十話
地面を割ってソレは着地をすると、飛び散る小岩が大地に帰る前に前進を開始する。
真っ直ぐに突撃してくる姿は昔授業で倒した猪のようで。だが、その速さと殺意はあの魔物を上回っていた。
「来るぞ!」
声を上げながらケットは左に、僕とトニーは右に避ける。敵のサイズが大きくないのが幸いし、僕たちは何とかその攻撃を紙一重で回避することができた。
ソレが通り過ぎた影響で、ビリビリと圧が肌を刺す。
「なんで魔物が学院に!?」
「知らねぇよ! おい、ガルム。お前は誰かを呼んでこい!」
「え、でも……」
「でもじゃねぇ! お前今武器を持ってないだろ!」
ケットは槍を構え、トニーもまた剣を鞘から抜いて魔物に備える。
魔物はいつの間にか握っていた細い黒剣――レイピアを地面に突き刺し、大地を削りながらもそれを芯にして回転すると、またこちらに迫った。
「アイツ武器を持ってるのかよ……ッ!」
子鬼とは比べられないほどの達者な武器の扱い方、魔物だというのに高い知能を備えたソレに、僕は恐怖を覚えた。
無情にもそんな僕目がけて魔物は刺突を繰り出す。ソレを叩き折るようにケットとトニーは同時に自分の得物を振った。
「「ガルム(さん)! 早く行け(行ってください)!」」
槍と剣、そして魔物の武器は同時に地面を掘る。僕はそれを合図に駆けた。
だが、それをさせないとレイピアを手放して魔物は僕を追う。
「く、来るなぁぁぁぁぁぁ!」
黒い霧から時おり見える血走った目、憤怒の瞳が僕の姿を執拗に映す。それがとても怖くて、僕は思わず叫んだ。だが、魔物はそれを嘲笑うように近づいてくる。
「ガルム!」
ケットが槍を投擲するが魔物は顔を一切動かさず、背に目があるかのように腕でいとも容易くそれを弾いた。
「ガァァァァァァァッ!」
魔物は初めて声を発し、僕に手を突き出す。それを回避するため、僕はあの『チカラ』を引き出そうとするが、何故か思うようにいかない。
ど、どうして……ッ!?
その間にも命を刈り取ろうと魔物の手は僕に近づく。そして、触れようとした時、僕と魔物を遮るように眩い光が炸裂した。
「うっ!」
腕で顔を隠し、その閃光を防ぐ。突然のことで混乱する僕に、更に不思議なことに前方から親しみのある声が聞こえた。
「――大事な同居人をイジメるなんて、悪いやつだ」
何かが吹き飛ぶ音がする。そして、徐々に光がその力を失い消えていくのを感じ、僕はそっと腕を顔からどけ、何が起こったのかを確認した。
前方には白を基調とした少し大きい服を纏った人物の背中があり、その髪もまた白く肩まで伸ばしていた。その特徴的な外見を持つ人間を、僕は学院で一人だけ知っている。
「あ、アグルカ先輩……ッ!?」
「やぁ、ガルムくん。大丈夫かい?」
アグルカ先輩は振り返り僕に笑いかける。だが、僕はそんな先輩よりも視界の奥で立ち上がろうとしている魔物に意識が向いてしまう。
「こらこら、ガルムくんが気にして僕とのおしゃべりに集中できないじゃないか」
親しい友人と話すかのように喋りながら魔物に右手を向けるアグルカ先輩。すると、一つ、二つ、三つと魔術陣が出現し、一際輝くと、その一つ一つから青い稲妻が解き放たれた。
「グァァァァァァァァッ!」
まともにそれを受けた魔物は身体を小刻みに震わしながら絶叫を上げる。その攻撃は数秒間続き、魔術陣がスッと消えると、痙攣していた魔物は再度倒れ、ぷすぷすと何かが焦げる音を立てながらピクリとも動かなくなった。
「おー、すごい。気絶したのに隠蔽が消えてないなんてー……って、いけないいけない。えーっと、ガルムくん。身体は大丈夫かい?」
「は、はい!」
「うんうん、そうか。それはよかった」
アグルカ先輩は満足そうに何度も頷く。僕はそんな先輩と魔物を交互に見た。
魔物は僕らを見つけると当然襲ってくるが、余程強い魔物でないと単独で人が集まっている場所には来ないはず。そう考えると、この魔物は相当強い部類であるのだが、そんな敵を先輩は一撃で倒してしまったことに驚きを隠せずにいた。
もしかして……先輩ってめちゃくちゃ強いのでは?
「そこの二人。すまないが先生方を呼んできてもらえないだろうか?」
「う、うっす!」
「はい!」
僕と同じくあの光景を見ていたせいか、ケットとトニーは驚くほど素直に先輩の言うことを聞いて学院へと走っていった。
「じゃあ、僕も……」
「ちょいお待ち!」
便乗して付いていこうとするも、それを阻むように先輩を僕の鼻を摘まむ。
「うっ」
「ガルムくんにはここにいてもらうよ? 先生方が来るまでの暇つぶしも兼ねて、僕という同居人にう・そ・をついた理由を説明してもらわなければいけないし」
「しょ、しょれは……」
「ああ……悲しいよ。信じていた同居人に裏切られるなんて……あまりにも切なくて心が世界に飛び散ってしまいそうだ…………って、早いな。もう回復したんだ」
大袈裟な演技をしていた先輩は、突然それを止めると僕から手を放して振り返る。僕もまた鼻を触りながらそちらを見た。
「ガ……ァァ……」
白い煙を身体から出しながら、魔物は低い声を吐き出し、そこに立っていた。
「し、死んだはずじゃ……!?」
「え、言わなかったっけ? 気絶させただけだよ?」
「えぇぇぇ!? な、何でですか!?」
僕たちの声に反応したのか魔物はゆっくりと顔を動かし、こちらを見る。
「まぁ、いろいろあるんだよ。さぁ~って、じゃあもう一回寝てもらおうか」
アグルカ先輩はそう言うと、あの時と同じように手を魔物に向け、複数の魔術陣を展開する。それを見た魔物は力強く地面を蹴ると、後方に下がった。
「だめだめ逃がさないよ」
青い稲妻がそれを追うが、魔物は巧みに避け続ける。そして、学院と外を隔てる壁に到達すると、大きく跳躍して飛び越えしまった。
「……あちゃ~」
「あちゃ~、じゃないですよ! 逃げちゃったじゃないですか!?」
その呑気な態度に、僕は流石に感情を昂らせる。
「どうして殺さなかったんですか! あれは魔物なんですよ!?」
「う~ん……。まぁ、ガルムくんになら言ってもいいか」
イマイチ容量の得ない発言をする先輩。僕は薪をくべられた火のように怒りが燃え上がるが、それを意に介さず先輩は次の言葉を放った。
「あれね。実は魔物じゃないんだよ」
「え」
何を、と僕が口に出す前に、先輩はどこかを指差す。
「あれが証拠。おそらく、この学院の生徒じゃないかな?」
僕はその方向を見る。そこはケットとトニーが僕を助けてくれた場所であり、あの魔物が武器を落とした場所でもあった。
「あっ」
それを見て、僕は気づいてしまう。
黒く染まった異質なレイピアが、何の変哲もない武器に変わっていたことを。