卒業記念旅行はどこにする?
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
教室に着くと、ごきげんようラッシュの最中でした。
爽やかにお手ふりしながら、中央列最奥の自席へと向かいます。
確か、今日は朝からホームルーム三昧の予定…。
楼園紅鈴学園では授業を先取りして行っていて、初等科でも5年生までに公立中学校2年程度までの学習は済んでいます。
そのため最終学年ともなると、校外活動やら記念授業などが中心で普通の授業はほとんどありません。
生徒によっては、授業のない最終学年を有意義に使って、外部校を受験したりするのだとか。
もっとも楼園紅鈴学園大学は偏差値が高く、コネも作りやすいので、めったに外部受験をする生徒はいないようですね。
カノンの引いてくれた椅子に座ると、リョウが学生カバンの中から学園指定のタブレットとノート、ペンを取り出して机の上に置いてくれます。
ちなみに、城の内装はロココ調ですが、全部屋エアコン完備で、教壇もホワイトボードもあります。
「ありがとう、カノン、リョウ」
わたしはプリンスらしく笑い掛けて、ふたりに席に着くように促しました。
ふたりが、わたしを間に挟んだ左右の席に腰掛けます。
楼園紅鈴学園初等科は、20名ずつの3クラス。全部で60名です。
幼稚舎が一学年に十数名しかいなかったことを考えると多いのですが、狭き門には違いなく、初等科から入園した生徒はそれなりのお金持ちの子女でしょう。
わたしのクラスは6-Aで、カノンとリョウも同じクラス。
実のところ、6年間ずっと一緒のクラスなのです。
監視されているようで少し窮屈••••。いっ、いえ、そんなことはありませんよ!
それに2人にはいつも感謝しているのですよ。
公私共にわたしを補佐してくれているのですから。
今日もリョウは離宮からわたしのカバンを持ってくれましたし。本当に助かっています。
ただ、幼稚舎も含めると9年間ずっと同じクラスなのですよね。
必然的に、というか、病的にというか、ふたりは人の世話をせずにはいられない性質のようで。
ブランシュに対して並々ならぬ忠誠を注いでいるのはわかりますが、もう少し青春とか、個人的な恋愛とか、を味わって欲しいとも思うのです。
最近、とみに過保護なのも、鬱屈した何かが溜まっているのではないでしょうか。
わたしは、ふたりのことが心配です。
「皆さん揃いましたか?今日は初等科卒業記念旅行の打ち合わせをしたいと思います」
わたしの物思いを破って、クラス委員の西条惟人の声が聞こえました。
彼は初等科から入った某酒造メーカーの御曹司で、整っているのに地味という残念な容姿をしています。
カノンやリョウから『性格がとても穏やかで平凡なのがよい』とクラス委員に推薦されました。とても真面目で好感が持てます。
「午前中に各クラスで草案をまとめて、ランチ会議で協議となっておりますの。皆さま、6-Aのプランが採用される誉れを勝ち取りましょう」
バービー人形を大きくしたようなマリカ姫こと、香西茉莉花が、付け足しました。
彼女はわたしの幼稚舎からの幼馴染み。
老舗の和菓子屋のご令嬢です。
お祖父さまがとてもやり手で、今は世界をまたにかけた事業展開をされていて、うちのホテルチェーンとも深い付き合いがあります。
離宮にも、いつもとても美味しいお菓子を差しいれしてくれるのですよ。
彼女の顔を見ていると、何だかお腹が空いてきました。
今日のおやつは何でしょう。
わたしは葛を使ったお菓子が特に好きなのですよね。
あとで、ルナにお抹茶を入れてもらって食べよう。
頬を緩めている私の視界を、ハンカチが掛け抜けました。
「えっ…?」
何かがわたしの口元を拭ったような…。
えっ、よだれなんか出していませんよね?
隣を見ると、カノンが笑ってない目で微笑んでいました。
どこにもハンカチなどありません。
疲れているのでしょうか。幻覚が見えたみたいです。
「どうかなさいましたか?白鳥の君、よい案でも…?」
「…え?」
カノンの言葉に視線を前に向けると、委員長はもちろん、クラスの皆がわたしを期待した目で見ていました。
まずいです。何も考えていませんでした。
わたしは優雅に立ち上がって、咄嗟に必殺プリンススマイルを浮かべました。
「よい案というほどのものではありませんが、候補はいくつか…。ただ危険すぎる場所はか弱い女生徒たちには勧められませんから…」
クラスを見まわして、同意を求めるように、ひとりひとりと視線を合わせます。
女生徒達は、頬を赤らめて頷いてくれています。
「かといってあまりにも凡庸な案では6-Aの価値を下げてしまうでしょうし……冒険心がないと先生方に思われるのは避けなければなりません。悩むところですね」
睫毛を伏せて、ふぅと悩ましげにため息をついてみせます。
男子生徒達が「そうだ!」というように、拳を上げて同意してくれます。
「流石、星蘭さま、お考えが深いです!」
「避暑地に比べて行く事の少ないアフリカ等はどうかと思いましたけれど、確かに危険すぎますわね!」
「引率者がいないからな。予防接種の必要な地域は避けよう」
ふぅ、王子の威厳を守れたようです。
ついでに、注射の危機も回避しました。素晴らしい。
「じゃあ、無難にハワイとか、ヨーロッパか?」
「それでは『凡庸すぎて6-Aの価値が下がる』と星蘭さまが言われたばかりではありませんか!もっと意外性にとんだ場所にしなくては駄目ですわ!」
回避できたのはいいけれど、ハードルを上げすぎてしまったようです。
どのように回収しましょう…。
この初等科卒業記念旅行というのは、いわゆる修学旅行です。
楼園紅鈴学園の生徒は、電車に乗ったことのない子が多く、キップの買い方なども知らないのがスタンダードです。
そこで、初等科・中等科では卒業前に社会勉強を兼ねて、自分達で旅行をプランニングして、実際の予約やチケット購入などの諸手配も自分達ですませ、子ども達だけで旅行に行くという卒業期念旅行を行っているのです。
とはいえ、皆お金に糸目をつけるわけではないので、内容は修学旅行とは思えぬほど豪華なものです。
諸手配もそれぞれの使用人や執事に申し付ければいいわけですから、それほど困難ではありません。
どちらかというと、将来上に立って、人を采配することの勉強だといえますね。
「なぁ、俺、使用人のいない旅行ってしたことないんだよ。何かあったら、どうするんだ?」
「引率者がいなくても、学園の雇った『影』があちこちで観察してるって噂だよ。でないと、評価のつけようがないじゃないか」
前方に座っている男子生徒の内緒話が聞こえてきます。
ここまで聞こえてくるのでは、ひそひそ声になっていないですよ?
実は、この旅行は『評価』され、結果は学園全体に通達されます。
旅行計画書の発想力やプランニング力はもちろんですが、旅行中の行動も評価に大きく響きます。旅行全体の評価が高ければ、その年度の生徒全体の誉れとなりますし、個人的に評価を受ければ今後の社交クラブ入りや、大学や就職、ひいては家の事業にまで影響を与えます。優秀な跡取りのいる会社ならば、今後の取引も安全…というわけですね。
『影』というのは、旅行中に学園が影から子ども達の様子を監視させているボディーガード達のことでしょう。
いくら子どもの自立を促すといっても、誘拐されたりしてはいけませんから。セレブの子女を預かる身として当然です。
けれど“いるかいないかはっきりしていない”ことで、子ども達の緊張感・開放感はすごいものです。
ああ、わたしも胸がドキドキ・ワクワクします。
そういえば!兼ねてから、わたしがしてみたかった、アレをしてはどうでしょうか!?
レディの白鳥星蘭では無理ですが、プリンスの星蘭ならば問題ないのではないでしょうか!?
「あら、星蘭さま、何かよい案を思いつかれましたの?」
「無人島で宝さがしなどはどうでしょうか。自分たち以外誰もいない島でならば、自立心も大いに育つと思うのですが」
「無人島!?そ、それは新しいですわね…………」
マリカ姫がヨロリ、と後ろによろけました。委員長が後ろからサッと支えます。
「でも、わたくし、そんなところで眠るなどできませんわ…」
KINGレストランチェーンのご令嬢、有栖川くるみが不安そうに呟きました。小さくて、少しぽっちゃりめの、栗鼠のように可愛らしい女の子です。
初等科からの入園ですが、わたしは密かに小リスさんと呼んでいます。
「いいじゃないか。無人島!面白そうだし!」
「海底に眠る沈没船を引き上げるとか!?いいね~」
対して男子生徒はやや前のめりな子も多いです。
女の子は虫が苦手な子も多いので無理そうですね…。
「無人島に豪華客船を横づけして、そこを拠点にすればいいんじゃないか。どうせ無人島に行くのにも、クルーザーか何かに乗らないといけないんだし」
生徒会役員の上杉潤一郎がため息をつきながら提案しました。
生徒会長である大王の犬と呼ばれる彼は、アフガン·ハウンドのような容姿をしています。
「私たちだけのアイランドで魚と戯れて、夜は星空のもと豪華客船でパーティー•••••ああ!素敵ですわ!さすが星蘭さま」
あ、あれ?
わたしの思い描く無人島生活といささか違うようですが…。
わたしが口を開きかけると、それに気づいたマリカ姫がサッとカノンとリョウを見ました。
「白鳥の君、口を開けて下さい」
「なに……んっ」
いきなり、節のない指がわたしの唇を押し開けました。
舌の上に甘い味が広がります。
し、塩バターキャラメル?
首を傾げてリョウを見ると、爽やかな笑顔で首を傾げ返されました。
なぜ、突然キャンディーをくれたのでしょうか。
リョウは相変わらず、よくわかりませんね。
でも、塩バター美味しい。もぐもぐ。
……後ろの席は飴を食べていても見つかりにくいのがいいですね。
「では、6-Aは『豪華客船無人島への旅』の草案を出してみます。ランチミーティングの結果は、午後のホームルームで伝えます」
「ランチミーティングで決定したプランを元に、細かい内容を詰めることになりますわ。皆さま、また午後からよろしくお願いいたしますね」
午前の授業の終わりを知らせる鐘が鳴り響いて、クラス委員のふたりは一礼して教室を出て行きました。
わたし達も昼食の時間なので、離宮に向かいます。
城にも食堂はあるのだけれど、カノンとリョウが不特定多数の人がいる中では落ち着かないと言うので、離宮の食堂で食べるのが日課なのです。
はぁ、また離宮まで、歩くのですね…。
「あの、星蘭さま?」
小リスさんに後ろから声を掛けられました。
カノンとリョウを交互に見て、キレイなカテーシーを取ってから「よろしいですか?」と了承を取ってくれます。
その動きが小さくて、なんとも小動物可愛い。
「かまわないよ。でも有栖川さんも食事を取らなくてはいけないのでは?」
「そのことで…いつも離宮の食堂を使われている事はわかっているのですけれど、よろしければお弁当を食べていただけないかと思いまして」
「お弁当?有栖川さんが作ったのかい?」
「いえ、このたび新しくレストランをオープンすることになりましたの。それで、そこのシェフのお料理をお弁当に詰めてもらったのですわ。以前、星蘭さまに『KINGチェーンはお弁当部門には進出しないの?フレンチの高級なお弁当というのも、面白そうだけど』とご提案いただいていたので、よろしかったら試していただきたいと思いまして。あの…カノンさまや、リョウさまの分もありますの。どうでしょうか?」
小リスさんが、おそる、おそる、と言った表情で尋ねてきます。
カノンは女性と見まごうほどの美貌で、わたしにブリザードスマイルを連打しました。
ひいっ、やめてください!本当に凍るから!
「白鳥の君が自ら望まれたことなら否やはないよ。有栖川さん、毒見をすることになると思うけれど、気を悪くしないでね?」
「はっ、はい!それは仕方ありませんから。前に、毒が混入していて、寝込まれたのですよね」
「あ、ああ、そうなんだ…」
真実は『お嬢様が初めて作った手づくりのサンドイッチ』というものを食べて食中毒になっただけです。5歳児に、真夏にいくらやサーモンのサンドイッチは危険ということがわかるはずがないですよね。
毒殺者わたし。被害者わたし。
一緒にいた幼馴染たちは誰も食べなかった。偉い。
わたしの遠い目と、カノンとリョウの笑いをこらえた下向き顔をどう取ったのか、小リスさんは痛ましそうに眸を潤ませた。
いい人すぎてつらい。
「では、庭園の東屋に参りましょう。リョウ、今日は離宮でランチを取らないことを伝えて、給仕を借りてきてもらえますか?」
「かしこまりました。早馬で行って参ります」
ん?言葉の比喩???
本当に馬で行くわけじゃないですよね?
というか、馬が使えるなら、今朝使いたかったです。
小リスさんを交えた3人で庭園へと移動して、あいている東屋を探します。
食堂のメニューは日替わりだけれど、和食・中華・洋食・イタリアン・フレンチと多岐に渡っているし、お味も内容もリッチなものなのでお弁当を作ってくる人は多くありません。
けれども、お弁当を作って来たい人-----主にカップルや、高等部から多くなるさほどセレブでない生徒も一定数はいるわけで。
早めに行かないと空いている東屋はなくなってしまいます。
運よくあいている東屋がありました。
「ここで、リョウを待ちましょう」
カノンが東屋の屋根ついた棒に白いリボンを結んでくれます。これで、リョウに見つけてもらえるでしょう。
「カノンさま、お弁当を持っていただいてありがとうございました」
「流石に女生徒に荷を持たせるわけにはいきませんから。それにしても、4人分にしては多きすぎるのでは…?」
「お好みのものがわかりませんでしたので…いろいろ作ってもらいましたの。余った物は使用人に持ち帰らせますので、お好きな物だけ召し上がってください」
ちりめんの風呂敷きの中から、3段のお重が2つ現れました。
確かにこれは…4人では無理ですね。
しばらくすると、リョウがやって来ました。
茶器セットを持ったルナ、レオ、大王も一緒です。
「わたしたちも、ご一緒させていただきたいと思いまして」
花も綻びそうな笑顔でお茶を淹れてくれるルナはともかく。
「たまには、外でランチを取るのも面白そうだ」
上から目線の大王!誘っていませんから!さっさと座るのは、どうしてですか!?
わたしは小リスさんに謝罪しました。
「せっかく誘っていただいたのに、こちらが迷惑をかけることになってしまったようですね」
「いっ、いえ、そんな!ただ…ブランシュの聖騎士が揃われるなど恐れおおくて…。あの、お口に合えばいいのですけれど…」
小リスさんが、ふるふると震えながらお重のフタを開けてくれます。
おお~!!豪華です!!美味しそう!
「とても美味しそうですね。遠慮なく、いただきます」
「白鳥の君、わたしが取りますから、食べたいものは仰っしゃってください」
結局、7人で美味しくお弁当をいただきました。
ルナの淹れてくれた食後の紅茶までいただいて、大満足です。
不安そうにしていた小リスさんも、最後には笑顔を見せてくれました。
ふふふ。わたしが小リスさんと呼ぶ許可も頂きましたよ!
これを機にもっと仲良くなれるとよいのですが…。
あ、教室に戻る前にレオパルドが小リスさんに花園入りを打診してくれています!
可愛い小リスさんが入ってくれるならば、とても癒されることでしょう。
きっと、みんなもお弁当の美味しさに感激したのですね。
単純だなぁ。