10、妹姫
王子というと王都にいる印象を持っていたが、フォルティス王子は王都ではなく、ガイスト公爵領に住んでいた。
そのガイスト公爵というのが、フォルティス王子のことだったりする。公にはガイスト公爵フォルティス王子である。
屋敷と聞いていたが、実質、城だった。城下町に入る前に、さすがに目立つからとリリーは翼を消したが、そうしたらフォルティス王子に馬に乗るよう言われてしまった。
(ああ、私、王子様と一緒に馬に乗ってるぅ……)
これは居たたまれない。美形の王子様の馬に同乗するなんて、あり得ない。
背中にフォルティス王子の気配、そして息づかいを感じて、リリーは縮こまる。すぐそこに彼の腕があって、白馬を操っている。
町に入る門で、門番に止められたが、すぐに彼らはフォルティス王子に気づく。
「殿下! よくご無事で!」
「屋敷へ急ぐ! 通してくれ!」
「ははっ!」
夕暮れで、直に門が閉められるところだった。日が落ちる前でよかったと、安堵するリリーだが、フォルティス王子は構わず城下町を走った。道の中央は空き気味だったとはいえ、かなりの速度で馬が進めば通行人たちも驚くもので――
「殿下!?」
「殿下が戻られたぞ!」
フォルティス王子の帰還に沸き立ち、住民たちが勝手に道を開けた。そのまま屋敷――ガイスト城へと到着した。
すぐに騎士たちに囲まれる。
「フォルティス殿下、よくご無事で!」
「すまない、心配をかけた。それよりもシャーロットは?」
フォルティス王子が妹姫の名前を出すと、騎士たちは沈痛な表情を浮かべた。
「それが……呪いが進行して」
「まだ生きているのだな!」
白馬から降り、フォルティス王子は声を張り上げた。
「呪いを解ける術者を連れてきた! 通してくれ!」
リリーを馬から降ろし、フォルティス王子はその手を取った。呪いを解く術者と聞き、騎士たちは、リリーのことを問い質したりはしなかった。
急がねばならない。騎士のひとりが案内を申し出て、フォルティス王子とリリーも続く。
(王子様の手……)
不謹慎と思うかもしれない。しかし王子に手を握られ、引っ張られているリリーは胸が高鳴るのを感じた。必死に妹の身を案じる王子。自分にもこんな優しくて強い兄がいたら、と思った。
城にいた者たちは、主の帰還に驚き、集まってきた。先導する騎士はそれらをどかせ、道を開けろと怒鳴った。
(豪華なお城……)
さすが王子のいる城。城内にはいくつも明かりが灯されていたが、装飾なども立派で、何より清潔に保たれていた。
やがて、シャーロット姫の寝室へと到着する。弱り果てた臣下たちが、王子の到着に驚いたが、今はそれに構っている場合ではない。
「シャーロット!」
フォルティス王子が駆け込んだ。天蓋付きのベッドの上に、金髪の少女が横たわっている。
(お兄さんと髪の色が違うんだ……)
リリーは思った。シャーロット姫の肌は灰色と黒に染まりつつあり、白い肌を浸食しているようだった。10代半ばのその体は小さく見え、そんな娘が苦悶の表情を浮かべているのは、こちらも胸が苦しくなった。
部屋には治癒術士や侍女たちもいたが、呪いを恐れてかベッドから距離があった。
「殿下……」
同情する周囲の視線をよそに、フォルティス王子とリリーはシャーロット姫のもとまでたどり着けた。
(鑑定)
リリーは、こっそり鑑定を使うが、聞いていた通り『呪い』状態であり、さらに危篤と出た。
「シャーロット!」
「お兄……さま」
か細いシャーロット姫の声。今にも折れてしまいそうなくらいに弱っている少女は、かすかに首を動かした。
「ご、無事、で……」
消えてしまいそうなその声。その生命の灯火も、間もなく消える。誰もがそう思い、沈痛な表情を浮かべている。泣き出す侍女もいる。
王子の目にも涙が浮かんでいる。
「リリー、頼む。シャーロットを……救ってくれ」
「もちろんです」
そのために来たのだから。リリーは傍に寄ると、そっとシャーロット姫の手に触れた。黒く呪いに染まったお姫様の手は、力が抜けて、ぐったりしている。
「癒しの力を。悪しき呪いよ、消え去れ――」
緑の光がリリーの手からシャーロット姫の手に伝わる。光はお姫様の体全体に広がり、呪いを引き剥がし浄化していく。
寝室に風が吹いた。周りから「おおっ!」と声が上がる。みるみるシャーロット姫の肌の色が元に戻り、麗しい少女の美しい顔を取り戻していった。
「体が……楽に」
「シャーロット!」
フォルティス王子がベッド脇に膝をつく。心の底からの安堵を浮かべて。そしてシャーロット姫は、手を握っているリリーに顔を向けた。
「女神、様……?」
「違います」
リリーは微笑んだ。鑑定――異常なし。呪いは完全に消えた。
(あとは体力を回復させる癒やしの魔法を流し込んで……)
「うん、もう大丈夫ですよ、シャーロット様」
「シャーロット!」
フォルティス王子が愛しい妹姫の回復に涙を流した。奇跡だ――と周りの声も聞こえた。
手を離そうとしたら、逆にシャーロット姫が離してくれなかった。
「あの、姫様?」
「……お名前を。女神様」
(だから、女神じゃないってば!)
しかしお姫様を前に露骨に文句も言えないので、笑みを浮かべたまま答える。
「リリーです」
「リリー様……。ありがとう、ございます」
言いながら、涙を流すシャーロット姫。今度こそ手が離れたので、お姫様に一礼。兄妹の再会の邪魔をするのも何なので、退出しようと思ったのだが。
(え……?)
部屋にいた者たちが、リリーに向かって跪いていた。
(こ、これはいったい何事!?)
状況についていけなかった。
以後、不定期更新になります。