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部室には結局、貴船とエレンもついて来た。
「だってさ、キュウリ持って帰るのに袋が欲しいしさ」
あーでも部室やっぱり落ちつくわ、と何しに来たかよく分からない貴船がどさりと席について大きく伸びをした。
四宮は機械をセットアップしながら横目で貴船を見る。
麦わら帽子、ワイシャツの首に手ぬぐい、なぜか長靴のままだ。どこからどう見ても、畑仕事のオッサンという風情だった。
その点、エレンの方が普段の様子に近い。鼻の頭にぽつりぽつりと汗を乗せて、額に前髪が貼りつきかかっているが、夏服の彼女は元気いっぱいだった。
「あっつ! ここムチャ、暑いですよねー! クーラーつけましょ!」早速スイッチを操作している。
「シノ部長、でさ」貴船が急に身を起こす。
「どうすんの? 今日は」
「データ解析を最初に」
「河合に田嶋かぁ……アイツら、ホント訳わかんないよな」
貴船は急に話題を変えて、エレンの方を振り向いて大声を出す。
「後からあの二人と連絡取ったヤツ、いるの?」
「分かりませーん」
エレンは拾い上げた下敷きでぱたぱたと顔を仰ぎながらケータイを取り出した。
昨日のことを、四宮もまた頭の中で反すうする。
田嶋と河合の二人が視聴覚室に向かって間もなく、スタンプオンの画像データにいっとき乱れが生じた。全校内のスタンプが受信できなくなってしまったのだ。
彼らの足跡ももちろん読めなくなったため、エレンが二人に電話をかけた。すぐにつながったまではよかったのだが、視聴覚室前に着いた時、
「あれ、かぎ。待てよ河合」
田嶋のその一言を境に、ぷつりと連絡が途絶えた。
「夏目センセイが急に来なけりゃ、すぐに追っかけられんですけどねー」
エレンの言葉に、貴船がちっ、と舌を鳴らす。
「下校時刻だー、帰れーって……ナッチーのやつ、いつもは八時までザンギョウさせるクセにな」
「ですよねー。いつもならもっと無茶させるクセに」
エレンもふくれている。それに貴船がエレンの口調をまねてさらにかぶせてきた。
「四十過ぎると急に守りにはいっちゃんでしょーかねー、やだやだオッサンてば」
四宮はつれない。
「まあ、理事会の日は仕方ないですよ。それにしても田嶋と河合、」
四宮の眉間にかすかに縦じわが寄った。
「アイツら……無責任にも程がある、ラインも見てないようだし」
四宮の怒りように、ふふ、と貴船の目じりが下がる。
「シノ部長、そのもっともらしい言い方がまたサマになってるよな」
「何ですか、『もっともらしい言い方』って」
「でも縦じわなんて寄せるといい男が台無しだよ」
「止めてください」
エレンが大声で茶化す。
「あっ、キフネ先輩、部長にホレてる~」
「はぁっ?」
思わず四宮の叫びが裏返った。
貴船がからからと笑い、四宮はごほん、とむせてから声の調子を戻す。
「……それより、夏目先生はちゃんと田嶋たちに会えたんでしょうか」
「会えなかったら今ごろ大騒ぎだろうねぇ」
オッサンみたいな口調でそう言ってから、よっしゃ、とこれまたオッサンじみた掛け声とともに貴船は立ちあがった。
「せっかく来たんだから、ちょっくら見てくるわ」
そのためにここまでついて来てくれたらしい。
「えっ、すたんぽんの穴ですかー。エレンも行きます!」
座り込んでいたエレンもぴょこんと立ちあがった。
「もち、来てもらうさ。だって俺」
長靴の片足を上げてみせた。
「今日コレだから足跡つかないしね」
「エレンはちゃんと、タグついてますよー、今日も」
「えっ? エレンちゃん」
貴船が感心したようにつぶやく。
「まったく、科学部のお手本のような人だよねえ」
「えっへん」
人差し指で鼻の下をこすり、エレンはドヤ顔だ。
貴船は自宅から長靴履きで来たらしい。歩いて十分もかからないんだよ、と前からよく言っていたが、まさか麦わら帽子もそのままで来たのだろうか? と四宮はまた、ちらっと彼の姿を見る。
「データは復旧したのかな、シノ部長、エレンの足跡は見える?」
「はい」
ためしに部室内をモニターに映してみたら、自分の足跡とエレンのものはくっきりとスタンプされていた。
「じゃ、行って来るわ」エレンちゃん、行くぞー。と貴船は農家のオッサンのまま立ちあがり、仔犬ばりの小刻みなステップで走り回るエレンを引き連れ、部室を出て行った。
四宮はしばらくその様子を追った。
部室は急に静まり返った。
機械の発するかすかなモーター音がやけにうるさく感じられる。
ひとり分の足跡が、まっすぐにとはいかないまでも、かなり速いペースで廊下を進み、階段を二階分降り、近くの連絡通路を抜けて北館へと入って行くのが見えた。
北館入口でしばし、立ち止まってからまた足跡は進んでいった。
通路をずっと西の端まで軽やかに歩いているのが、黒い画面の中、線画の見取り図に映しだされていく。
そして、小さく青緑に輝く足跡はついに視聴覚室前に立った。
四宮のスマホが鳴った。
「シノ部長、着いたよ」
「あの」
四宮はごくりとつばを飲んだ。なぜか、訊いていた。
「カギ、かかっていますか?」
「カギ?」
うんしょ、と取っ手に手をかけて引っ張っている様子がうかがえた。
「かかってる、いや……」
貴船、かがんでみたようだ。
「カギ、壊れてるわ。穴になってる」
脇からエレンの声がする。「入りましょーよー」
「うん、とりあえず入るわ」
昨日までモニター内の視聴覚室見取り図に散らばっていた足跡はずいぶん薄くなっていた。
仕様でどのようにでも表示できるのだが、今は分かりやすいように時間単位で表示が薄れていくように設定してあった。
しかし、『穴』の位置はすぐに判った。
周りが薄れていようがやはり、奇麗な円なのだ。
四宮は電話口に向かって
「見た感じ、何かありますか?」
と訊ねるが、貴船の返事は
「いいや、何も」とそれだけだった。
「場所、詳しく説明します。とりあえず教卓のすぐ入口側の脇に着いてください」
「もうスタンバったよ」
教卓の四角い形は、見取り図の中にやはり黒く残っている。新しい足跡が、側面のすぐ脇に見えた。
「落合くんは見えますが、先輩はどこに?」
「エレンちゃんのすぐ後ろ」
くすくすと笑う声が漏れ聞こえ、四宮は束の間モニタから目を外し、唇をかむ。
落合のことを、みんなエレンと呼んでいるが自分はどうしても名前で呼べなかった。
落合は自分のことを笑っているのだろうか?
会話が漏れ聞こえていたのだろうか? 相変わらず堅苦しいですねー、というエレンの声が聞こえたような錯覚に陥る。
だが、すぐに気を取り直して電話口で指示を飛ばす。
「教卓のすぐ前、距離としては五十センチくらい離れた、たぶん机の前列よりもわずかに前に空いた場所だと思います。入口から見て、教室をちょうど半分に分けたまん中の位置になるかと」
貴船がエレンに何か言っているのがかすかに聞こえる。マイクを押さえているのだろうか。
それからすぐ、蛍光色の足跡がはねて、『穴』の縁に立った。
ちょうどぎりぎりの場所だ。
まるで……井戸の縁に立つような。誰も来ない場所の、暗い森の中の。
四宮は突然襲ってきた映像にぶるりと頭を振った。
井戸? それに暗い森だって?
どこからそんな発想が沸いたんだろう?
「もしもし?」
声が何も届いてこない。
「もしもし、先輩、今どこに?」
電話からは何の音もしない。エレンの足跡は相変わらず穴の縁から動いていない。
「貴船先輩、聞こえますか?」
いっしゅん、足跡がゆらいだ気がした。ほんの瞬きの間に、何かがかぶさり、それが消えた……いや、
「……融けた?」
何度もまばたきを繰り返し、画面を凝視したままスマホを握りしめる。
「聞こえますか? もしもし? 先輩!」
今度はスマホを見る。通話がいつの間にか切れていた。
「クソっ」
リダイヤルをするがつながらない。
モニター画面から、エレンの足跡が消えていた。
「何だよ……これ」
その時がたん、と大きな音がして四宮はぎょっとして顔を上げた。
「どうしたの?」
部室の入口に立っていたのは、成島みずきだった。
「何? 部長。メッチャ……ビビった? 今」
「……み、」ごくりとつばを飲んで、四宮が続ける。
「成島さん、い、今」
「だからみずきでいいってば」
四宮と二人きりの時だけにしかしない、わずかにぞんざいな口調でみずきは言う。
「幼稚園の時からさんざん気安く呼んでたクセに」
「すごい音が」
「ごめん、ドアにぶつかったんだ、でもそれくらいでそんな驚く? さっき電話してたの? 何?」
「……大変だ」
四宮は眼鏡を押し上げ、キーボードを操作する。焦った手つきで視聴覚教室の図を更に拡大し、エレンの個人コードを入力して検索する。
「落合さんが消えた」
「えっ?」
どういうこと? と問い詰めるみずきに、四宮はここに来てからのことを手短に説明する。
「貴船先輩にはタグがついてないんだ、それに電話も切れてしまった」
「だったら」
みずきは窓際に寄って、向こうに伸びる北棟の、一番左端の方に目をやった。
「いいじゃん、私たちで見に行ってみれば」
「しかし……」
「部長……ケイちゃんさ」
みずきは大きくため息をつく。
「昔っからそうだよね、何かトラブり出すと急にオタオタしちゃうよねえ」
それにさ、と言い聞かせるような口調で四宮の前にやって来る。
モニターにくっつくようにしていた四宮の頭をぐい、と引き離し、画面と彼との間に顔を割り込ませる。
「データデータ、って、とりあえず見に行けば早いじゃん。すっごく遠いワケじゃ、ないんだし」
四宮が「違うんだ、」と言いかえそうとした時、
「たっだいまー」
入口から能天気な声が響いた。
「あー面白かった、すたんぽんの穴ってば」
楽しげなエレンの後ろからひょこっと貴船の頭がのぞいた。
「おー、お待たせ、あれ、ナルちゃんも来てたんか」
四宮の顔を見て、少し驚いた顔になった。
「どした?」
「……あの……おかえりなさい」
貴船は肩をすくめ、スマホを持ち上げた。
「ごめん、充電切れだわ」
何もなかったですよー、ただの床でしたー。
エレンの声がどこか遠くから響いた。




