大事件
世界に一人だけ。
その言葉に一瞬スティンの胸は躍った。
しかし、すぐに心を戒めた。さきほどぬか喜びをしたばかりだ。老人が何を言おうとしているのか、見極める必要がある。
「ほっほ。だいぶ警戒しとるのう?」
「導師様。説明いただけますか?」
ミレイが聞いた。
「順序立てていこうかの。まずはおさらいじゃ。ミレイちゃん。そもそも魔法とはなんじゃろうな?」
突然聞かれ、ミレイは一瞬言葉に詰まったが答えた。
「魔法は体内にある魔力をイメージしディティールを固めて発現するものです」
「おおむね正解じゃ」
老人は満足そうにうなずいた。
「そこの二人」
老人はベベルとリリーに話しかけた。
「ただ聞いているだけでは退屈じゃろう。魔法を放つと体内の魔力はその分減る。では、その減った魔力はどう回復するのかの?」
突然水を向けられ、二人は戸惑った。そもそも二人は魔法についてはスティンと同レベルしか知らない全くの素人なのだ。
しばらく考えていたが、まずはベベルが答えた。
「えと、素人考えですけど、食べ物とか、寝たりとか?」
「ふむ。なるほどの。現在、魔術ギルドでは魔力を圧縮し、飲食物に魔力を閉じ込める研究をしておる。近々発表する予定じゃったが、やはり先入観のない意見は面白いの」
老人に褒められ? ベベルは少し照れたが、正解とは言っていない。ベベルの意見は外れたのだ。
「寝ている時は確かに魔力を回復するのが早いが、それは回復するのに良い条件であって、手段そのものではないの」
老人の言葉で今度はリリーが手を挙げた。
「ほい。お嬢ちゃん」
「空気と一緒に取り込むんですね?」
「左様。寝ている時が好条件でできることと言えばそれくらいじゃな。厳密には違うが、まあ正解と言ってよいじゃろう」
正解を言い当て、リリーはガッツポーズを決めた。
「厳密にはこの世界にはマナと呼ばれる純粋なるエネルギーが大気に満ちておる。それを人は体中から取り入れ、魔力へと変換するのじゃ」
老人は喋りならが羽ペンを取り出すと、なんと壁にがりがり図を描きだした。
「人間の体を器に例えよう。器の大きさは様々じゃ。エスプレッソ用の器かもしれんし、バケツほどの大きさかもしれん。無論、大きい方が許容できる魔力は多い。どれほど魔法に対して才能があっても、魔力が多くなくては、大規模な魔法は使えんというわけじゃな」
老人は壁から向き直り、スティンに目を向けた。
「さて本題じゃ。何故スティン君に魔法が使えるのか。魔力を持つ人間は無自覚に無くなった魔力を回復しようとする。空になった器に水を入れようとするわけじゃ。しかし、魔力のない人間は、そもそも受け入れる器がないんじゃ。何故このような人間が稀に出現するのかは議論の分かれる所じゃが」
老人はまた壁に向き直り、書き出した。
「また例え話で話そうかの。マナを無色透明な水に例えよう。人間はマナを取り入れ、魔力に変換する。人間は固有の属性を持っている為、マナは魔力に変換した際に属性を帯びる。無色の水が色水に変わる訳じゃな。現在確認されている属性は五つ。火、水、風、土、雷。この場合、火なら赤。水なら青と考えるとよいじゃろう」
老人は話すにつれ、テンポがよくなってきた。やはり、この辺は研究肌の人間のようである。
「それではスティン君はどうか? ここが重要じゃな。見た限り、君は限りなく世界と同調することで、マナをマナのまま体内に取り入れている。心を清め、研ぎ澄まし、世界を感じている」
己を個ではなく世界の一部、己もまた全として世界と同調する。これこそが魔術の基本理念にして、究極の到達点。期せずしてスティンはそれを体現していた。
「何故それをなし得たのか。おそらくは育った環境によるものではないかな。この国は自然が豊かじゃ。君は幼いころから一人で山奥で暮らしていたんじゃろう?」
「はい」
「それが大きいんじゃろうな。それもほぼ一人で生き抜いてきた。もっとも多感な時期にマナを感じ、自然に溶け込み生きていく術を学んでいたのじゃろう。それに人と交われば、それだけ多種多様な魔力と触れ合うことになる。純粋なマナを感じる為には不要な要素を自然に排除していたわけじゃ」
ベベルは納得がいったとばかりに、腕を組んで頷いた。
「つまりぼっちしか使えないということだな!」
「ぼっちっていうな!!」
「世界に一人しかいないというのは?」
「断定はできん。しかし、魔力を持たず。この段階でかなり人数が絞られるが、その上で幼い頃から他の人間、この場合は多くの魔力に疎外されることなく、自然に囲まれた環境で一人で生き抜く。さらにマナを感じるだけの感性を持ち同調できる人間がどれほどいるかな? 限りなく零じゃ」
ミレイは目を白黒させた。他の三人(スティン自身を含む)は事の重大さに気づいていないようだが、これは魔法界を揺るがす大事件だ。
ミレイは新種の魔法系統が見つかった程度と思っていた。それだけでも十分大事だが、スティンの魔法? は、これまでの属性を持つことが当たり前であった魔法理論を根底から覆すものだ。
確かに新たな魔法系統ではある。第六の属性。純粋なる無属性。もしくはマナそのものとでもいうのだろうか。もし今回のことが正式に発表されれば、魔法界はひっくり返る。
しかし、かといってこれから無属性の研究を進めようとしても困難を極めるだろう。まず、被験者となる魔力を持たぬ人間を探すのが難しい。その上で、他の魔力を持つ人間たちからできる限り隔離しなくてはならない。大自然の中で、一人生き抜く強い精神力と意志、マナを感じる感性が必要だ。そんな人間がどれほどいるだろうか? スティンはまさに奇跡と呼べるほど低い確率で生まれた人間ということになる。
「それってつまりはどうゆうこと? すごいのか?」
「すごいなんてもんじゃないわ!! 大事件なのよ」
いまいち事の重要性を理解していないスティンにミレイはスティンの肩を大きく揺らしながら力説した、
「ほっほ。まあ、彼は魔法に関しては何も知らんようじゃし。無理もないな」
「魔法ばかりじゃありません。彼には常識がほとんどないんです!」
「いや、それはいいすぎじゃないか?」
なんだが、流されるままひどいことを言われている。
「彼のことはこれから追々解明していけばよいのではないかな。さて、そこの二人の魔力属性を判定しようかの」
たった今、魔法界を震撼させる人間が現れたというのに、老人は至ってマイペースだ。ミレイはそんな老人を見ると、とたんに自分の狼狽ぶりが恥ずかしくなり、顔を染めながら、咳払いをして呼吸を整えた。
「なんか、スティンの後だとすげーやりにくいな」
「ね。なんだか世界記録を出した人の後に村人その一、その二が走るみたいよ・・・」
ベベルとリリーは何とも微妙な気分になって恨めし気にスティンを睨んだ。
「お、おれが悪いのか?」
「ほっほ。わからんぞ。もしかしたら、またもや世界を揺るがす逸材が出るかもしれん」
「「ハードルを挙げないでください!!」」




