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田中雄一は、自分の欲望に素直な人物であった。
金だ。金さえあればこの世の中は何とでもなる。彼の貪欲は底知れなかった。
ソフトウェア開発企業で会社を立ち上げ、その会社を短期間で大企業に売る。手に入った金額は100億円。その資金を利用し、新しい会社を又しても築き上げ、そして多額な値段で売る。四社目を売り渡した時に彼はもう40代に差し掛かかかったが、まさに3兆円を超す莫大な財産を手に入れた。
勿論この場所にたどり着くまで彼は容赦なく人を酷使した。
彼にとって人材は彼が目標を達成するための道具でしかなかった。過労死しようが、精神的に壊れようが、人間など所詮は交換部品。これぐらいの過酷さで壊れる人間など、捨てられて当たり前。彼にとって結果さえ出せればそれがすべてだった。
だが、彼が何故このような人間になったかも彼の生い立ちをさかのぼると理解できる。
雄一の両親は彼が子供のころから結果だけが意味のあるものと教えてきた。テストの点数から学校の成績、スポーツの順位、すべてが数字に代えられ周囲の者たちと評価されていた。
彼もまた生まれつき極めて優秀な人間だったので、何をしても成功する。その達成感が最も彼の心を満たせるものだった。
しかし悲しいことに彼は通常の家族が互いに抱く愛情、優しさ、思いやりなどは一欠けらも与えられなかった。
感情表現が皆無の家族に育った彼は、何事にも人と共感することが不可能になった。寧ろ彼が年を取るにつれて、感情などと愚かなことで人生を狂わす人物が理解できなかった。
そして今に至る。雄一は久しぶりに明日は休日を取った。正に8か月間連続で働き続け大規模なプロジェクトが完成した時点だ。彼もさすがに疲れた。60階層最上階のマンションに帰り、ソファに座ると夜景を眺めながら一息つき目を閉じる。
この夜景が彼がこの世で最後に見るものとなることを知らずに。
時間がいくら立たのだろうか?わからない。目を覚ますと彼は真っ白な床の上に立っていた。
上を見上げると夜空には数えきれない数の星がきらめいている。
「ここは、どこだ?」
「女神の領域よ」雄一の背後から突然、声をかけられる。
美しい声だった。聞いただけで心が震えるような声。彼は声の持ち主を見る前に、確信した。おそらく神だと。
「あら、素直に認めるのね、私が神ということを」
「まあ。人としては発せない声だな。そうなると神か人類以外の生物かどちらかだ」
「相変わらず論理的ね」後ろから、くすくすと笑う声。
雄一が後ろを向くと、そこには絶世の美女と言っていい姿が目に移った。それだけではない。純白のドレスをまとっていてもわかる、その完璧な線対称に整った体系。生物的には絶対にたどり着けない理想形だった。
彼女の体から放たれる淡い光で、周辺が照らされている。あまりにも美しい光景。その彼女が、雄一の頬をやさしくなでる。暖かい何かが彼の満たされなかった空っぽの心を抱え込み一気にあふれるほど満たしてくれる。
雄一の視覚が急にぼやけ始める。
「どうして...」と震える声でつぶやく。今まで雄一が一度も感じたことがなかった何かが、彼の心を揺らす。
「今、何を思っているの?何を感じているの?」女神が彼を問う。
雄一は「わからない」と一言しか言えなかった。ただ、涙を流しながら女神の前で佇んでいた。女神は雄一が泣き止むまで、やさしく見守っていた。
「私はミシャカ。癒しと慈悲の女神。雄一さん、あなたの人生は私が見守っていましたが、あいにく私の世界ではなかったので、あなたの魂を導けませんでした」
「私は、死んだのか」やっと落ち着いた雄一は、何とかミシャカルに聞く。
「ええ、そしてあなたが命を落としたその時に、私があなたの魂を引き抜きこちらに来てもらったのです」
「どうして?」
「あなたは強く輝く魂をお持ちです、ですが前世ではその力を無意味なものに活用していましたね」
「無意味、そんな!」と否定しながらも、自分を疑う。
「ですがそれもあなたの生い立ち上、仕方がなかったかもしれませんね。お分かり?ここでは、貴方が今まで向こうの世界で築いてきた物など無意味なものです」
「それでは、何に価値があるというのですか?」
ミシャカは夜空に片手を伸ばし、雄一に答える。「この夜空の光、何十億とある光がなんだと思います?この一つ一つの光が、私の管理する魂です。まぶしく光るもの、弱々しくほとんど光っていないもの、すべて私が導いている魂たちです」
驚いて声も発せない雄一。以前の世界では、神様など信じていなかったが今になってはすんなりと受け入れることができる。絶対的な証拠が目の前に存在しているのだから。
「あなたを私の世界に連れ込んだのは、貴方に私の世界で成し遂げてもらいたいことがあるの。先程、あなたの心に向こうの世界であなたに与えられなかったものを私が与えたわ」
「私は、ミシャカの世界で何をすれば。。。」
「あなたを含めて、私の世界にいる不幸な人たちを、幸せにしてほしいのよ。この私の領域が魂の光でまぶしく照らされるほどに」
「そんな、どうやったらそんな大規模なことを...」
「今は、わからなくてもいいのよ。ただ、覚えておいてね。私は、貴方をいつも見守っているわ。10歳になったらまた会いに行くから、それまで頑張ってね」
微笑みながらミシャカが彼の頭に手を置くと、彼の視界がぶれ始め、意識を失い永い眠りについた。