ひかりを失ったひまわり
誰だって主人公だから
そんな言葉を、私はどこかで見たことがあった。とこで見たのかは覚えてない。でも、その言葉に励まされた私がいた。ずっと下を向いてた心が、体が、少し前を向こうとしていた。
「主人公」
それは、子供の頃ずっと憧れてた存在。物語の中だけにしかいないと思ってた、輝いてた存在。
私もなれるって。自分を変えられるって。
そう……思ってた。でも、現実なんて変わらなかった。
「現実なんて……くそくらえだ」
目からこぼれ落ちる涙を感じながら、私は1人、部屋の中で呟いた。無機質な輝きが照らす、静かな部屋の中で。
・・・
私は敗北者だ。
小学校の頃、特に5年生と6年生の頃に、私は人生の敗北者になった。日常の1つであるかのように、私の存在が否定され続ける日々だった。私を無視する。教科書やノートが無くなる。筆記用具が捨てられる。お弁当が便器に入れられる等々。言い出したらキリがない。
先生も気づいていたけど、黙認していた。それどころか、先生すら私を無いものとして扱い始めていた。あの頃には、私の味方は、もう誰もいなかった。
私は、家族の誰にも助けを求めることが出来なかった。お父さんにも、お母さんにも、親戚の皆にも、そしてお姉ちゃんにも……
「学校に行きたくない」
この一言を、私は3年間言うことが出来なかった。その3年間の内に、私は壊され続けていたというのに……
・・・
私には2つ上のお姉ちゃんがいる。お姉ちゃんは学校でも有名人で、文武両道を体現してるような人だった。それに比べて私は、全てが平凡だった。何か突出した才能があったわけでもなく、一切できないという物がない。いわゆる器用貧乏みたいな感じだった。
両親は、なんでもできるお姉ちゃんを誇りに思っていた。その反面、お姉ちゃんに比べて全てが劣っている私は、出来損ないとして事ある毎にお姉ちゃんと比べられていた。その度にお姉ちゃんが両親に反論してくれていたけど、決まってその後にお姉ちゃんを褒めていた。私の居場所は、家には無かった。
「お前、調子乗ってんだろ?」
「え?」
「え?じゃねぇよ、舐めてんのか?」
お姉ちゃんが小学校を卒業した次の年。私が小学5年生になった時、私はすぐにいじめの標的になった。
「目障りなんだよ。早くどっか行けよ」
「え?な、なんで??私何かした?」
「なんだよその態度。俺がどっか行けって言ったらどっか行けよ。うぜぇんだよ」
「ちょ……ちょっとやめ……」
「だまれ!」
私は、理不尽としか言い表せない暴力を前に、ただただ、現実を受け入れるしか無かった。この後私は、女子トイレの中に投げ込まれた。その後すぐに教室に戻ったけど、これはただの始まりでしかなかった。
私へのいじめは、日を追うごとに過激さを増していた。小学校を卒業する頃までに、私は3回くらい死にかけた。その全てが偶然助かっただけで、そのどれかで私の人生が終わっていた可能性は十二分にあった。いやむしろ死にたかった。でも、私は生死の狭間で何度も助けられた。保健室の先生のおかげで。
小学生の時の唯一の助けは、保健室の先生だった。私が死にかけた3回とも、保健室の先生が助けてくれたし、学校生活を送る上でも1番の支えになってくれていた。私にとって、本当に親のような存在だった。
「なんで私を助けたの」
先生に初めて助けられた時、私は1言目にこんな言葉を発したらしい。私は覚えてないけど、後から保健室の先生に聞いた。
「君を助けたかったからだよ。僕は君に、人生の絶望の中で死んで欲しくないからね」
「……変な人」
「酷いことを言うね?!」
その質問にどうやって答えたのか聞いた時、保健室の先生はそうやって答えた。その時は照れ隠しで酷いこと言っちゃったけど、ほんとはとても嬉しかった。
その日から私は、毎日のように保健室に通うようになった。1番最近で命を落としかけた時、保健室の先生の迅速な対応が無かったら本当に死んでたらしい。水の中に顔をつけられ続けていた時の記憶までしかないけど、目が覚めた時、先生は見たことない顔をしてたのを今でも鮮明に覚えてる。
「よかった……本当に、生きててよかった」
そう、保健室の先生は震える声で呟いてた。私は何がなんだから分からなかったけど、また先生に助けてもらったということだけはわかった。
卒業式の日も、式が終わったあとに保健室の先生は真っ先に私の所まで駆け寄ってきてくれた。両親は来てくれなかったけど、最初から分かりきってたことだからあまり気にしなかった。それよりも、式で私の名前が呼ばれなかったことを知られなくて良かったとすら思った。
保健室の先生は私に、どこからか持ってきた卒業証書を渡すと、優しく頭を撫でてくれた。
「卒業おめでとう。ちゃんと卒業できてよかった」
「先生……これって」
「大丈夫。これは本来、式で渡されるはずだったものだから」
「……やっぱり、変な人」
「最後の最後まで酷いな?!」
「でも……ありがとう」
私は、これまで言いたくても言えなかったものを、最後の最後に伝えることが出来た。保健室の先生は泣いてたけど、その涙は、先生がいない中学生活への恐怖で凍っていた私の心を温めるには十分すぎるものだった。そして、心を凍らせていた恐怖は、液体となって目から溢れ出した。
こうして芽生えた最後の希望は、家に帰った瞬間に奪われることとなる。
・・・
卒業証書を胸に抱き、1人で家に着いた時、家には誰もいなかった。
「……あれ?」
その日はいつもよりはやく家に着いたとはいえ、誰かいてもおかしくない時間だった。それなのに誰もいないのは、不自然極まりない状態だった。
嫌な予感がした。私は、恐る恐るリビングに入ると、薄暗い部屋の中に1枚の紙が置いてあるのが見えた。
「紙?でもなんで……」
電気をつけ、私は不自然なほど家の中が静かなことに気づいた。昨日までと何も変わらない部屋なのに、昨日までと何かが違うような感じだった。
「……まさか?!」
嫌な予感が現実味を帯びて迫ってきた。私はそれを振り払いたくて、リビングにぽつんと置かれていたテーブルの上に置かれた紙を見た。
「……!?」
現実は、冷酷だった。
紙に書いてあった事は
『お姉ちゃんの留学の為に1年間家を空けます。その間1人で過ごしてね。お金のことは気にしなくても大丈夫だよ』
って内容だった。
「やっぱり……変わんない……な」
私の中で何かが崩れていくような音が聞こえた。もう、全てがどうでも良くなった。
私は、手からこぼれ落ちた卒業証書が入った筒を拾うことなく、二階にある自分の部屋に向かった。
それからの日々は、今まで以上に何も無い日々だった。中学校で使う教材も、文房具も、服も、全て手元にはあったから。お姉ちゃんが使っていたものが。ただ、ワーク類だけは新しく買わなきゃだめだったから、両親が食費として置いて行ってくれた分を使って買った。それ以外は、普通に生活しているだけだった。何も考えず、ただただ生きてるだけ。そんな日々を送っているうちに、中学生活が始まった。
「皆さんご入学おめでとうございます。この学校では──」
入学式で、校長先生の長々とした話を聞き、事前に配られていたクラス表に従って教室に向かった。
全員が席に着いたことを確認すると、先生が自己紹介を始めた。ほとんど覚えてないけど、少し大人しめの先生だった印象だった。先生は自己紹介を終えると、次に配布物を配り始めた。入学初日ということもあり、配布物が多くてカバンに入るか心配になった。配布物を配り終えたあと先生は、「皆さん、今日から3年間、よき中学ライフを送りましょう」という言葉で一日を締めくくった。
私は、少し重い足取りで家に帰るための道を歩いた。その日は家に無事に着くことができたけど、明日からの問題が解決されたわけではなかった。
「先生……私、怖いよ」
私は、保健室の先生という心の支えが無くなった学校が怖かった。私が通う中学校は、私が通っていた小学校と他3校の生徒が通うことになる。だから必然的に、小学校の頃のいじめが続く。今日は初日だったこともあり助かったけど、明日からはまたあの日々が来る。そんな恐怖が、ずっこ私の中を渦巻いていた。
・・・
中学校に入学してから数ヶ月が経ったある日、私はいきなり廊下で殴り飛ばされた。
「その様子だとまだ生きてたようだな。早く死ねばいいのによ」
「そうだよ。早くこの世から消えろよ」
「なんでお前みてぇなクソが生きてんだよ。酸素の無駄使いやめろよ」
倒れた私にいつものように暴言が浴びせられる。もう慣れたことだ。しばらく言わせてたらいなくなるから、まだ楽だった。
「おい、何とか言えよ。黙ってるとつまんねぇだろ?」
「もっと泣けよ。助けてください〜。って言ってみろよ」
「……な」
「喋んじゃねぇカスがよ!」
こうなってくると面倒だ。もう私はただのおもちゃでしかない。声を出さないと蹴られる。声を出しても蹴られる。何をしても、何もしなくても蹴られる。そんな地獄だ。もう10回以上は蹴られてる。顔も、腹も、腰も、背中も。腕に関しては踏みつけられてる。痛い。でも、痛いだけ。
「もういい殺そうぜ」
「いいねぇ。こいつどうやって殺す?」
「そうだな〜。なるべく証拠は残さない方がいいから、生き埋めにしようぜ」
「いいねぇそれ!俺賛成!」
かれこれ5分以上私を痛めつけた人達は、急に笑いながらどこかに行った。去り際に聞こえてきた会話は、理解したくなかったけど理解してしまった。怖かった。
「あ……立た……な…………」
私の意識は少しづつ闇の中に溶けていった。少しずつ遠くなるチャイムが、どこか他人事のように響いていた。
そのあと私が気がついたのは、病院のベットの上だった。お医者さんから聞いた話だと、私は廊下で気を失っているところを教師に発見され、明らかに異常があったから救急車で運ばれて……それで治療を受けて今に至るって感じらしかった。
私の怪我は想像以上に酷かったらしく、また学校に通えるようになるまで4ヶ月くらいかかるらしかった。
4ヶ月間、私は安静にしつつもあの日聞いた「殺す」という言葉に怯え続けていた。怖かった。夢で、私は自分が殺されているのを何度も見た。精神的にも衰弱しきってしまっていて、それを見兼ねた医師たちの判断で「自宅療養」という形で学校を休むことになった。
「本当に……これでいいの……かな」
私は、自分の部屋の中でポツリと呟いた。自分一人しかいない静かな部屋は、今の私にとっては恐怖でしかなかった。その恐怖から逃げ出したくて、私は誰にも気付かれないように近くにある本屋さんに行った。気分だけでも前を向きたい。そんな気持ちで。
「ここ来るのも……久しぶり、かな」
私は変わらない店内を見て、少し安心した。何か救われたような気持ちになった。
「少し、見てみよう」
特にあてもなく、私は店内を歩き始めた。その途中でとある本が目に入った。
「誰だって主人公だから」
思わず、帯に書いてあった言葉を声に出して読んでいた。その本を手に取った。でも、買う勇気は出なかった。それでも私は、その言葉に励まされた。少しだけ、前を向いて見ようと思えた。
次の日私は、少しずつ学校に向かう努力を始めた。その次の日も、さらにその次の日も。それでも、私は学校に向かうことは出来なかった。それどころか、私の足は日に日に動かなくなっていき、もう自分の部屋から出ることすら出来なくなってしまっていた。
・・・
あれから、どれだけの時間が経っただろう。私には分からない。でも、これが現実で、私が主人公じゃないのも現実。
「現実なんて……くそくらえだ」
私は、目からこぼれ落ちる何かを感じた。それは、1度流れ始めると堰を切ったように溢れ出し、止まらない。嗚咽が止まらない。涙が止まらない。声も止まらない。誰も、止めてくれない。
「ねぇ……もし…………」
そこから先が言葉にできない。涙と嗚咽が邪魔して、言葉が紡げない。でも、私はそれでも構わなかった。
おぼつかない足取りで机に向かい、机の上に散らばっているペンを持ってきて、近くにあった紙に乱雑に文章を書き殴る。文章にすらならないそれは、私が今唯一、心の底からの本音を表してくれていた。
「じゃあ…………さよ……なら」
私は、自分が書いた紙に別れを告げ、家に置いてある薬を全て口の中に入れた。その全てを飲み込み、少しずつ揺らいでいく視界のまま、私は眠るようにベットに入った。
その後の記憶はもう、二度と更新されることは無かった。
・・・
「ただいま〜!ってあれ?陽は?」
「おかしいわね〜。出かけてるのかしら?」
「ちょっと陽の部屋見てくるね!」
留学から帰ってきた向日葵は、1年ぶりに妹と会えるという喜びのまま、陽の部屋がある二階に向かった。そして陽の部屋の扉をノックした。
「陽〜!いるんでしょ?開けるよ〜」
何度呼んでも応答がない妹を不思議に思いつつ、向日葵は妹の部屋に入った。陽の部屋に入った瞬間、向日葵は嗅いだことの無い臭いを感じて困惑したが、机の上に置かれた紙に書かれた言葉を見た瞬間、全てに気づいたかのように青ざめ、泣き出した。
『学校に行きたい』
1人の少女が綴った、最後の言葉だった。