二週間後 特異生物対策本部 防衛部
特異生物対策本部。通称は特生対。特異生物への対応として組織された研究機関であると同時に、特異生物の撃退を行う保安部隊でもある。特異生物というのは、無論、デストラクターの事だ。
特生対は、市民の避難と避難に係る業務を行う安全部と、特異生物とその対策の研究を行う研究部、特異生物の探索や情報収集を行う調査部、そして、特異生物を撃退する防衛部、これら四つの部門に分かれている。私は防衛部の所属ということになっていて、普段は対策本部の防衛部棟にある訓練施設や、時間がある時には図書室などで過ごしている。しかし今日は、防衛部長室に赴いていた。防衛部長室とはいっても、危険区域の映像情報やデストラクターの出現情報などが監視されている大きな警備室の端にある、三つだけ上る階段とアクリルガラスで仕切られただけの空間だが。そこで突っ立って監視映像だか職員だかを眺めているのが、特異生物対策本部防衛部部長、仲緒鷹来だ。仲緒は、背中を私に向けたまま、私の話を聞いている。
「――もう退院していてもよい頃合いでしょう? だから一言、謝っておきたくて」
「謝る?」
「そう。初対面なのに、少し邪険にしてしまったから」
「成程。お前の気持ちは解ったが、無理だ」
「どうして」
「脇野泰邦は退職した」
「辞めたって?」
「配属早々化物に出くわし、襲われ、軽傷で済んだとはいえ、辞めたくなっても不思議ではない」
「嘘でしょう?」
「嘘を吐いて何の得がある」
「ふざけないで!」
つい声を荒らげてしまった。その所為か、仲緒はおもむろに振り向いた。横顔でも判るくらいに刻まれた眉間の皺と、直に私を見ていないのに、射竦められるような気持ちになる眼光。私はこの顔が苦手だ。
「別にふざけてなどいない。何に怒っている?」
まるで悪いのは私だとでも言わんばかりだ。「ふざけないで……」。一度や二度デストラクターに襲われたから何だというのか。そんな事で辞めてよいなら、私なんかはとっくのとうに辞めている。この男はいつもそうだ。ディフェンサーを理由に、あり得ない程の理不尽を私に押し付けてくる。よくもまあ、私をお母さんやお父さんと引き離しておいて、悪びれもせず、堂々としていられるものだ。
「……もういいわ」
いつの間にか冷や汗の滲んでいた拳を解いて、仲緒に背を向けた。何を言っても無駄なら、早々に立ち去りたい。怖いし。
「待て、珠李」
しかし、呼び止められてしまった!
「なによ」
「……今日は、カウンセラーが医務室に来ている」
「狂人扱いはやめて」
「狂人では――」
「病人扱いも」
「そんな事は思っていない。前にも説明したぞ。カウンセリングはお前の精神衛生を健康に保つために……、なんのつもりだ」
「なんのつもりって、何が?」
「とぼけるな、なんのつもりで鍵を握っている」
「ああ、ちょうど握り易い位置にあったから」
「ふざけるな」
「そうね、ふざけないで欲しいわ」
「解った、もう行け」
そうして仲緒は溜め息を吐き、私は首から提げられている鍵から手を離した。
鍵は、址藍弖市海底遺跡群から発掘された古代遺物の一つだ。形状が扉の施解錠によく用いられる種類のカギに似ているため、鍵と呼称されている。材質は護鋼と呼ばれる、謎の鉱物だ。護鋼は古代遺物に用いられている以外では発見された事のない物質で、産出場所や精錬方法などは一切不明、透き通った海のような色合いと波紋を持ち、錆びず、曲がらず、折れず、欠けず、傷付かず、現技術によるあらゆる加工や損壊を受け付けない。ディフェンサーの持つ空間の撓り歪み機能によって蔵されている護鋼剣のその名前は、この鉱物を如何なる技術によってか加工して剣に拵えたと見られる故だ。
かつて、この世界には、現在では考えられない程の技術を持った何者かが確かに居て、まさか単独ではないだろうから彼らは、幾つもの遺物と、ディフェンサーを遺して消えた。何の目的でそれらを遺したのか、依然不明のままだ。しかし、鍵があればディフェンサーを解放できる。そしてディフェンサーは明らかに人類に向けて作られている。だから彼らの目的がデストラクターとの戦闘行為にあったとしても不思議はない。実際、ディフェンサーは現人類の唯一効果的な対デストラクター用“防具”なのだ。効果的な。
廊下を歩いていると、背後から抱き付かれた。いや、それは勘違いで肩に腕を回されただけだったけど、びっくりした。
「なにをするの」
「元気なさそうだったから、触れ合いが大事かなって」
才草光は、調査部の人員で、特生対で唯一と言ってもよい友人だ。人懐っこい性格で、初対面は3年くらい前だけど、その時から今まで、私との接し方に変化はないように思う。年齢がかなり近いお陰もあってか、光を相手にする時だけは、かなり気楽だ。気の置けない、とはこういう相手に言うのだろう。
「また何か悩んでる?」
「いいえ、何でもないわ。それより、ここは防衛部棟よ? 油売ってていいの?」
「んー……」
光は私に付けられている首輪を、カリカリと指先で引っ掻く。
「調査部は今ヒマだからねぇ、平気平気。やる事といえば、大掃除くらいなものかね」
「大掃除? もしかして、調査部廃止の噂は本当なの?」
「そうだよ。なに、僕に会えなくなるのが心配? フヘヘ」
「気色悪い笑い方しないで。あと、別に心配なんかしてないから」
「安心してくれていいよ。調査部員は他の部に転属される予定だから。一応、希望は出してあるし、運が良ければひょっとして……」
「え、光が防衛部に来るの?」
「いいや、希望が通れば研究部だよ」
「あっそ」
「がっかりした? がっかりした?」
「するわけないでしょ」
古代遺物収斂計画が完了してから、デストラクターの出現や存在を探査する必要がなくなり、調査部はその意義を失っていた。だから、調査部の廃止というのは、まあ自然な流れだろう。光に話を訊いたところ、調査部員の大体は廃止後の転属先に研究部を希望しているらしい。元々デストラクター探索のために、種々の機械を運用したり、時には開発にも関わっていたから、そういう方面の事柄に強い人物が多く、光もその一人なのだ。例えば、今、私が身に着けている首輪の開発には光も関わっている。
この首輪の正式名称は多目的ディフェンサー運用補助装置といって、デストラクター出現時の、正確には空間の異常な歪みを検知した際の警報機能、防衛部警備室への通信機能、位置情報の発信、私の生命兆候の測定及び測定値の送信、といった機能が付いている。
光は、この首輪の開発には思うところあるらしかった。何も言ってくれないから、私の憶測だけど、もしかすると、光は罪悪感を抱いてくれているのかも知れない。この首輪は、私の束縛の象徴のようだから。守護の外側に弾き出された私を、内側から管理するための道具と仕組みの象徴。そんな感じが、私だけでなく、光にもあるのかも知れない。
「ねえ、ところで珠李」
「なあに」
「またおっぱい大きくなった?」
「なるわけないでしょう、成長期でもないのに」
「そうかなぁ」
「揉むのをやめなさい」
「だってやわっこいし」
「そんなに揉みたければ自分のを揉みなさい」
「いやいや、揉めないって」
そうこうしているうちに別れ際、首輪から警報音が鳴った。光は私からそっと離れた。
「気を付けてね」
「……ええ」
私は、胸元の鍵を強く、握り締めた。