三分後 址藍弖市危険区域 市街地
――世界が揺らいでいないだろうか。
私はこの街の景色を眺めると、自分と世界の関係が解らなくなる。例えば私はディフェンサーとしての役割を負わされているが、それは私ではない。私は清裳珠李という個なのであって、ディフェンサーという個ではない。なのに、世界の歯車は私の身体に精神をも噛み込んで、私をそう在るように引き摺り回す。もはや、そこに清裳珠李という個は生きていられないし、生きているともいえない。にも関わらず、死にきれない私という存在は、甚大な苦痛を感じて、血飛沫のような叫びを上げる。そうした時に私は、この大きな世界がどうして私のようなちっぽけな人間を巻き込んで動いているのか、解らなくなる。この感覚は、守護の外側に弾き出された境遇と、危険区域の内側に閉じ込められている境遇の、内外の歪さから、もたらされるのかも知れない。知らないけど。訳の分からないことを考え出してしまうから、この街の景色は嫌いだ。
危険区域には高い建物が少ない。避難しにくいからだ。お陰で、区域内唯一の二十階建てビルの屋上に登れば、区域を一望できる。デストラクターの位置を把握し辛い場合にはいっそのこと、ここまで登ってしまった方が、事は早く済む。早速、見付けた。
私の居るビルの方向に向かって人が流れている。その上流には、デストラクターの凶相がある。行くしかない。私は屋上の柵を飛び越えた。着地から10分くらいであそこまで到着できるだろう。そうして疾駆している最中、無線が入った。
『ディフェンサー、こちら警備室、再び空間異常が検出された、まだ姿は確認できていないが二体目のデストラクターだろう、急げ』
「ッ、警備室、ディフェンサー、了解!」
全く以って、この数ヶ月は異常だ。どうして、こんなに沢山のデストラクターが出現する。収斂計画の前までは月に一度か二度、それも殆どが一体ずつだったのに。やんぬるかな、私はディフェンサーとしての役目を遣り果せるしかないのだ。
通りを駆けていると、その先にデストラクターが見えた。護鋼剣を現出させて、勢いのまま突っ込む。私を迎え撃とうと薙がれるデストラクターの鋏。脚から滑り込んだ私の鼻先を掠めて過ぎる。デストラクターの腹を通り抜け様に護鋼剣を突き立てる。制動が私を停止させる前に手を離す。なんとかデストラクターを通過してから止まれた。デストラクターの腹部から青っぽい液体がアスファルトの地面に噴出している。デストラクターの口から独特の楽器を思わせる音が鳴った。
私が地面から立ち上がる。デストラクターの単眼が私を見る。新たに現出させた二本の護鋼剣を諸手に摑む。心臓は逃げたくて早鐘を打っているけど、こういう時は、無理にでも事柄の渦中に飛び込んだ方が、事は済むのだ。逃げたってどうせ、誰も助けてくれない。
突き出された鋏の先端を、護鋼剣の鋩で受ける。デストラクターとディフェンサーの膂力が拮抗して、押し合ったまま止まる。受け流したいけど、鋏が巨大だから、受け流しても避けきれない。力で押し勝つしかない。デストラクターは力の向きを変えようとして鋏を動かそうとするけど、そんなの許さない。二本の護鋼剣の鋩は鋏に食い込んで離さない。
私が一歩、前へ進む。デストラクターの前脚が少し浮いた。慌てたのか、デストラクターがもう片方の鋏を突いてくる。片方の護鋼剣を鋏から外して、そちらの鋏を受けた。今度は私の体が浮いて、三歩後退させられる。そしてまた一瞬の拮抗状態が訪れる。けれど――、「待ってお願い」。デストラクターの口が開いて、紫の噴霧が浴びせかけられた。
いつの間にか碧空を見上げていて、痛いのがよく解らないくらい痛い。痛い事を意識したくないのに、意識せざるを得ないくらい痛い。ディフェンサーの再生能力があれば平気だろうけど、万一、顔に傷とか残ったらどうしよう、などと、こんな事態で思ってしまう。こんな事態になっても、お母さんとお父さんに私の事が解ってもらえない場面を想像をすると、怖い。
デストラクターが居る筈の方へ目を遣る。デストラクターは地面に沈み込んで、みるみるうちに空気に溶けていった。きっと、さっきの腹部への一撃が効いたのだろう。粒子放射を放ったところで、力尽きてくれたらしい。デストラクターの死骸は跡形もなく消失する。この不可解な性質が、デストラクターの研究を阻んでいるのだ。ともあれ、これで倒した。
私が起き上がろうとしたけど、気力を保てず、寝返りを打っただけだった。瞬きをすると、急に視界が晴れて、目の前の地面に水滴が落ちた。そこで、私は泣いていることに気付いた。漏らしたくもない嗚咽が漏れていた。
『ディフェンサー、こちら警備室、応答しろ』
無線が届いた。奴らに惨めな姿を曝したくない。大きく息を吸って、立ち上がる。
「こちらディフェンサー、警備室、どうぞ」
『二体目のデストラクターの位置情報が不明だ。空間異常が検出されたのはそこから北へおよそ200メートルの地点、直ちに確認しろ。どうぞ』
「こちらディフェンサー、北ってどっち、どうぞ」
『太陽を見ろ』
「……了解」
私は自分の影を見て「こっちかな」歩き出した。
デストラクターが出た、という割には、周囲は静かだった。避難が済んでいるのもあるだろうけど、それにしたって、デストラクターの気配がない。もっと、鳴き声なり、移動音なり、破壊音なり、あって然るべきだ。
「こちらディフェンサー、目標地点に到達した。周囲にデストラクターは観測できない、どうぞ」
『こちら警備室、了解した。周囲の探索を続けろ。こちらでも今、監視映像を当たっている』
「ディフェンサー、了解」
私は、一先ず高い建物にでも登ろうかと思った。けど、金属的な品物が打ち壊される音と、それが地面に落ちる音を耳にして、立ち止まる。音の方を見ると、デストラクター警戒用の監視カメラが、壊されていた。
『こちら警備室、ディフェンサー、応答しろ』
目に映じたものを、どう受け止めればよいのか、困惑するばかりだ。
「……こちらディフェンサー、どうぞ」
『その付近の監視映像が途絶えている。状況を確認して報告しろ。位置は――』
「状況?」
『どうかしたのか』
「あれは……」
赤黒い甲殻は、紛れもなくデストラクターと同質のものに見える。しかし、その形態は、まるでデストラクターではない。人型。甲殻はまるで中世の騎士とか、ファンタジーに出てくる戦士が身に着けている甲冑だ。しかも大きな棘、いや、槍か、身長よりも長い槍を片手に携えている。
もし中に人が居るとすれば、身長は私と同じくらいだろうか。いや、人なんて、入っている訳ない。
「警備室、あれは人型のデスト――ッ!」
投げられた槍の先端が、私の胸部を突いていた。その部分の装甲が砕けて、鍵が剝き出しになる。反射的に体を庇うように腕を掲げていた私は、敵の接近に対して反応が遅れた。この敵は腕を無理矢理に突き出し、剝き出しになった鍵を摑んだ。そこで漸く私は敵の腕を捕らえたけれど、まるでびくともしない。
「や、やめて!」
思わずと叫んでいたのは、相手が人型だったからだろう。
『おい、どうした、ディフェンサー、珠李ッ!』
異常事態に、警備室も動揺していた。しかし、誰も何も対応する暇もなく。
「あっ」
解放中のディフェンサーから、鍵が引き抜かれた。