同刻 同地点
その一瞬間における私の気持ちは、多分、誰とも分かち合えない。
鍵は、私がディフェンサーであるのを大いに助くる道具だ。鍵を失えば、ディフェンサーの解放は文字通り死ぬような苦痛を伴う事となる。だから私は鍵を失いたくないと思う。しかしだ、私はディフェンサーで在りたくない。ディフェンサーで在る事は、死と隣り合わせであり、しかも辛苦を抱き合わせた役目なのだ。ディフェンサーで在りたい訳はない。そして鍵は、私がディフェンサーであるのを大いに、大層、助くる道具なのだ。それを失った私の気持ちよ。
目の前の敵、人型のデストラクターは、鍵を奪うと、私を突き放した。殆ど無抵抗に、私は尻餅を搗く。
私は敵を見上げていた。敵は私を見下ろしていた。そいつは、そのまま後ろ姿を見せた。その途端に冷静さが私の頭に舞い戻ってくる。鍵を失えば待っているのは死への責め具だ。それへの恐怖は私を立ち上がらせて、一も二もなく護鋼剣を握らせた。
「持ってくな!」
つい叫びながら私は、護鋼剣を投擲する。ディフェンサーの力を以ってすればコンクリートにも深々と突き刺さる攻撃なのだが、投げた護鋼剣は、敵の直前で雷光を発したかと思うと、その場でくるくると回転して地面に落ちた。その間にも敵は悠々と歩き去ろうとしている。
私の口が悪罵を垂れる。その素は、未知の現象と、鍵が持ち去られる焦燥と、ディフェンサーの力が減少していく戦慄とが渾然となって生まれた憤慨だ。憤慨は私の体をも突き動かして、無策な突進を行わせる。
例の如く護鋼剣を突き立ててやろうとした私は、先程の投擲した護鋼剣と同じように、雷光に見舞われた。電撃を受けたというよりも、燃え上がる壁に叩き付けられているような感覚だった。その光の障壁を破れない。やはりその間にも泰然として歩き去る敵と距離が離れ、障壁から解放された私は頽れた。あの障壁には、距離の制限があるのかも知れない。だが敵の能力に関して手掛かりを得たとしても、もう追う気にはなれなかった。ディフェンサーが、収束してしまったからだ。また解放するには、鍵の力か、私が瀕死に陥る必要がある。
首輪から警報が鳴った。身の毛がよだつ。また、デストラクター? 絶望に近い感情が湧いた矢先に、それは鎮まった。私の目の前に、警報の原因があったからだ。あの人型のデストラクターの進路の景色が、陽炎のように歪んでいる。そしてあいつは、その歪みの中に溶けて消えた。明らかに、空間異常を意図的に発生させていた。今の警報は、この空間異常を検知しての事だろう。
茫然自失の態であいつが消え去った後を眺めていると、首輪からの雑音に気付き、意識が落ち着くと、それが無線通信であると解った。
「――珠李、無事か、報告しろ、珠李、珠李!」
仲緒の声だ。普段は私をびくつかせる声だけど、今は、少し、本当に少しだけ、緊張した心を和ませてくれた。
呼び掛けに応じるため、首輪に指を当てる。
「あ……」
「っ、おい、無事か! 支援車両は向かわせている、もう少し堪えろ!」
「ほ、報告、を……」
「報告――、無事なんだな!?」
言葉が喉に閊える。報告が、怖かった。
そうしてそれから、私は支援車両に回収されて本部に帰投した。本部では既に今後のデストラクターへの対策方針が協議されていて、そこで再び事の顛末を報告させられた。用が済むと待機を命ぜられたので、私は特生対の寮舎にある自分の部屋に居た。ソファの上で横になっている。
カーテンは閉め切ってあり、部屋は暗い。しかし漏れ込む光は鋭く、私には自分の身体が見えている。私は自分がこの世界に存在している事を強く意識させられる。それは、先程から感じている怖れを明晰にしてしまう。心細くなって、手が胸元を探っていた。――そこに鍵はない――。私は自分の手の動きに気付いて、情けなくなる、悔しくなる。ディフェンサーで在りたくない私は、ディフェンサーの力に頼らざるを得ないのだ。
背中が熱く疼いていた。背中には痣がある。二対の翅に似た形の、背中一面の痣だ。ディフェンサーとどういう関係があるのかは知れない。けれど、この痣はこれまでに、ディフェンサーに連なる存在つまりは鍵を、時にはデストラクターの存在を感知してきた。その痣が疼いていた。
インターホンが鳴った。動く気になれず放っておくと今度は、玄関の扉を叩く音がして、「珠李、入ってもかまわないかな?」と、光の声がした。そこで漸く動く気になった私は玄関まで赴いて扉を開けた。玄関先には光が立っていた。
「やっほー、珠李。入ってもかまわないよね?」
光はいつものように口元だけを莞爾とさせて、肩に背嚢を提げていた。私は少し嫌な予感がした。
「何しに来たの?」
「一緒にお話しようと思ってさ」
「……その荷物は?」
「これは備え。何しろ仕事を抜け出してきたからね。文句を言われないように」
「そう……」
私が黙ると、光も黙った。相も変らぬ表情のまま、視線を私に膠着させている。私の方は、直ぐに光を直視できなくなり、扉に手を掛ける。そうして、悪いけど帰って、と言いそうになった。言えなかったのは、言う前に、光の人差し指が私の唇を抑えたからだ。
「珠李の考えてる事、僕、解るよ」
光が言う。
「鍵を探しに行きたいよね?」
私は、その問いに答えられない。だって、鍵を自ら求める事は、自らディフェンサーを求める事と、同じ事のように思えてしまうのだ。ならば例えば、単にディフェンサーを解放する苦痛を和らげるためだ、とか言って割り切ってしまう手立てもあるだろう。だが、それもやはり、ディフェンサーを求める事の言い訳であると感じてしまっている。そうして私が押し黙っていると、光が言葉を続ける。
「でも、解ってるよね。例の【人型】は、危険区域から出た。あいつが空間異常を創り出した時、一箇所しか異常を検知できなかった事がその証拠だ」
――ある距離の範囲を面に見立てた時、デストラクターの創り出す空間異常というのは、面上のある地点と別の地点を繋ぐ糸だ。そして、この糸には距離がない。デストラクターはこの糸を辿る事で時空間を飛び越えた移動が可能なのだが、この糸と面が接した地点は観測できる。危険区域全域にはこの地点を検出するための装置が常時作動していて、デストラクターの出現を察知できる。そして、あの人型デストラクターが空間異常を発生させた時、区域内に一箇所の異常しか検知できなかったということは、あいつの出口は、区域外にあったということだ。――
「そして珠李は、危険区域から出てはいけない。つまり探しには行けないんだ」
「……それをわざわざ言いに来たの?」
「うん、まあね」
「ご苦労様。それじゃあね」
扉を閉めようとすると、光は割り込んできた。
「待った待った。せっかく来たんだから、上がらせてよ」
「嫌よ、あなたを部屋に上げるくらいなら外に出るわ」
「なんでかなぁ。でもそれなら、僕が車を出すよ、ドライブでもどう?」
「ドライブ?」
その提案は、私の気持ちを留保するのにうってつけだった。別に、鍵を探しに行くわけじゃない。だから私は、疼く痣の事を黙ったまま、提案に乗った。
「いいわね、行きましょう」