向日葵の花をあなたに
いつも何かが欲しかった。
渇望していた。飢えていた。
例えもう誰かのものでも、欲しいと思ったら駄目だった。
だから手に入れた。奪った。
それだけの力が私にはあった。
権力も、美貌も。
全てがあった。だから奪うことができた。
だけど全部、手に入ってしまったらもう要らなくなった。
自分でも不思議だった。
あんなに輝いて見えたのに。あんなに美しく、震えるくらい欲しかったのに。
自分の手元にくればまるで価値のないものになってしまう。
美しい声で鳴く珍しい鳥。
見るものをたちまち虜にしてしまう煌びやかな宝石。
新進気鋭のデザイナーに作らせた私の為の私だけのドレス。
全部、全部欲しくて欲しくて仕方なくて、手段を選ばずに苦労して手に入れたものたち。
なのに、何故。
お姉様の美しい婚約者。
男女問わず誰もを魅了する舞台俳優。
王に匹敵するほどの絶大な権力を持つ雲上人。
ものと違ってヒトは手に入れるのも大変だった。お金を積んでもだめなのだからしょうがない。時には嫌なことも我慢した。
だって欲しかったから。それしか考えられないくらいその時はそれが欲しかった。
なのにどうして。
手に入れた瞬間、私は要らないと思う。
こんなはずじゃなかった。あんなに綺麗で、輝いていて、美しくて、気高くて、艶やかで、煌びやかで、あんなにも、あんなにも。
──私が焦がれていたものはこれだったの?
──こんなものだったの?
「もう要らないわ」
「捨ててしまうのですか?お嬢様??」
「要らないのか?せっかく手に入れたのに。お前がどうしても欲しいと言うから」
「貴方が私から彼を奪ったくせに!!!」
「「「どうして」」」
五月蝿い。五月蝿い五月蝿い五月蝿い!!!
どうしてなんて私が聞きたい!!
私だって欲しかった!!神に誓ってもいい。あの時の私の渇望に嘘はない。どうしても欲しくて欲しくて仕方なかったのは嘘じゃない。胸を焦がすほどの飢えを嘘だと言うのなら、誰かに代わって欲しかった。
他人から奪ったのだって躊躇いはなかった。だって欲しかったからしょうがない。今だって後悔していない。あのときはああするしか無かったんだから、しょうがないでしょう?
でも、もう要らないのだ。
あってもなくてもどうでもいい。あれほど胸を締め付けた渇望が嘘のように消えてしまった。
もう何も残っていない。砂粒の一つさえも。
無感情。何も感じない。欲しかった筈のそれを見ても、何の感情も感慨もない。
だからもう要らないのだ。
あってもなくても同じならいらない。
私にとって無価値な物なんて要らない。
いらないのだ。
「初めまして、お姉様。
マリーシア・トークセファと申します。」
ある日父の古い友人の家で痛ましい事件が起こったらしく、天涯孤独になった子どもを父は引き取った。なんでも夜盗が入り、幼かった少女とその世話係の子供しか助からなかったらしい。
彼女が成人するまでは、この家で世話をするという。
それはどうでも良かった。
ただ、それが連れて来たものは私の心を震わせた。
「お嬢様の世話係のアベルだ」
「こら、アベル!ちゃんと挨拶して!」
────欲しい。
あれが欲しい。
苦しいほど高鳴る胸。自分の血が巡る音が聞こえてうるさい。肌が泡立ってヒリヒリした。
欲しい。あれがほしい。あの人間がほしい。
そう思ってしまったら、いつもの通り。私はそれが欲しくて欲しくて堪らなくて、一瞬で頭の中で何通りもの手段を考えた。
「よろしくね、アベル」
早く手に入れたい。
ただそれだけだった。
手に入れたあとのことは今は考えないでいよう。
この美しくて愛らしいものがどんなふうに色褪せて見えるかなんて考えたくない。忌々しい。
ただ今は欲しくて欲しくて堪らないから。
「……何してるんだ、マリー?」
「あっ、アベル!あのね、今度友だちと…」
「マリーはどこだ!?
お前は何をしていた!!マリーに何かがあったら殺してやる!!」
「アベル!不敬だぞ!!!」
「マリー、泣いてるのか?」
「………………馬鹿アベル。こういう時は何も言わないのよ」
「あの、あのさ。もしそんなに辛いなら、俺が一緒に逃げてやるよ」
「ばーか、辛くなんてないわ。私は逃げたくもない。………でも、ありがとうアベル。私の一番の味方。あなたがいるから、私は頑張れるわ」
それは中々手に入らなかった。
だからどんどん欲しくなる気持ちだけが募っていく。
どうしても欲しい。何をしても欲しかった。
だから私は思いつく限りの全てをした。
それは妹のものだったから、妹には別の存在をあてがった。優しいと噂の、けれど少し癖のある年頃の男だ。見目もよく、お節介な妹と相性が良いだろうと。
案の定妹とそれの2人だけの世界から妹は外に飛び立っていった。妹は好奇心旺盛で、強い子だったからそれの守りがなくとも外の世界を渡り歩けた。
それでもそれは妹のそばに居た。
本当は自分のものにしたいはずなのに、聞きたくないはずなのに、妹が外の世界のことを嬉しそうに話すのを黙って聞いていた。耐えていた。
妹は友だちが出来たことを語り、愛の告白を受けたことを語り、人に恋したことを語った。
初恋だと言った。
妹の恋慕の相手は中々複雑な人間で、妹に冷たい仕打ちをし、妹の思いははっきりと拒否された。それでも妹は諦めず、相手を射止めた。そしてそれを一番にそれに報告した。話を聞きながらそれは笑っていた。
その後も妹に色々ある度に、それは怒ったり、時には相手に凄みに言ったり、妹の無事に安堵で声を震わせたりと忙しかった。妹に向けている感情を妹自身から踏みにじられた事もあった。喧嘩していたこともあった。
それでも妹を見ていた。妹だけを見ていた。
私はそれが欲しかったのに、どうしても欲しかったのに。
「ねえ、アベル私のものにならない?欲しいものならなんでもあげるわ」
「勿体ないお言葉ですが、辞退させていただきます。私はマリーシア様の世話係ですから」
「アベル、あなたのマリーシアはついに彼の方と思いを結ばれたそうよ」
「はい。僭越ながら先程マリーシア様自身からお聞きしました。…めでたいことです」
「アベル、マリーシアを乗せた馬車が……!」
「どけ!!!俺が探しに行く!!」
「アベル、マリーシアがあの方と正式に婚約するそうよ。式は3ヶ月後ですって。成人したらすぐに挙げるそうよ」
「そうなのですね」
「アベル、あなたは彼女について行くの?」
「はい、もちろん。マリーシア様にも是非と言われてしまいましたし」
アベル。
ねえアベル。
どうして私を見てくれないの?
私はこんなにあなたが欲しいのに。あなたが妹を思うくらい、あなたのことが欲しいのに。
無理矢理マリーシアの世話係から外すということももちろん考えた。けれどしなかった。世話係を外したところで意味は無いとすぐにわかったから。それほどまでに彼はマリーシアしか見ていなかったから。
アベル。ねえアベル。
私がこんなにも欲しがっても手に入らないものなんてあなたが初めてよ。誇ってもいいわ。
私はだんだんアベルが憎くなった。
だってこんなにも欲しいのに、マリーシアしか見ていないから。
マリーシアについて行ってこの家を、私の傍から離れるというのだから。
マリーシアを殺してしまおうか。
そうしたら私のものになってくれるかもしれない。
我ながらいい考えだと思った。
どうしてもっと早く思いつかなかったんだろうとも。
すぐに私は準備をした。嫌なことも我慢した。いや、その時はアベルが手に入るかもという期待で胸が高鳴っていて、周りの物事が全て夢のように思えていた。
秘密裏に暗殺者を雇った。
私が雇ったんじゃない。私はお願いしただけだ。別の人間がやってくれた。
決行はマリーシアが夫の家に移り、相手が家にいない夜。
それもアベルの前でやる必要があった。アベルには、マリーシアがいなくなったんだとはっきり認識して欲しかったから。
夕食を取ったあと、彼女が寝る前に暗殺者たちは仕事に向かった。
そして、急な襲撃に恐れるマリーシアの胸にその銀のナイフを。
───立てられなかった。
「アベル!アベル!!どうして…っ!!いやぁあああああ!!!!!」
マリーシアは死ななかった。
そんなことはどうでもいい。
アベルは死んだ。
アベルが死んだ。
アベルは、…私の欲しかったアベルは死んだ。
私の放った刺客によって。マリーシアを庇って。
私が、殺した。
どうして?
どうして?どうして?どうして?
ただ欲しかっただけなのに。私は本当に、ただ。
でもアベルはもう二度と手に入らないのだ。
私が放った刺客だとは誰にも気付かれなかった。けれど葬儀には出なかった。
受け入れられなかった。私が欲しかったものが永遠に手に入らないことを。
手に入れてしまったら、もう要らないとなるのかもしれない。どうでもよいと捨てるのかもしれない。それでも欲しかった。どうしても欲しかったのだ。
喪が開けた後、私は色んなものを見に行って、珍しいものを買い漁った。
また欲しいと思えるかもしれない。アベル以上に欲しいものが見つかるかもしれないと思ったからだった。
そうでないと私は狂ってしまう。この渇望に殺されてしまう。二度と満たされることはないのだから。
何かに取り憑かれたかのように色んなものを買い漁り衣装箪笥も宝石箱もどんどん埋まっていく。珍しい石、鳥、花、ついには人まで。
私には力があった。
権力も、美しさも。
私の行為の全てを許す、無関心な夫もいた。彼は私の家に婿入りしていたので、私のやることに何かを言うことはなかった。
私には全てがあったのに。
私は満たされない。常に飢えている。欲しかったアベルが手に入らなかったから、何も欲しくなくなってしまった。
私はもう一生満たされることはないのだ。
それに気付いてから、急に何もかもがどうでも良くなってしまって、私は自分の部屋から外に出ることをやめた。
ある日、マリーシアが尋ねてきた。
「姉様が塞ぎ込んでいると聞きまして」
塞ぎ込んでいる?そんなつもりはない。
ただどうでも良くなっただけのこと。欲しいものが手に入らなくて、全てがどうでも良くなった。それだけのことだ。
「…………言いたくないのならいいですが…アベルと姉様は何かあったのですか?」
その言葉をあの頃に聞いていたら、私は激昂していたかもしれない。
けれど全てが凪いだ気持ちの今、私はただ事実をあるがままに受け入れていた。
私とアベルには何も無い。
そんなものは何も無かったことを。
妹とは違うのだ。私には何も無い。ただの使用人とその主人という、ただそれだけだった。
ただ私がアベルを欲しかった。それだけ。
「わたし、後悔しているんです。あのときのアベルを止めなかったこと」
それは、マリーシアを凶刃から身を呈して守った時のことだろう。そう思ったが違った。
「私が結婚して、アベルもついて行くと言った時のことです。
アベルのこと、姉様が引き止めていたのを知っていたから」
アベルから聞いたのとは違う話だ。
確かアベルはマリーシアに言われてこの家を出ていくと言っていたのに。
「『姉様に引き止められていたんじゃないの?』そう言うと、アベルは頷きました。
必要とされているのは嬉しいと言って笑ったんです。でも。
『捨てられたくないから』と」
「すてられたくない…」
反芻して、ようやく意味を飲み込んだ。
捨てる。そう。
私の渇望は手に入ったら満たされる。満たされたら、あんなに欲しかったものでさえ色褪せてしまう。
さあっと血が引いていく。
そんな私に気付かず、マリーシアはぽつぽつと言葉を続ける。
私の欲しがる癖に手に入った途端捨ててしまう悪癖を、アベルは知っていた。
隠してはいないので当然だ。この家の使用人ならみんな知っている。
そして次の欲しいものはアベルだと、彼は自分で気づいた。でも、けれどなぜ。
「アベルは私の物にならなかった癖に」
そう言えば、マリーシアは傷ついたような顔をした。
「…姉様。アベルはあなたに捨てられたくなかったのです。貴女は手に入れたら要らなくなってしまうから。
だから"手に入らないこと"を選んだのです。そうすれば姉様はずっと、アベルを欲しがるから」
「…………………わたしは…」
私はアベルが欲しかった。いや、今でも欲しい。
彼を手に入れるためなら何でもした。彼が大事にしていたから、目の前に居る妹を他の人間にあてがったりもした。彼の大事なものを殺そうとすらした。ただひたすらに彼が欲しかったから。
「………ほしかったの」
「姉様……」
「アベルがほしかったの」
私は彼が欲しかった。
捨てるとかその先は考えていなかった。ただ頑是無い子どものまま、欲しいという気持ちだけだった。
「アベルは……アベルもあなたが欲しかったんですよ、姉様」
そんなこと聞いてない。知らない。
アベルはマリーシアのことしか見ていなかったくせに。
私のことなんて。
私を欲しかったなんて。
「っあぁ、ああああああああああああああっ!!!!」
いつも何かが欲しかった。
渇望していた。飢えていた。
例えもう誰かのものでも、欲しいと思ったら駄目だった。
私は沢山のものを手に入れたけど、けれど一生満たされることはなかった。
それでもよかった。それでよかった。
生涯満たされなくていい。
ずっと飢えてていい。渇望していていい。寧ろ今のままでいい。ずっと痛くて苦しい方がいい。
その度に手に入らなかった貴方のことを思い出せるから。
お読みいただきありがとうございました
向日葵の花言葉:
私はあなただけを見つめる
(追記)
アベル視点を投稿しました。
よろしければこちらもどうぞ。
→「竜胆は渡さない」