一ヶ月後 址藍弖市危険区域
址藍弖市特異生物対策特区。空間の歪みから出現する不明生物、通称デストラクターの出現範囲を限定させるために、デストラクター出現の誘因と見られる古代遺物を一箇所に集中させることで生まれた危険区域だ。危険区域ではあるものの、未だに人口は八千人を切っていない。要因は幾つかある。元が人口4万人を超す地域だったこと。古代遺物収斂計画を達成するためには址藍弖市への収斂しかないと解った時点で、デストラクター撃退用の制度、設備、組織及びその機構が整備されたこと。区域に残っている住民はそれらの関係者が大半だということ。それからディフェンサーの存在。特に14年前ディフェンサーが対デストラクター作戦を開始してから人的被害は目に見えて減り続け、昨年度には負傷者こそいたものの、死者はなかったとのことだ。でも、それも長く続かない。デストラクターは徐々に凶暴性を増してきているし、出現数も増えている。……私一人では、絶対に倒し切れなくなる。倒せなくなるに決まっている。体の芯が凍えて、手先の感覚が判らない。呼吸が苦しい。
大破した車両。半分ほどが、デストラクターの粒子放射で熔解していた。ディフェンサーの治癒能力があれば、これを一回くらったぐらいでは死なない。しかしあの全身が焼け爛れるような痛みは、そんな問題じゃない。況してや、もがき苦しんでいる間に、更なる攻撃を受けたら? それはもう死ぬとかどうとかの問題だ。
「お疲れ様です」
後方支援の車両から出てきた、防衛部の制服を着た男。若い。見掛けない顔だ。じろじろと私の姿を見て、それから後ろの熔解した車両と、建造物や道路に残った戦闘痕を眺めている。また私を見た。不愉快だ。上司はなぜ止めさせないの? 男の乗っていた車両のすぐ傍に、防衛部の人間が二人、立っていた。ディフェンサーを解放している今、その会話を容易に聞き取れた。
「よいのでしょうか、新人をDと接触させて」
「Dとのコミュニケーションは奨励されている」
「知っていますが――」
「俺たちは嫌われてるからな」
「あいつもそうなりそうですが」
「物は試しだ」
溜め息が出る。私は、これじゃまるで、飼育に気を遣う獣か何かだ。
「あの……」
目の前の新人くんが喋り出す。姿勢を正しながら、敬礼をしていた。
「先週こちらに配属となりました、脇野泰邦です。よろしくお願いします!」
「ここは警察でも軍隊でもないわよ」
「え?」
「敬礼なんて要らない」
「あ、はい!」
「……用が済んだなら、消えて」
「あ、はい、ええと、清裳さんは、これからどうされるのでしょうか。支援車両でのお送りも可能ですが」
「必要ない。自分で帰投する」
「はい、了解致しまし――」
いい加減うんざりして、彼が言い終わる前に、私は歩き始めていた。だというのに、また後ろから声が掛かる。
「あの!」
「今度は、なに」
「デストラクターと戦う姿を初めて直に拝見しました。とても勇ましく、それに、意外だったのが、ディフェンサーというものがそんなに綺麗だったことです」
ディフェンサーは解放すると、純絹のドレスに寸法の採れた黒鉄の鎧が吸着したような見た目になる。しかも微光を放っていた。明らかに通常の衣装ではない。現在では再現不可能の、神秘の技術。何か厳ついものを想像していれば、綺麗にも見えるのだろう。詰まる所、どうでもよかった。
「そう、ありがとう、とでも言えば好い?」
「いえ、その……」
私は、また歩き出す。私とのコミュニケーションは、特生対内で奨励されている。私が絆されて、戦闘意欲を向上させたり、精神を安定させたりすれば、評価が上がる、という仕組みだ。私は、いったい、何者なんだ。腫れ物のように扱われ、奴隷のように使われ、英雄のように持て囃される。私は、いったい、なんで、こんな目に……? 問いが体内で反芻して、眼から零れそうになる。目元を拭おうとした手は、反射的に、首輪の警報音を停止させていた。あられもない。だって、ついさっき三体も倒したばかりだ。
呻くような悲鳴が聞こえたかと思うと、私の視界の端にあの脇野とかいう男が転がった。それはまるで車に撥ねられでもしたかのようだった。けれども、車の走行音なんてなかったのだ。では彼が弾かれた理由はというと、一つしかない。
振り返った私の目に映ったのは、陽炎の景色から這い出てくるデストラクターの姿だ。巨大な赤黒い蠍の鋏は既に片方が出現しきっていて、体も半分ほどが出てきている。黄色い単眼が私を睨み付けているように感じた。
今日はもう終わったと思っていたから、ほんの少しの安心はあったから、だから、何をしてよいのか解らなくなっていた。息が詰まって、まともに呼吸を出来ていない事に気付く。体は勝手に構えていた。あ、逆手に握った護鋼剣だ――。デストラクターが完全に現れ出でた。体高は2メートル以上で、卵黄色の単眼が据えられた頭部と、蟻に似た顎。湾曲した首のような胴体と、蜘蛛のような脚。そして蠍のように大きな鋏。それらは総て、赤黒い鎧のような甲殻に覆われている。
デストラクターの顎が開いて、そこから涎のような粘液が溢れ出る。私は動けない。動けない。動け、動け、死にたいのか動け、動けって!
私の足は地面を蹴って、体をデストラクターの遥か高みに打ち上げていた。お陰で、デストラクターの鋏は私が立っていた場所の空気を掴む。でも最悪だ。デストラクターの眼は私を捉えて、顎は大きく開かれている。粒子放射が来る。護鋼剣をニ十本ほど、落下する私の盾になるよう現出させた。と思うと同時、紫色の噴霧が、物理的な衝撃と一緒に剣の盾に直撃する。ディフェンサーの、護鋼剣を宙に留めおく力は弱い。忽ち盾は解けて、私は粒子放射を浴びた。
皮膚を焼くような激痛と、内臓がすっぽ抜けるかと思うような衝撃。私は弾き飛ばされて、デストラクター対策用避難所の屋根に落ちた。二枚貝の形に似た、なだらかな半球状の屋根だ。ちょうど傾斜の急な所に落ちた所為で、私の体はずるずると屋根から滑り、地面に落ちた。
目線を上げると、デストラクターがぐんぐんと近付いている。その奥では、防衛部の二人が脇野を担ぎ上げていた。私には目もくれない。解ってる、一般人の救助が最優先で、その次に関係者だ。救助の間に、デストラクターと戦い、食い止め、そうして倒す。それが私の、いや、ディフェンサーの役目だ。
立ち上がる私の前に、デストラクター。どうしてこの世界に現れるのか、何故に破壊を繰り返すのか、何も解っていない。そして、この災厄に、唯一効果的な力を持つ、私自身、ディフェンサーの力。何のためにこんな力があるのか、私にも解らない。だって、この力は、私のためにはないのだから。
意味も解らず、独りで、あまりに辛い役目を果たし続ける。それが、私の、清裳珠李の日常だった。