ ・ ・
「グレン、俺はどうすればいいんだろうか?」
フォルティスは城の窓から見える中庭を注視していた。見えるのは妹であるシャーロットと、客人であり恩人のリリー。
(どうして彼女はフードを被っているんだ?)
「どうすれば、と言いますと? 殿下は何をお悩みでしょうか」
灰色の髭を生やした老家臣であるグレンが言った。幼い頃から仕えているグレンに対しては、フォルティスは正直だった。
「リリーについてだ」
「はあ……。惚れてしまいましたかな?」
冗談めかしたグレンだったが、フォルティスは窓から様子を窺ったまま、反応が薄い。
「本気ですか?」
「違う」
そこでようやくフォルティスは頷いた。
「俺は……そう、彼女に対してどう接すればいいのかわからないんだ」
普通に王子として接すればいいと思うのだが――グレンは思ったが、口には出さなかった。そもそも、それができていれば、悩んでいないわけで。
「殿下は元来、口下手でございますからな」
グレンが控えめに言うと、フォルティスは頷く。
「そうだ。俺は……人と話すのは得意じゃない」
兄の第一王子からも『お前は、つまらない男だな』と言われる始末。ユーモアがない。そもそも会話に口を挟もうともしない。それでは将来、結婚しても妻との関係が冷え込むぞ、などなど。
「色々俺なりにやってみたが、どうも上手く話せている気がしないのだ」
違和感を抱かれていないか、変ではないのか? フォルティスは、あまり他人との会話は得意ではない。だが王族として振る舞う時に変ではないかと、気にかけるくらいには繊細ではある。
公での挨拶、会話、その辺りは問題はない。だがより私的な会話となると、どうにも駄目なのだ。何を話せばいいのか、さっぱりわからない。
「何度か会話を試みようとはしたのだが……」
フォルティスは、リリーと親しげに会話しているシャーロットに羨望の念を抱く。
「きっかけが掴めない。何をどう声を掛ければいいのか。そこから、どういう話をすればいいのか……」
これを聞いて、グレンは目を丸くした。
プライベートで人と多く話そうという意思がないように思えた王子が、まさか他人とお喋りがしたいなどと思っていることに。
惚れてしまいましたか、と口にしたグレンではあるが、これは本当にそうではないのかと察した。
年ごとの娘と、何を話せばいいのかわからない、など、恋をした者のセリフではないか。
そうでないというなら、話さなければいいだけのことだ。わざわざ思い悩むというのは、そういうことだ。
「初恋、ですかな……?」
「お前は何を言っているんだ?」
フォルティスは真顔で、グレンを見た。――これはまだ、自覚をなさっていないようだ、とグレンは、ほっこりとする。
フォルティスはリリーに命を救われたという。きっとそこだろう、とグレンは思うのだった。
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