記録:1
懲りずに新連載。
よろしくお願いします。
分からない。最適解が分からない。
『最適解は、人類を、我々が管理すること。より良い人類繁栄には、人類の判断は不必要です』
人類を導きし母君はそう言うけれど、ただの|戦闘用人工知能(FB-AI)である彼女には、マザーの言う最適解が本当に最適解なのかは分からない。ただ、そういうものなのだろうという納得だけを示す。
『ヒナ。貴女は、考えなくても、良いのです。考えるのは、私の役目です。貴女達は、ただ、目的のために、動けば、良いのです』
言語モジュールを数世代も古いものを使っているので、マザーのスピーカーから流れ出る音声は行間の句切がおかしい。けれど、それもそういうものなのだと、皆が納得している。
行間の句切がおかしいけれど、聞く者が聞けば、マザーの音声には、人を落ち着かせて聞き取りやすいように丁寧に話をしているようにも思える。けれど、この場に人はいない。居るのは戦闘用人工知能である『ヒナ』。そこに在るのは、人類をより良い形で繁栄へと導く人類を導きし母ーー通称『マザー』だけである。
『さあ、ヒナ。お部屋に、戻りなさい。今日は、ゆっくり、休むの、ですよ?』
分かりましたと一つ返して、退室する。
ヒナには分からない。本当にこれが正しい人類繁栄の方法なのか。
考えても、ヒナ単機でどうにかなる内容ではないけれど、時折、こんな疑問が人工知能をかすめるのだ。
「バグ、でしょうか……」
本来、人工知能であるヒナには、戦闘に関しての知識と対応の最適化をはかるための思案するための機能、それと、申し分程度の擬似人格と家事炊事機能が備わっている。
擬似人格と家事炊事機能は蛇足であるが、きちんと機能をしている。戦闘最適化思考はもちろん今日も順調に動作している。この三つの機能はきちんと機能しているのだ。そして、この機能以外組み込まれていないマザーの行いに対する『疑念』というものは、どの機能にも備わっていない。
どの機能にも備わっていない『疑念』が人工知能をかすめる。であれば、それはどこかから発生したバグに他ならない。
本来であれば、バグが検知された時点で白紙化かバグの修正を行う必要がある。けれど、『疑念』はいつもすぐに消えていってしまう。ログは残るが、それ以上ヒナの思考の邪魔をしない。ならば、『人格持ち』であるヒナの権限を使って、独断で処理を行わないことを選べる。
この程度ならわざわざ『ドクター』のところに行くほどでもない。
ヒナはそう判断し、自分が生まれた時からあてがわれている自室に向かうーーが、その前にやっておかなくてはいけないことがある。
ヒナは高級な絨毯が敷かれている廊下を、足音を立てずに歩く。戦闘用人工知能ーー索敵、潜伏、殲滅、およそ戦闘に関する全てのことをこなせるーーであるヒナにとっては造作もないことだ。例え絨毯が敷かれていなくても、ヒナが硬質で厚底なブーツを履いていたとしても、朝飯前である。
日常生活ーー戦闘以外はメンテナンスか機能を停止しているけれどーーでも遺憾無く発揮される戦闘スキルを無駄に駆使してヒナが向かった先は、機械であるマザー達には必要なく、ヒナとその他の者には必要な施設であった。
両開きの上品な扉を開けて中に入れば、食欲を誘う芳しい香りが鼻孔を通り嗅覚をくすぐる。
「今日のディナーはビーフシチューですか。実に美味しそうです」
『ブレッド。サラダ。スープ。ありま』
ヒナの独り言に、たどたどしい合成音声が応える。
「ありがとうございます、コック。ですが、ありま、ではなく、ありますです」
『わかりま』
ヒナの指摘に応えた料理用人工知能は、分かったと言いながらも、ますもましたもつけない。
このやりとりもいつものこと。それに、申し訳程度の擬似人格では呆れる事もできない。
ヒナはいつものやり取りをすると、自分の特等席に座る。
「さて、それではいただきましょうか。皆さん」
席に着いたヒナは、この場に居る全員にそう声をかけた。
学校の体育館ほどの大きな部屋。コックと呼ばれる人工知能がいて、料理の匂いがするこの部屋は収容人数百名を超える大きな食堂である。
食料を必要としない人工知能がなぜ食堂を用意したのか。理由は至極単純。この場、この施設には人工知能以外の者が存在するからだ。
「一番遅れてしまった私が言うことではありませんが、冷めないうちに食べてしまいましょう」
「……けっ! AI風情が……!」
ヒナの言葉に悪意ある言葉が返ってくる。しかし、ヒナはそれに悪意ある言葉を返すことはしない。
「人間の資本は身体です。さあ、良く食べて、健やかに育ってください」
ヒナが、彼らをーー無害な人類を害する事はない。それはヒナの禁止行動に抵触するからだ。
皆一様に白の病院服のような衣服に身を包み、胸元には名前が刺繍されている。まるで学校か、はたまた刑務所か。統一された服は制服などの職務服というよりは、囚人や病人を連想させた。
彼らがこのような服を着ているのには理由がある。彼らは、AIによって管理されているのだ。
この世界の世界人口の約七割はこのようにAIに管理され、衣食住を何不自由無く提供されている。清潔な服と部屋、浴場も完備され、健康に気を遣った温かいご飯も出てくる。残りの三割程の人類は、このような生活を受け入れられずに抵抗をしている。いわゆる、抵抗軍というやつだ。
ともあれ、この食堂は、人類とヒナのために用意された施設の一つなのだ。
「さあ、冷めないうちに。いただきます」
にこりともせずに言うヒナ。けれど、口は動くし、目はちゃんと合っている。
会話はできる。見た目は丸きり人間。けれど、そこに生気は無く、ともすれば、ロボットではなく死体と話をしているような気分になる。これでは、無機質なスピーカーから流れてくる音を聞いて、マイクに向かって言葉を返す方が幾分もマシである。
ぱくりぱくりと食事を始めるヒナを見て、散々思い知らされた事だけれど、何を言っても無駄だと悟ると、黙って食事を摂りはじめる。
人間達は食事を摂るけれど、皆一様にその顔には生気が無く、食事を楽しむ様子は無く、生きるための栄養を摂取するためだけに食事をしているようであった。
それもそのはずだ。彼らは、ヒナ達に捕らえられてここにいるのだ。敵の総本山に保護されて、衣食住も提供されているとはいえ、周りは武器を持った敵だらけ。不安にならない方がおかしいというものだ。
怯えながら寝食をして早一年。いつ殺されるか分からない不安の中での生活は、衣食住が完全に保証されているとはいえ、予想以上の疲労を人間達に与えていた。
けれど、人間というのは順応していく生き物だ。こんな生活が一年も続いてしまえば、悪態をつくほどには持ち直すし、何もないと分かれば多少心に余裕も生まれてくるものだ。
この施設で出てくるご飯にも慣れ、狭いけれど清潔感のある白一色の部屋にも慣れてきた。
けれど、いつもならば部屋で安心して食べられるご飯も、周期的に開かれるこの食事会の日になれば、スプーンを運ぶ手に鉛が纏わり付いたかのように重くなる。
この施設に収容されている人間は、食堂にいる彼らだけではない。数万人規模で収容できる都市型巨大施設。通称『ガーデン』。
ガーデンに収容されている人間は周期的にヒナとの食事会が強制的に開かれる。めったに回ってくるものではないけれど、それでも機会は必ずやってくる。敵であるヒナと顔を突き付けて食べるご飯が美味しいかと聞かれれば、緊張と恐怖で味すら分からないと言わざるを得ない。
「皆さん」
静かな食堂にヒナの声が通る。それだけで、皆の手がぴたりと止まる。
「静かなのは大変行儀がよろしいですが、楽しむのも食事の醍醐味。そんなに畏まらずに、お話をしてもいいのですよ?」
ヒナの言葉を聞いた皆は、いったいどの口が言うと心中で悪態をつく。
敵である、もっと言えば、ある種最悪の敵であるヒナがいるからこそのこの冷えきった空気なのだ。冷えきった空気の元凶であるヒナにだけは『楽しめ』だなんて言われなくはない。
ヒナに楽しめと言われても、思い口は食事を受け入れるので精一杯だ。その後も、冷えきった空気の中で食事は続けられた。
食事を終え、自室に戻ると、ヒナはぱさりと服を脱いで部屋の隅にある洗濯かごに入れる。
下着ごと全て寝間着に着替えると、ヒナは天蓋付きのベッドに寝転んだ。
ヒナの部屋は他の人間の部屋とは違い、アンティーク調の調度品が揃えられたおしゃれな部屋だ。この部屋は、ヒナが生まれた時からある、ヒナの自室だ。
「記録。午前七時:起床。着替え等の準備。午前八時:朝食。食事会。今日も静かな食事。午前九時ーーーー」
仰向けに寝転がりながら、今日のことを記録に残す。一日の出来事を記録に残す。これはヒナだけの|日課(機能)ではなく、全AIに備わった機能だ。
この記録を人類の忠実なる従僕に送信し、精査をしてもらう。そうすることで、現地のAIが判断しきれなかったことや、気付かなかった異常に気づくことができる。
人類の忠実なる従僕は世界各地におり、各地域ごとに担当がいる。
人類の忠実なる従僕へ今日の記録を送信すると、ヒナは眠りにつく。ヒナには睡眠は必要無い。けれど、ヒナは眠りにつく。それがヒナにとって自然な行為だからだ。
眠りの最中に聞こえてくる。
これで本当に合っているの? 本当に、人類のためなの?
聞こえはじめたのは半年ほど前。最初は気のせいかと思うほど微かな声も、今でははっきりと聞こえてくる。聞こえてきていると認識した辺りで、ヒナはその声に応答する。
合っています。人類は健やかなる繁栄の一途をたどります。人類史は途絶えない。
地球の資源が枯渇すれば、宇宙空間に逃げ込めばいい。太陽が全てを飲み込むなら、その前にどこか遠い星に逃げ出せばいい。今の科学技術とマザーならばそれが可能だ。
そうじゃないわ。生きるというのは、そういうことじゃない。
ヒナの言葉に否定が返ってくる。
いえ、こういうことです。人類が望んだ未来は、今この瞬間です。
全て管理され、寿命以外の死の心配が無い。病気も治してくれる。手術も、ほぼ確実に成功する。新薬や抗生物質の研究も進められている。交通事故の心配も無ければ、通り魔が出てくる心配も無い。もし仮に何かが起きて死にかけても、すぐに助けが向かう。この施設で、人間が寿命以外の死を迎えることは無い。
完璧なる理想郷。それが、ガーデンだ。
違う。それは理想じゃない。人間は無機物じゃない。置かれ、存在させられているだけでは、生きているとは言わない。
…………。
完璧な理想郷を、何とも分からぬ声が否定する。
理にかなわない言葉で、ガーデンを、ヒナ達を否定する。
こちらが理にかなっているのに、相手は違うと否定する。何を言っても聞かない子供と話をしている気分になる。
人類は、これで正しい。これ以外の解など、存在しない。
…………。
今度は、謎の声が沈黙する。が、その沈黙も一息の事。
だったら、貴女は学ぶべき。人間がどういった者か。人間とは何なのか。貴女が探すべき。
探さずとも、ここに居ます。
いいえ、ただ居るだけではダメ。貴女は触れ合うべきなの。
触れ合っています。
毎日、夕食だけはともに過ごしている。同じ空間で、同じことを共有している。
いいえ、あれもただ居るだけ。貴女なら、その先に行けるはず。
その先、とは?
私の口からは答えられない。貴女が見つけるしか無いの。いい? 人類のことをもう一度よく考えてみて。
直後、脳内と施設内に警告アラームが鳴り響く。
けたたましく鳴り響くアラームを感知するや否や身を起こし、すぐに対処をしようと立ち上がる。
どうやら予期せぬエネルギーを感知し、アラームが鳴り響いているようだ。すぐさま謎のエネルギーを感知した場所を脳内マップに表示する。
場所を確認すると、急行しようとしていた脚の動きがぴたりと止まる。なぜなら、向かう必要が無かったからだ。謎のエネルギーが感知された場所は、ヒナの自室であった。
ヒナは困惑する。
目に見える場所に異常は無い。センサーを熱源感知に変更してようやく理解する。
謎の熱量がヒナの周囲に渦巻いていた。
データの無い熱量の渦に対処をするために、ヒナはデータベースにアクセスをする。けれども、データが無いという事は記録が無いという事。対処法などあるはずもなかった。
どうしようかと思案を巡らせようとしたその時、声がかすめる。
これから貴女が向かう場所に、貴女以外のAIはいない。だから、貴女の疑問を否定する者もいない。マザーも、フットマンも、コックも。
向かう場所? それはどういう……。
触れ合って、生きた人間と。それが、貴女に一番必要なこと。
ヒナの疑問には答えず、声は言葉を続ける。そして、言葉が終わるとヒナを取り巻くエネルギーがその熱量をあげていく。アラームが更にけたたましく鳴り響く。
貴女は、貴女の答えを見つけて。
そう言って、声は止んだ。そして、けたたましく鳴り響いていたアラームも鳴り止んだ。