第2章 「線のアイダ」
第2章 ー線のアイダー
終わりはいつも一歩後ろに存在している。
真後ろから楽しそうにしている私を見ながら、睨みつける。
そして一番楽しい所で、グワァッとおもちゃを取り上げるのだ。
勝手に心の中にズケズケと入り込み、荒らすだけ荒らして帰っていく。
それが終わりの性格だ。
なんて性格が悪いんだろう。
だからそれが今日だったという話なのだ。
取り上げられるのがずっと先か、今かの違い。
結果は不変の存在で、過程のみ不定なのだ。
だからしょうがない。
でも、
でもそれなら、
なんでずっと先にしてくれなかったの?
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少年。
ただの少年。
同い年くらいの少年。
座り込んで道路の真ん中で何かを擦っている少年。
どこにでもいる少年。
しかし彼女の中では、ここにいるはずか無い少年。
音を殺しているので少年はこちらに気づいていない。
空いた口が塞がらず、呼吸の仕方さえ忘れる。
「ぁ……」
仕方を忘れた下手っぴな呼吸によって、声が漏れた。
少年はザッと驚いたように後ろを向いて、こちらの姿を確認する。
「驚いた、人が居たんだね」
「……」
少年の視線は通りす過ぎずに、正面衝突するかのように私を捉えている。
急に恥ずかしくなり、短めのスカートの裾を抑える。
髪もおかしくないだろうか。
表情も変ではないだろうか。
今まで気にしてこなかった、感情を思い出し始める。
「10年くらいこの日があったけど、初めて会ったから驚いたよ」
「僕の名前は、ツムギ。 どうしたの?」
「ぁ、いや…。 私も初めて人に会ったから驚いちゃって」
心にある感情を押し殺し、表面だけは良く繕う。
「……私はアキ。 よろしくね」
アキはサッと視線を合わせるが、すぐそらしてしまう。
何を話せばいいかわからない。
話をしたら出してはいけない感情がまた出てきてしまうかもしれない。
「誰も信じてくれなかったから夢だと思ってたよ。 ちょっと話さない?」
そんなアキをよそに、ツムギはスラスラと会話を進める。
白いTシャツにジーパン姿の普通の少年、ツムギ。
黒い髪は寝癖がひどいのか少しうねっている。
身長は同じくらいで、男の子の中では華奢な方だろう。
顔はあまり見れていないからわからない。
「ここって何だと思う?」
「幽体離脱とか、明晰夢とか、色々考えたけどわからないんだよね」
「あぁ、あんまり考えたことなかったな。 自分だけの世界としか思ってこなかったし…」
「それはわかる!」
ツムギはこちらを向いてきた。
たぶん笑顔なのだろう。
「ここでは一日中道路に落書きしてても怒られないし!」
最初のノイズ。
何かを擦っている音。
それはチョークで絵を描いている音だった。
車が通らず、街なかで描けるのは背徳感と高揚感で最高らしい。
「アキ…さんは何をしてたの?」
「私は……何も。 ただ歩いてただけ」
やんわりと返す。
何も考えてないかのように。
「そっか…、この先は学校だよね? そこに向かってたの?」
質問攻め。
あまり頭を使わせないで欲しい。
「うーん、なんとなく歩いてただけだよ」
テストをカンニングしに行くなんて言えるわけない。
「行くところないなら、良いところあるよ!!」
ツムギは強引に手を引っ張り、走り出す。
木が生い茂り、天井は葉っぱで覆われている。
森。山。その言葉たちは正しい。
山の中へズンズンと入っていく。
土がぬかるんで歩きづらい。
どうやらサンダルで来たのは間違いだったらしい。
少年はこちらを見向きもしない。
「これこれ!!!!」
少年の手には身動き1つしないカブトムシが一匹。
こちらに裏側を向け、見せつける。
「………………」
何も言葉が出ない。
「…………、ただのカブトムシだよね?」
「!?」
反応が思っていたのと違ったのか、焦って別のものを探し出す。
「これとか、どう!?」
「いや、ただのクワガタだよね……」
「どうして驚かないの!?」
「だって動かないんだから、取り放題じゃん」
そういいながらアキは周りを見渡し、止まっているカナブンを手に取って見せる。
「違うよー! カブトムシだよ?クワガタだよ!? こっちのほうがすごいんだよ!!」
「…カブトムシのメスもこんなんじゃなかった?」
「全然違うーー!」
そういうツムギの後ろを見るとたくさんの種類の虫がずらっと並ぶ。
今までこの日をこのために使ってきたのだろう。
「ふふ」
そう思うとなぜか笑いがこみ上げた。
「なんで笑うのさー!」
そういうが、彼も笑いだす。
初めてアイダの日に人と笑った。
いや、アイダの日でなくても、何故か初めてな気がした。
そして、アイダの日も終わりの頃。
彼がもう一つ良い所があると言う。
行ってみると海があった。
夜のような朝のような、白い霧が立ち込めて、海の輪郭がぼやけて霧と混ざっている。
この日の海。
興味はあったけど怖くて来たことがなかった。
海は嫌いだったから。
バシャ!
ツムギが先に海に入る。
海は普通の水のように彼を避ける。
普通なんだと思ったとき、不思議な現象が起こる。
彼の通った海に道ができたのだ。
水しぶきをあげながら、少年の軌跡が海に残る。
「何これ…」
足を浅瀬に入れる。
立っているだけなら、なんだか浅めの水風呂のようだ。
温度はなく、波もない。
しかし、その感覚を海で感じているのが混乱を誘う。
もう一歩踏み出す。
すると、足があった海が戻ろうとした瞬間、時間が止まる。
そうして一歩づつ歩いていくと、後ろには海に浜辺のような足跡ができていた。
触覚は普通なのに、視覚が異常を認識している。
腰の辺りまで入ると、足には温度のない浮遊感がまとわりつく。
ツムギが手を差し伸べる。
「怖くないよ」
真っ白い海に浮かぶ彼は三途の川の死人のようで、でも天使のようにも見えた。
顔は見えないが輪郭が白く、光に連れて行ってくれそうな。
胸の辺りまで来ると、空を飛んでる気分だった。
地面から足を離し、雲の上から顔を出す。
後ろを見ると、飛行機雲ができていた。
「きれい…」
「だろ? 最後はここを泳ぐのが僕の日課なんだ」
ひとしきり泳ぎ岸へ上がる。
もうアイダは終わりそうだった。
「そろそろ戻らなきゃ」
「まって、まだあるんだ」
こちらを見ずに引き止める。
「ここの良いところは、その境目なんだよ!」
顔を見ていないが、彼はニッと笑った。
海に視線を移すと、風が通る。
アイダの終わりだ。
潮風がたなびき、温度が寒さを取り戻す。
霧が消え、星が目を覚ました。
それとともに、視覚の異常は正常へと戻るのだ。
海にできた飛行機雲が、グワァッともとに戻った。
波となり、痕跡を全て消していく。
波に手をかざし、ツムギは呟く。
「……この日を、どの物質も消し去ろうとするんだ」
「あっちゃ駄目、なのかな……」
「違うよ、羨ましいから消すんだ。 きっと世界は僕らが独り占めしてることを妬んでるのさ」
「……」
そう言って、また手を引っ張って走り出す。
「帰ろ!」
少年の後ろ姿。
こちらは見ずに、遠くを見ているような目。
もしかしたら、もう次のアイダの日を見ているのかもしれない。
そのとき、初めて顔を見た。
濃い眉毛と、少しタレた目。
目の横にはホクロがあった。
こんな奴のせいで私の世界はメチャクチャだというのに、お構いなしの笑顔で走る。
終わりはいつもこちらを睨んでいる。
でも終わりには別の名前があって、始まりとも言うらしい。
ご機嫌に、部屋を荒らして、跡形もなく別のものにする。
終わりは性格が悪く、無邪気で、こちらの気など一切とめない。
でも
顔は、思ったよりシュッとしていた。