ヒーロー
話は少し前に遡る。
「もう!頭にくるー」
リリーは激怒した。
町娘風の格好でオリヴィエの街を闊歩する少女こそベベルの二つ下の妹リリーである。
何故おめでたいパレードで彼女がここまで怒っているかというと。
「なんでお兄ちゃんは私とパレードを回ってくれないのよ」
彼女はかなりのお兄ちゃん子だったのだ。
彼女の両親は有能な薬師であり、家を空けることも多かったので、兄であるベベルが彼女の面倒を見ていた。
彼女にとってベベルは優しい兄であり、他の男が目に入らないくらいに魅力的な男性に映っていた。それなのに。
「スティン!スティン!スティンと回る?男二人で気持ち悪い!!」
今でこそスティンは山で生活しているが、かつてはここオリヴィエに住んでいた。幼馴染の二人は昔から仲が良かった。色々あって山奥で生活しているスティンを今でも兄は気にかけている。しかし。
「あたしも気にしろっつーの!」
ぷりぷり怒りながら大股で街を練り歩く。スティンは全く悪くないのだが、彼女にとっては兄を独占しているいけ好かない奴であった。出店している屋台でヤケ食いしてくれようか?そんなことを考えていた時。
「うわーーーーーーーーーー!!!」
「きゃああーーーーーーーー!!!」
「魔物だ!魔物が街に迫ってきている」
街の入口の方角から悲鳴とともに信じられない言葉が聞こえた。魔物?魔王は倒されたはずでは?このパレードはその祝勝で行われているものではないのか?混乱している中、入り口の方向から雪崩のように人が押し寄せてくる。そして見た。その後方に見える巨大な影を。魔物の存在を。
「ほ、本当に魔物・・・に、逃げないと」
でもどこに?魔王が生きている時でさえ、魔物が街まで侵入してくるようなことはなかった。騎士団。自警団は定期的に街の外まで見回りをしていたし、警備もしっかりとしていた。魔王が討伐されたことで警戒が疎かになったのだろう。
「ひ、避難所」
そうだ。避難所だ。万が一の事態に備え何度か避難訓練が行われた。リリーはまず避難所に行こうと考えた。しかし。
「ここ、どこ?」
先ほどまで兄とスティンのことで頭に血が上り、怒りながら歩いていたのだ。自分が家からどう歩いてきたのか把握していない。さらに街はパレードのために様変わりしていた。普段の街並みとはだいぶ違う。さらにこの人の波。ただでさえ混乱している彼女は自分の現在地を全く把握できていなかった。
「う、ううう・・・」
遠目からでも魔物が暴れているのがわかる。次第にこちらに近づいてくる。リリーは駆けだした。とにかく止まってはダメだ。避難所も、本当にそこに行けば安全かもわからないが、とにかく逃げなくては。
こうしてリリーの最悪のパレードは幕を開けた。
スティンが街に着いた時にはあちこちから火の手が上がっていた。やはりパレードのため火を使う店が多かったことが原因だ。魔物の数は正確にはわからないが二十体以上はいるだろう。襲われている人々、すでに亡くなっていると思われる人が倒れていた。
「くそ!」
まずベベルの家族を探す。持ち前の脚力と身軽さでスティンは瓦礫を縫うように走り出した。
「はあ。はあ」
リリーは足を引きずるように歩いていた。先ほど逃げ惑う人々の波に突き飛ばされ膝をすりむいてしまったのだ。
「自警団は、なに、してるのよ?」
おそらくこの混乱でうまく機能してはいない。しかし、それでもそう言わずにはいられなかった。足が痛い。喉もカラカラだ。怖くて足が震えうまく走ることができない。
「誰か、助けて」
そうだ。兄だ。きっと兄が助けてくれる。自分が困っている時、いつも兄が助けてくれた。今回だって、きっと兄が助けてくれるに違いない。兄は自分のヒーローなのだから。
ガラ
瓦礫の崩れた音がして振り返る。
「お兄ちゃん!」
が、しかし、リリーの淡い希望は瞬時に絶望へと分かった。
魔物だ。狼型の魔物。本当の狼よりも一回り大きく牙も鋭い魔物が三体。リリーを鋭い眼光で睨みつけていた。
「あ、あ、え・・・きゃーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
どんなにリリーが大声を上げようと魔物は動じない。ゆっくりと強かにリリーをゆっくりと囲むように動いていく。対してリリーは完全に思考が停止していた。涙が止まらない。歯が鳴りやまない。どうすることもできなかった。
「にぃちゃん・・・」
かすれた声で少女は叫ぶ。来てくれる。呼べば必ず来てくれる。自分のヒーローが。
「お兄ちゃんー!」
ざくぅーーーーーーーーーーーーーーーーー!
鮮血がほとばしる。自分ではない。魔物の血であった。後方からやって来た何者かが走り抜けざま魔物を切り裂いたのだ。
「よう。リリー久しぶり。悪いな兄貴じゃなくて」
スティンが立っていた。自分を守るように魔物と対峙して、自分の不倶戴天の敵。スティンが立っていた。