五話
目を覚まして最初に見たものは、見慣れたレンガの天井だった。
「お、起きたのか」
「ケット」
僕は顔を動かし、近くの椅子に座っていたケットを見た。
「ここは……」
「ああ、学院の医務室だ。お前が倒れたあの後、騒動に気づいた先生たちが駆けつけてきて、俺たちを助けてくれたんだ」
僕はふと、自分の状態を確認しようと胸まで掛けられた布団を外す。見ているだけで気が滅入る身体の各所に刺さった木の枝はすっかり無くなり、纏っていた服も脱がされたのか白い病衣を着ていた。
「医者の人、なんか驚いてたぜ? あんだけ木の枝が刺さって服も真っ赤に染まっちまうくらいに流血していたのに、治療をしてみれば特にやることがないっつって」
「…………アンジェは?」
「お前の横だ」
ケットが指差す方向を見ると、確かにアンジェは隣のベッドで静かに胸を上下させながら眠りについており、額に包帯が巻き付けられていた。
「容態は?」
「医療魔術と薬草のおかげで順調に回復してるって言ってたな。数日もすれば普通に授業にも出れるそうだ」
「そう、なら良かった」
僕はそれを聞いて胸をなで下ろす。彼女の身にもしものことがあれば、僕は――
「……なぁ、ガルム」
「なに?」
「俺らが何であそこにいたか、分かるか?」
「…………」
「別に俺の独断でやったことじゃねぇ。あれはアンジェの意思でもあるんだ。なぁ、ガルム。分かるか?」
「……」
「なぁ」
僕はシーツを強く掴んでいた、溢れ出す感情を堪えるために。だけど、僕は我慢できずに言葉を吐き出す。
「わからないよ……ッ! 僕は二人に助かってほしかったんだ。なのに……なのになんで……ッ!」
僕は記憶している。湧き上がる『チカラ』のおかげで僕は魔物を倒すことができた。でもあんなのは奇跡だ。本当なら僕たちは全滅していた。誰一人生き残ることができずに死んでいたんだ。それじゃあ意味がない。犠牲になった意味が。
「……そうか」
そう言うと、ケットは唐突に僕の胸倉を掴んだ。
「別れた時にお前が言ってたことは、俺にはさっぱりわからねぇけどよ。これだけは言わせてくれ」
「な――うっ!」
視界が揺れ、頬に激しい痛みが走る。
……殴られた? なんで?
僕はヒリヒリする頬に手を触れながら、ケットを見た。
「俺は誰一人失いたくねぇ。アンジェも、ガルムも、俺自身もだ。誰にも大切なモノを奪わせねぇ!」
初めてかもしれない。ケットがこんなにも怒っているのを見たのは。
「だからよ、魔力が高いからってここに来ることになっちまったが、俺はそれに感謝してるぜ。自分を守れる技術を身に付けることができるし、その力で他のヤツを守ることだってできる。何もできずに後悔することが減るんだからよ」
『難しいことはわからねぇけどよぉ。魔物を殺さなきゃ俺たちがやられちまうぜ?』
昔、ケットが言っていたことをもう一度思い出す。軽い口調で発したあの言葉、だけどその想いは、僕がいつも考えている幼稚で浅はかな考えの数百倍は重かった。
「ケット、僕は」
「俺は、お前が生きていて嬉しい」
そういってケットは僕から手を離す。
「そしてありがとよ。助けてくれて」
ニカっと、歯を出して笑うケット。
それを見て、何もかもに押し潰されてしまいそうで、僕は掛け布団に顔を埋めてひたすら泣いた。
「じゃあ俺、行くわ。めんどくせぇけど先生たちに今回の詳しい説明をしないといけないし、そろそろ血の付いたこの服も換えたいしな」
あれから少し経ち、ケットは椅子から立ち上がる。僕が落ち着くまで待ってくれたのだろう。恥ずかしくて口には出さないが、心の中で僕は友に感謝した。
「うん。……あ、そういえば」
「ん? どうした?」
僕は思い出す。僕を助け、ナニカをしたあの謎の人物のことを。
「ローブの人って今はどこにいるか知ってる? 一応僕だけは助けてもらったし、お礼をしておきたいんだ」
「ローブ? 誰だ、それ?」
「え、ローブの人だよ! ほらあの時、僕の近くにいて、顔をフードで隠した黒いローブ姿の」
ケットはなんとか思い出そうと唸っていたが、最後には溜め息を吐き、顔を左右に振った。
「すまん、思い出せねぇ。お前の叫び声が聞こえて慌てて駆けつけた時は、もうお前しかいなかったし」
「そんなハズは……」
あの時も確かにいた。そのあとも、僕を試すように、からかうように言葉を吐いていたのに。なのに、いなかった……?
「質問はそれだけか?」
「う、うん……」
「了解。用事が全部終わったら着替えを持ってまた来るからよ。それとアンジェの着替えは女子寮の管理人に頼んどくって、起きたら伝えといてくれ」
「わかった。じゃあ……またあとで」
「おう!」
そう言うとケットは今度こそ医務室を出た。僕はそれを見送った後、視線を目覚めた時と同じように天井に向ける。
普通の景色、いつもと変わらない世界、あの時感じた不快なモノは一切無い。
…………なら、もう忘れよう。いないのであれば、あれは幻。死にかけた僕が見た幻覚なのだろう。僕を助け、仲間を守ることができたのは全て、『チカラ』のおかげなんだ。
僕は自分の中で結論を出す。そして、ケットに頼まれたことを思い出し、アンジェのほうを見た。
「…………」
「…………」
僕は彼女と目が合う。アンジェは慌てて目を逸らすと、先ほどの僕と同じように天井を見た。僕も彼女の横顔をジッと見続けるのは恥ずかしいので顔を戻す。
「起きてたんだ」
「ええ」
「いつから?」
「…………ガルムが起きた頃」
「……そっ、か」
じゃあ、全部知ってるのか。なら――
僕は一度大きく深呼吸をして、口を開いた。
「僕は、アンジェの過去を聞こうとは思ってなかったんだ」
「え」
「ただ僕は……あの一件の後からずっとおかしかったアンジェに、その、元気になってもらおうと……ただそれを、ちゃんと言えなかったから…………ごめん」
「……ガルム」
「アンジェは僕のことをどう思ってるか分からないけど、僕は本当に、アンジェのことを仲間だって……大切な友だちだって思ってるから……だから――――」
僕はアンジェを見た。伝わってほしいと願い、僕は彼女を見た。
「…………馬鹿ガルム。ケットから、聞いてた、でしょ……?」
ああ、僕は最低な男だ。そうだ確かに、僕はケットから聞いていた。それなのに、僕は言ってしまったんだ。
「ガルムは、私の、さいこぉーの……仲間なんだからぁ……ッ!」
そのせいで、女の子を泣かせてしまった。僕は本当に、最低だ。だけど、だからこそ、こんな時にもかかわらず――僕を見てくれたその泣き顔を、とても可愛いと思ってしまった。