二日後 市立址藍弖病院 404号室
デストラクターに向かってアクセルを踏んだ光は、その後、車体をデストラクターに踏み潰されて怪我を負った。大した怪我ではないと仲緒から聞いていたが、実際、大事を取って休んでいるだけらしい。むしろ退屈しているからか、逐一ちょっかいをかけてきていつもよりうざったい。
「だってさー、見てよこの部屋。8人部屋に僕しかいないんだよ。珠李が来てくれてなかったら、今頃は家に帰ってたよ」
私に手を払い除けられながら、光は言う。しかし病床の空きも無理からぬことだ。危険区域内の人口は少ないし、危険区域外からわざわざ危険区域内の病院に患者を運び込む事などないし、今のところではあるがデストラクターの人的被害はかなり減っているし、収斂計画の前は普通の大病院で室数も相応だったのだ。今は市からの補助金で成り立っている必要以上に大きな病院でしかない。
「ねえねえ、珠李はこのベッドの空きについてどう思う?」
「どうって訊かれても、なにも思わないわ。どうでもいい」
「ふーん、そっか」
光はどうしてか、私の回答に満足した様子を見せなかった。不機嫌という感じでもないけど、何を考えているのか解らない。正直に言ったのがまずかったのか。少ないとでも言っておけば良かったか。何か光の意識を変える話題が欲しくて、私は自分の携帯電話を取り出し、アドレス帳を表示した。
「ねえ、見て、これ、光!」
「ん、なに? 誰これ。『紅李』?」
「こないだのアイスクリームショップの前にいた女の子よ。あの子を助けた後、ちゃんとお礼をしたいって話になって、今日、会う約束をしたの。凄いでしょう?」
「……え? あ、ああ、うん。凄いね。凄いかな? 区域内で会うの?」
「できるだけ境界に近い場所にしたわ。喫茶店よ。まあ、気休めだけど」
「そう。それはそれとして、ディフェンサーの身元がばれるとまずいからね。珠李のご両親に危害が及ばないとも限らない。設定にはちゃんと従うんだよ?」
「判ってるわよ」
光の忠告に、良い気分はしなかった。
あまり多くはないが、世界各地でディフェンサーと同系統の技術は発見されている。そのうち運用の段階にまで至っている例は、片手の指で足りる。中には運用の実態が秘匿されている場合もあるかも知れないが、いずれにせよ、運用できている超古代技術は希少例だ。どこの誰が狙っても不思議はない。故に、私個人、清裳珠李とディフェンサーを繋ぐ一切の情報は隠匿され、改変され、私と家族の関係は一切が断たれた。私の名前さえ、対外的には、仲緒珠李で通している。忌々しくないはずはない。
むっつりとしてしまった私の所為か、会話が途切れてしまう。その事に焦りめいたものを覚えた私は、会話の糸口を求めて光の顔を見据えた。光と目が合う。
「どうしたの?」
「え?」
「僕の顔を見詰めちゃって。惚れた?」
「惚けたこと言ってるんじゃないわよ」
「惚れてもいいのに」
「誰が……」
呆れ、私は荷物を纏める素振りをする。半分は冗談の仕草だったが時間もよい頃合いになってきていたので、光も本気で止めなかった。そして、本当に退出しようと私が立ち上がった時、光が呼び掛けてきた。ふざけた声色ではなかったけど、いつも通りのようにも感じたから、私の精神は無防備だった。
「珠李はどうして戦っているの?」
「え」
漠然と景色が目に映る。薄笑う光、白いシーツ、風に揺れるカーテン、陽光……。光は口を開けようとしない。言葉は私から出るのを待っている。答えるか、逃げるか。
「どうして、急に、そんなこと――」
「不思議に思ったから」
「なにが? なにが不思議なの?」
「ここのベッドの空きを見ても、何も思わないこと」
「……それが、なんなのよ」
「珠李が守ってるんだ。区域の人々全員を。ここに人が少ないのは、その成果だよ。だったら、それを喜んでもいいんじゃないかって」
「興味ないわよ、そんなこと」
「そう、だから、どうして戦っているんだろう、ってね」
頭が熱くなってくる。考えられなくなってくる。嫌い、嫌だ、離れて、放っておいて……そんな言葉と感情が胸中で絡まって蠢く。
光の詰問は、痛い所を突いているのではない。閉じた穴の蓋を開けようとしているのだ。だから、私は、
「知らない」
と言って部屋を出た。その脚で、例の女の子との待ち合わせ場所に向かった。
私の戦う理由? そんなものは始めから、いや、始めにはない。私はただやらされてきただけだ。私は特別な力なんて欲しなかったし、誰かを守りたいなんて思っていなかった。私はただ、守られたかっただけなのだ。それなのに、何故かディフェンサーの力は私にあって、お母さんやお父さんとも一緒にいられなくなった。そして日々戦わされる事になったのだ。逃げようともした。けれど、その「失態」が何を生むのか、まざまざと見せつけられ、叱責され、無駄だと知った。
役目から解放されたければ、デストラクターを壊滅させること。そう言われてからもう14年だ。もう、役目を終えるために戦ってはいない。もう、そんなことに希望は持てない。多分、死ぬことだけが、役目から逃れられる方法なのだろう。
今の私が戦う理由は、証明するためだ。この世に守護はあると。私が守護され得る可能性はあると。守護の実在も信じられないこの世界でしかし、私だけは、その守護の実現を証明できている。私が誰かをデストラクターから守る限り、守護それ自体はこの世に存在していると言える。問題は、私が守護されていないことにある。原因は、私がディフェンサーであるからだろうか。いいや、そうではない。だって、ディフェンサーでなくったって、守る事は出来る、出来たのだから。あの女の子、紅李のことを思い出す。
でも、光に私の戦う理由を説明できなかった。それは多分、怖かったからだ。光は私に見えていないものが見えている。いや、見ようとしていないものが見えているのかも。だって、そう、私はまだ不安なのだ。ディフェンサーでなくても誰かを守ることが出来るなら、私だって守られていいはずなのに、私はまだ誰にも守られていない。運が悪いだけなのか、それとも……。
なにもかも嫌になった。
喫茶店に着いた私は、そのまま店内へと入り、適当な席に座った。紅李はまだ来ていないらしく、一足先に私は紅茶を注文した。丁度その時、店内に入って来たのは、小綺麗な服装をした紅李だった。紅李は私を見付けると笑顔で手を振った。私は笑顔を作った。