プロローグ
この世界は呪われている。
天使は同じ神の創造物である人を恨み、人は自分の利にならない他の種族を恨み、他の種族もまた別の生物を恨んだ。そして、大きな戦争が起こった。
怒り、悲しみ、憎しみ……嫌悪すべき醜穢なるその姿を見た神は、自分の胸に一つの感情が芽生えたことに気づいた。
それは皮肉にも、自分が生んだ子どもたちと同じ……憎しみだった。
「この世界は呪われている」
偉い人や学者、親やそこらの老人や子どもだって知っていること。遥か昔から全ての生きとし生けるモノが知っている事実だ。
神は僕らを恨んだ。
その恨みはあまりにも大きく、感情を自分の中で留めることができなかった神は世界にそれを撒き散らした。それを防ぐ余地はなく、まともにそれを浴びた先祖たちはある変化が起こった。
「ガルム! そっちに行ったぞ!」
仲間の声にハッとし、僕は現実に引き戻された。目の前にはとても大きく、黒で身体を塗り潰されたような猪が殺意を漲らせてこちらに迫っていた。
回避するには時間が足りない。僕はすぐに剣を前に構え、衝撃に備えた。
「くぅ!」
剣と相手の二つの牙がぶつかり火花を飛ばす。それを視認した瞬間、身体は勢いよく後ろに吹っ飛び、空、近くの森、草生茂る地面と目まぐるしく景色が変わり続ける。僕は回転する自分の身体を止めようと、タイミングを合わせて剣を地面に突き刺した。
ガガガと音を立てて身体は勢いを失う。僕は足を地面にしっかりとつけながら、視線をあの生物に合わせた。
何度も足を振って地面を掘り起こしている動作。またこちらに突撃しようとする意思を感じ取った僕は、剣を地面から抜いた。
「大丈夫か!?」
「うん!」
ケットは自分の身の丈と同じ槍を持ってこちらに駆け寄ってくる。彼が声を出してなければ僕は今頃身体に大きな穴を空けていただろう。お礼としてこの授業が終わったら何か奢ろう。僕は心の中で深く頷いた。
「グルルルルァァァァァァッ!」
空気を揺らすような獰猛な声を発し、猪は弾丸のように飛び出す。猪が通った地面は草が飛び散り、土もまた空へとぶち撒けられていた。
「あれは流石に防げねぇ。避けるぞ!」
僕はケットの言葉に一度顔を縦に振ると左へと移動する。ケットもまた右へと回避すると、自分たちが少し前にいた場所を猪が通過する。背後を取った僕たちはすかさず攻撃しようと得物を構えるが――
風を切る音と肉を裂く音、それを近くで耳にしたと同時に、上書きするように猪は前に倒れ、騒々しく地面を削るのだった。
「馬鹿ケット! なんでわざわざ相手の前に行くのよ! 横から攻撃しなさいよ横から」
遠くから罵声を飛ばすのはアンジェ、手に持つ弓を背中の収納具に入れると、彼女は僕たちのほうに歩いてきた。僕はぜぇぜぇと呼吸をする倒れた猪に近づく。右後ろ足には矢が深く突き刺さり貫通していた。
「仕方ないだろ! ガルムがピンチだったんだぞ!」
「ピンチならそれこそ倒しなさいよ! あと、大馬鹿ガルム! 早くトドメをさしなさい! 回復されたら面倒なんだから」
「ああ……うん」
僕は猪の顔の横まで来ると剣を両手で掴み上に掲げる。そんな僕を見る猪――魔物の血走った目は憎悪で満たされていた。まるで、この世全てを恨むかのように。
「世界は呪われている」
誰もが知っている事実、それは当然だ。だって今もなお、神の憎しみは消え去ってはいないのだから。