三人称小説 12ページ
【三人称の例1ページ】
銀行のATMから漆黒のハイブリッドカーが路面とタイヤの摩擦音だけを残し、慣れたヤスオのハンドルさばきは車体を自宅へと滑らせた。
これから温泉に向かうはず故に、助手席のミチコは、夫に怪訝な表情を向ける。
「あなた、どうしたの?」
「腹を壊したようだ」
ミチコは何かを閃くと、ダッシュボードをポンと叩き、運転手のヤスオにつぶやく。
「くじ引き温泉旅行とかけまして」
「整いました」
ミチコは早い! と思い目を輝かせる。
「その心は?」
「昼に食ったカレーと温泉ペア旅行、どちらも“あたり”ました! トホホホ~……」
「良くも悪くも引き強いわね」
ヤスオは引き強い顔を、引きつった表情でミチコに向ける。
「笑えねェよ……」
「うちで激辛カレーに人生賭けてるのはあなただけだから、どうせ舌が麻痺してることだし、棚の奥から出てきた伝説のルーをあなたの分だけ別鍋で作ったの」
ヤスオの思考には伝説という言葉が引っかかった。
「伝説のルーってどういう意味だ?」
「賞味期限が1996年で今年は2012年だから、娘のユリと同い年! 16年物よ! ワインみたいね」
「じゅ……16年。殺す気かァ! 」