エリック
「遅すぎるな」
食堂の時計は、後数分で閉館時間の二時にさしかかろうとしていた。
生徒指導室に呼び出されてから既に二時間近く経過していると言うことだ。
食堂にはまだ生徒の姿があるが、いつもなら一時には退出しアティアと図書館で借りてきた本を中庭で読んだりしている時間だ。
生徒指導室に様子を見にいくべきだろうが、わざわざ探りに行ったと知れて彼女が煩わしいと思われたりしないだろうか?
必ず来るのだぞと言った手前、席を離れていいものだろうか?
席を離れた直後の姿を彼女に見られ、エリック=リノ=サンデックは堪え性のない男だと思われないと誰が言えるのか。
想像するだに恐ろしい。
そんな不名誉は、ごめん被る。食堂の者には悪いが、例え日が暮れようと俺はここから動かぬと誓う。
「閉館時間です、皆さん退出をお願いします」
「…………」
配膳の“オバチャン”輝かんばかりの笑顔で退出を促してくる
「それとも、坊やはオバチャンと二人っきりになりたかったりするのかい。もしそうなら、うんとサービスしてやるよ?」
カッボウギとやらの紐を解きながらオバチャンが近づいてきた。
「はいっ!今すぐに退きます!」
「ありがとねー」
年上の女性の笑顔に惑わされた心の弱き俺を許してくれ。
▼
「結局いないではないか」
生徒指導室は堅く閉ざされていた。
もちろん誰かが居る気配ではなかったので、図書館に向かう事にした。
もしかしたら、彼女は配膳の終わる一時を過ぎていたから、直接図書館に向かって待っているのかも知れない。
この学園の教室で行われる授業は午前中のみに限られていて、午後からは自由行動である。
一部の生徒は勉強会に参加したりしているが、実技を磨く時間とされている。
それというのも、四年と言う長い就学期間と、身寄りのない貧しい者に、自由な時間中に自力で学費を稼ぎながら通えるようにしているからだ。
学園の敷地内には、優しいとは言い難いダンジョンがあり、手に入れた素材を購買に売りに行けば、実力に応じた金が手に入るようになっているから冒険者並みに経験も積める。
変わり者と呼ばれる一部の稼ぎ頭が、その知識と発想力で潤沢な資金を提供し、毎年入学する貴族からはえげつないほどの入学金を搾り取りるという学園長のお陰で、貧民にかかる負担は他校に比べ極端に少ない。
搾り取られたハズの貴族が誇らしげに帰ると言う噂があるのに、御父様の場合は学園長に値下げ交渉から始め、最後には学園長が折れたとか。
息子が恥ずかしくて貴族専用のエリアに入れなくなるとは考えてはくれなかったのだろうか?
しかし、そのお陰で飯時にしか姿を現さない学園の妖精と呼ばれた少女を独り占め出来ているのだから皮肉なものだ。
まあ、その時は入学から一年ほど経過していて、学園の妖精はクマに縄張りを乗っ取られ入学時の可憐さなど見る影もなかったがな。
続いて向かった図書館は、無言で写本をつくる生徒達の姿があった。
オリジナルの魔導書や図鑑は高く、街の書店にならぶのはこうした内職で作られた写本がほとんどだ。
それすら庶民が簡単に手に入れるような物ではないのは確かだが…。
「…む、ここにもいないのか?」
ぐるりと三周した所で図書館を出る。
残るは中庭なのだが、暗い笑みを浮かべた彼女を思えば、本当にあそこにいるのか疑わしく思えてきた。
「もし居なかったとしたら…」
安易にパンを選んでしまった事に対し急に後悔が押し寄せてくる。
もしかしたら、バターを少しも塗らずに渡した事がいけなかったのかも知れない。使えない男だと呆れられてしまったのだとしたら、どうしたらいいのだろう。
そうか、食堂は閉まってしまったが、購買でバターを買ってからいけばいいではないか。
きっと、パンにバターを塗る事が大事だったのだ。
そうに違いない。
―まったく、手こずらせてくれる。
庶民と妖精は気紛れとはよくいったものだ。
そう思いながら、購買へ向かう俺は、その日から彼女と学校で話をする事は二度と出来ないとは思いもしなかったのだ。
翌日の朝、教頭が彼女の休学を伝えにきた。
そこまで、キズを与えてしまったのかと、消沈しながら寮の部屋へ戻ると、昨日買ったバターが通学バッグのそこで溶けていた。
その日、俺は懐に忍ばせても熱に溶けない新しいバターを開発して持ち歩く事を胸に誓った。
―いつどこで再会しても、彼女のパンにバターを多めに塗ってやれるように。
天然VSど天然