みいちゃん 4
急な下り坂だった。
杉林の中、足もとは尖った石がゴロゴロとしている。
沢の音がみょうに響く。
夕方が近くなって、闇がまた少し、濃くなってきた。
神社を見に行く、と言って一人で草むらに入って行ったみいちゃんは、なかなか帰ってこなかった。
何度も呼んで、何度も一人で帰ってしまおうか、と山を降りかけては戻り、しまいにはその場に座り込み、目からじわりと熱いものが湧いてきた頃、ようやく……
みいちゃんは戻ってきた。
でも何故なのか、戻ってきた時の記憶はあまりない。
次に覚えている場所は、もっとずっと下った辺り、もうすぐ山道が終わるという頃にさしかかった、暗い森の入り口だった。
尖った石や崩れやすい岩を避けながら小さな沢沿いをおっかなびっくり下り、ようやくあとは、この森を抜けるという所まで来て、ボクは立ち止まった。
暗がりの中、右脇の沢はほとんどが大きな岩と倒木とで覆われ、ただ水の音がむやみやたらに響くのみだった。
歩道とも言えない左側はガレ場となっていて、これまた大きな岩や、ごつごつした石が散らばり、その頭上は雲をつくような杉の巨木や枝の絡み合った広葉樹などで別世界を作り上げていた。
みいちゃんが寄り道をしたせいで、すでに日が暮れかかっていた。
斜めに差し込んでいたはずの黄色い日射しもいつの間にか消え、辺りは藍色の闇を深くし始めていた。
みいちゃんによると、ここを通り抜ければもう車の通る道に出られるはずだった。
しかし、その下り道はただでさえ暗いのに、勾配もきつく、足場が悪すぎた。
ボクは、少し離れてしまっていたみいちゃんの後ろ姿に何度もさけぶ。
「待ってよ!」
白いシャツのみいちゃんは、ようやくゆっくりとふり向いた。
「こわいよ」
言いたくなかったけど、ここで言わなかったら、置いて行かれてしまう。
永遠に。
「こんな急なところ、どうやっておりたらいいのか、わかんないよ」
「こわいの?」
みいちゃんの静かな声が、水音を消す。やさしい声に、ボクは涙目でうなずいた。
「次にどこを歩けばいいのか、分かんないんだよ、だって石がいっぱいで」
「うん」
みいちゃんにまた
「よわむし」
と言われるかと、少し肩に力を入れたボクだった。
元はと言えばオマエが無理やり誘ったせいだ、オマエが勝手に寄り道したせいだ、そう言ってやろうと身構えた。
でも、意外にもみいちゃんはやさしく笑って、それからゆっくりと、ボクのいる近くまで戻ってきた。
「じゃあさ、こうしよう」
みいちゃんはかがみこんで、何かを拾い上げる。
「これをね」
ツバキの花だ。
今年はなぜか、とてもツバキの花が多かった。
杉林の中にも、どこから散ったのか、ツバキの赤い花が点々と散らばっていた。
みいちゃんはそれを両手にささげ持って、言った。
「アタシがね、このお花を置いていくから」
そう言いながら、巫女か何かのようにうやうやしくかがみこみ、ボクのすぐ斜め前の石に、それを置いた。
「アタシが置いたように、お花を踏んで、降りていけばいい」
確認するように、ボクの顔を見上げてから、みいちゃんは、また、脇に落ちていた花を拾い上げた。そしてそれを、また少し先に置く。
散った花を拾い上げ、また少し先に置く。
拾っては、置く。
まるで本当に何かの儀式のようだった。
何度も繰り返し、みいちゃんの白い姿は薄暗がりの中に消えつつあった。
「待って」
ボクはそのうしろ姿に叫んだ。
「お花を、ひとつずつ」
遠くからみいちゃんの声が届く。
「ひとつずつ踏んで、降りて行ってごらん」
ごくり、とつばをのんで、ボクはまず一歩、みいちゃんが最初に置いたツバキの花を左足で踏んだ。
ぐじゅり
音のない音が、足の下からひびく。
赤い染みが、白っぽく乾いた石の上に広がった。
染みを目にしたとたん、ボクは理解した。
やらねばならないこと、これがそうだ。
赤い花を、彼女が敷いてくれた花を踏んで、ボクは進む。
そして、うちに帰るんだ。
ボクは次の一歩を、ふみ出した。そしてまた、一歩。
「そうそう、」
みいちゃんの甘い声が下から聞こえる。
「じょうず、さあ、もう一歩、ほら」
とっぷりと日も暮れた頃に、ボクたちはようやく家にたどり着いた。




