あなたの心に触れたい
探す流浪の旅人の如く。
自分の居場所。
それが私。
冷たい水の中で深海魚のように海を漂う。海の如き紺青の空に泡のような白い星たち。真夜中の冬の東京。聴こえる恐怖と戦う日々。戦場のような毎日。
ふらりと帰りたくない自宅に帰ると又自分の事について揉めている両親。
「あの子が学校に行かなくなってもう半年よ!」
だんとテーブルを叩く母親とそれを無視してテレビを見る父親。
「……」
両親の声が聴こえる。
『蒼は又ふらりと外へ出てこの人は無視。この家は私が居なくなったら崩壊するわ!』
『どうしようもないだろう……。行きたくないならほうっておけ。俺は仕事で疲れているのに。
ったくどうしようもない』
母親の叫びと父親の無関心な本音。
(……もうこの家は崩壊している)
醒めた目で蒼は両親の諍いを一瞥して、すっと自分の部屋へと向かう。
部屋で父親が居なくなるまで眠り、母親の溜息と共に朝食と昼食を食べて、父親が戻る夕食時にぶらりと外へ夢遊病者のように散歩へ出る。
それを一年近く繰り返してこの山田町へやってきた。
桜の綺麗な薄紅色の花弁が舞う山田高校の入学式。散った桜の花弁を手で掬い、ふわりと少女が戯れていた。くるくると踊っているように風と桜の花びらと遊んでいるように奏には見えた。思わず拳で目を擦る。
翠の長い黒髪に黒曜石を連想させる大きな双眸にセーラー服。昔の女子学生のような美少女。
奏はこの高校に山村留学にやってきた外部からの入学生を迎えに来た山田高校の生徒会長だ。
奏も外部からの留学生(山田町ではこう呼ばれている)で奏にはこの山田町へ入学してきた理由がある。奏には視える力がある妖や人外のものの類。都会にはそういうものが溢れていてこの田舎である山田町ならばのんびりした善良な人々と呑気な同級生に囲まれて奏は生まれて初めてゆったりとした日々を送っていた。
(なんだ、精霊かと思った……。妖でもない。人間だ……全く視えるのも楽じゃない)
深呼吸をして、少女に声をかける。
「前野蒼さん?生徒会長の名波奏です」
出迎えの挨拶も兼ねて自分の名を奏は名乗った。奏の声より先に少女は振り返り、じっと黒曜石の瞳で奏を凝視していたらしい。こくんと頷くと奏に近付いてきた。
「はい。前野蒼です。宜しくお願いします」
静かな声で返してきた。まだちらりちらりと視線を気づかれないように蒼は奏の方へやってくる。その視線に戸惑いつつ奏は生徒会長としての職務を果たすべく蒼に説明を始めた。
山田町の山村留学生の制度の事。部活や委員会、寮の事等を説明した。留学生は寮か又は下宿するかどちらかだ。蒼は寮に入寮するので寮について詳しく話した。じっと蒼から凝視されて居心地が悪く説明は手短にすませ、学内を案内する。
私立山田高校はキリスト教の学校である。故に木造のレトロな外観に中は最新の造りの本校に
白い可愛らしい教会に学内にある女子寮も木造の可愛らしい二階建ての造りである。
「わあー」
思わず溜息を漏らす蒼に奏は苦笑して
「女の子にはうちの学校は人気あるんだ。可愛いみたいだからね。じゃあ、これから寮長に案内してもらって。僕はここまで」
と友人から穏やかと評される態度で返しつつ、蒼の黒い大きな双眸に見つめられずにすむかと思うとほっとした。自分の中の何かを見抜かれているような気がして落ち着かなかった。
だけど、桜の下でふわりふわりと戯れる少女を眩しげに見た自分が居たのも事実。
2
どうやら片思いらしい、私がしているのはそれに似ている。
「これが片思い?」
戸惑いながら蒼は独り呟く。
桜の下で出逢った穏やかな生徒会長に蒼は恋をしてしまったらしい。眩しそうに綺麗な桜を見ていた名波奏。蒼と同じ能力者なのに全然気負わず、人が大好きな男性。
「視えちゃうのに何であんなに穏やかなんだろう……」
聴こえた奏の心の声。自分を精霊か妖と間違えていた。この黒い長い髪がいけないのだろうか。頭が奏の事ばかりになる。
同じ寮部屋の晶が声をかけてきた。
「蒼さーん?また生徒会長の事?」
少し奏の事を漏らしただけでそれは恋じゃなくてと見抜かれた。本人さえ自覚していなかったのに。
それを見抜いたふわふわした少し栗色のロング髪に焦茶の大きな双眸の可愛らしい美少女。見た目とは違う鋭さとはきはきした性格の女の子で人見知りはするものの本音を隠さない性格の蒼と晶とはすぐ仲良くなった。
「……うん。穏やかでかっこいいよね」
穏やかな身のこなしや話し方を思い出す。一目惚れに近かった、勿論視えるという同じ能力者で前向きな思考が一番好きだ。
「出たよ~蒼さんの生徒会長病」
晶は黙っていれば可愛らしいのにしかもにやにや笑いながら蒼を冷やかす。
「ほっといて!自分だって彼氏居るくせに!」
蒼がむきになって言い返すと
「私は中学からだから倦怠期です~」
とやりかえされた。
うーっと真っ赤になった蒼が不貞腐れた表情を顔に浮かべているとふふっと晶は一転愛らしく笑った。
「蒼さんのそういう所が生徒会長の好みだと私は思うな。一樹経由だと会長の好みは蒼さんに近い」
晶の彼氏一樹は生徒会長の親友で副生徒会長だ。いつも二人で一緒に行動している。
「ほんとう?」
きらきらと目を輝かせる蒼と半分面白がっている晶。
「うん、だから生徒会に入りなよ」
「……は?」
「山村留学生代表で一人生徒会に入らなくちゃいけないの。雑用だけど誰もやりたがらないし、一樹に頼んで推薦してあげるから頑張れ!」
半分応援半分面白がられていることに気づいた(聴こえた)蒼は頷きながらも複雑だった。
「面白がっているでしょ」
「そんなことないよー!」
きゃらきゃらと笑う晶に先行きが不安な蒼だった。
でも背中を押してくれる晶がありがたかった。後ひとつ大事なのは前に踏み出す自分の勇気。
3
生徒会の部屋の扉を開くとあの桜の下で出逢った少女が親友の一樹と話していた。
奏が扉を開けた音に少女はびっくりして振り返り、あの黒曜石の瞳で奏を見る。
奏はその瞳から目が離せなくて、思わず視線を返す。一瞬視線が交差した。
少女には何も視えない。あるのは少女が身に纏う透明な空気と少し不思議な自分への視線だけ。
「おい、奏!」
何回か呼ばれていたのであろう友人の問いかけにはっとする。
「一樹……。いたのか」
思わず本音が漏れて一樹に苦笑される。
「蒼ちゃんと二人で世界作るなよなー。俺もいたんですけど」
「ち、違う……。何でき、君がここにいるんだと思って……」
自分が真っ赤になりしどろもどろになっているのを自覚しながら一樹に言い返す。
「山村留学生代表で生徒会を手伝ってくれることになったんだよ。お前、一回会ってんだろ。前野蒼ちゃん、ちなみに晶の同室で友達」
一樹の言葉を受けて蒼がぺこりと頭を下げて自己紹介する。
「前野蒼です。折角山村留学してきたんだから生徒会にも参加してみようと思って今日から宜しくお願いします」
さっきまでの透明な空気は一変する。明るいはきはきとした物言いの普通の女の子だ。奏はほっとして、蒼に笑いかけた。
「えーと名波奏です。ごめん、一回会ってたのに名前覚えてなかった……」
桜色の花弁と戯れていた淡い色のイメージが強すぎて、まさかイメージと違う名前を忘れていたとは言えなかった。それを知らない蒼は少しむっとしたような顔をする。
「えーと、本当にごめん」
奏の言葉に自分の気持ちが顔に出てしまっていることに気づいた蒼は真っ赤になり、ぶんぶんと首を振った。
それから毎日蒼は生徒会に顔を出して手伝いとしてくれることになった。
初日と二回目に出逢ったあの不思議な自分への視線を蒼から感じることはなく、蒼は唯の明るい元気な女の子だった。なのに時折、不思議な感覚を味わう。
「はい。名波会長。コピーです」
と蒼が差し出した用紙に手を伸ばして、手が触れた瞬間。
ふわりと空気が一変する。蒼の身に纏う空気が透明な空気に変る。
(俺は視ているのか……?前野蒼は一体……)
本当に前野蒼という少女はどういう存在なのだろうかと奏は調子を狂わされる自分を自覚しつつ不審に思い始めていた。
4
あなたの心に触れたい、その柔らかな心に。
ふわりとカーテンが舞い、風が生徒会室に吹く。
「あ」
蒼が奏に差し出したコピー用紙が風に飛んでそれを取ろうとした奏と又手が重なる、その瞬間。共鳴する、互いの力。
視える、心のイメージ。蒼はそれを視た。淡い薄紅色の桜のイメージ。
桜と戯れる少女の具現。淡い淡い本人さえ自覚していない恋心。
(これって……)
触れている奏の心の中に。その風景を二人は視ていた、視てしまった。
(これって俺の心象風景?俺の心の中……)
それが一変して生徒会の部屋に戻る。二人は見つめ合う。
「君は一体……」
奏の訝しげな声音に蒼は身構える。
「ご、ごめんなさい!私の力が暴走しちゃったんです!名波会長の心に触れたいって思ったから」
黒曜石の瞳から雫が落ちて、その雫が溢れて涙となる。
「力……?」
奏の問いかけに心に直接返答する。
(人の心を読む力……。殆ど雑音で聴こえないけれど、強い想いは私に届くんです私は人の心が読めるんです、あなたの視える力と又違う力……)
鈴のような声音が頭に響く。
無自覚な淡い強い想いをふっと自覚させられたあの心の風景。
共鳴した力。かあっと奏は頬を赤く染める。今自覚する初対面で蒼に一目惚れした自分。
「まさか俺の心の中を聞いて……」
触れたいという願い。奏の傍に居て欲張りになってしまった自分の心。
「ご、ごめんなさい!」
蒼が生徒会室の扉を開けて、飛び出す。その時一樹とすれ違った。振り返った蒼の零れ落ちそうな二つの瞳から涙が溢れていた。
「おい!奏。蒼ちゃんが泣いて……」
そこには自分の心の想いを視られてしまった事と、初めて自覚した恋心に戸惑う奏が頬を赤く染めて立ち尽くしていた。
読んで下さってありがとうございました!