第六話
王宮の庭師さんの話がそこそこ盛り上がってきたころ、王子が帰ってきた。僕が貸した制服に身を包んだ王子、じゃなくてカナンはどこからどう見ても修道士、とはいかない。赤のマントをぶら下げて高笑いしている王子の印象しかなかった僕の目には「いきなり博愛に目覚めました!」という変な人にしか見えない。ちらりとノアにアイコンタクトを送ると、なんと僕とは真逆な考えのようで、「完璧」と言わんばかりに瞳を輝かせていた。そりゃあノアは王子を知らないから、完璧に見えるのかもしれないけれど、僕から見ると違和感が残る。
「完璧! 君今日から修道士!」
「俺を『君』呼ばわりだと? 明日処刑台に上げるからな!」
「もう王子じゃないでしょ、君」
手をひらひら振っているノアの腕を掴んで、喚くカナンを見ているとノアがもうひとり増えた気分になる。そろそろ夕食じゃないか、と思って給料で購入した掛け時計を見たら予想通り夕食10分前。ここは常に5分前行動だから、ということにして僕は二人を食堂に向かわせることに成功した。
修道院と言えば男子禁制の百合の園だったり、はたまたその逆だったりするのだが、ここヴェランリード修道院は男女分け隔てなく居る。なぜならこの修道院は孤児院も兼ねているからだ。先ほど僕らが向かい、ノアが抜け出した聖堂は最近では子供を捨てる絶好のスポットで、それに目を付けたシスターが引き取り、ここの修道院に入れているとの事らしい。花嫁修業に来たお嬢様や、王宮僧侶を目指して勉学に励む僧だけで成り立っているわけではない。
よって吹き抜けになっているこの食堂は、多くの男女で入り乱れているわけだ。あ、隠喩とかでなく。そりゃあ修道院とはいえ健康な男女が一つ屋根の下で暮らしているのだから色恋沙汰な話もよく聞くけれども。そんな話を聞くたびに、やはり近頃の教会は荒廃しているなとノアにぼやくのだ。ノアは、そんな僕を「本当は羨ましいんでしょ」と笑う。
僕らの特等席、端の陰になるところに座り、僕らは置いてあった今日のご飯を口にした。ぬるいスープと少しのパン、少しのサラダ。簡素である。というか簡素過ぎないか、最近。
「だってヴェランリードの食料は王や貴族にしか行きわたりませんもの」
僕の心境を読んだのか、ノアは皮肉を言ってパンにフォークを突き刺した。
「こんなもの食えるかってんだよな、まったく。王宮に居たころは良いもの食ってたんだろ、先生」
「まあ、そうですけれども。ここも少し前までは米の料理が出たり、少しだけデザートが出たりしてたのに」
シスターが真面目な修道士さんたちに差し入れをする光景も、最近では見られなくなってきたものだ。ノアも昔は街に出て可愛らしいお菓子を買ってくることがあったのだが、今じゃ昼飯も満足に食べていないみたいだし。
「だから、貴族たちからお金を巻き上げているんでしょうよ。金持ちの祈りであたしたちは今日もご飯を食べてるの」
「俺たちの信仰心がこいつらのご飯になってたとはなあ」
言い返せない、ぐうの音も出ない、間違いない正論だった。さっきまで目を輝かせて聖書解釈を語り合っていたノアの表情は諦めたようなもので、僕は目を逸らした。カナンまで何かを悟ってしまったような顔をしている。まずい飯がさらにまずくなりそうだ。
「信じる者こそ救われる、とか言うけどね。実際今のヴェランリードで救われてる人なんてほんの一握りしか居ないんだよ」
教会不信になっても無理はないわ、とノアは言う。パンを一切れ口の中に入れて、具のないスープを啜る。体が受け付けないからと言ってパンもスープもノアにあげたカナンはサラダだけを無言で食べていた。ノアも食欲がないのか、残った半分ほどのパンを花柄の敷物で包んでいる。
「……あ、それ、スラムの」
修道僧くんの言葉を思い出し、僕は気が付いたらノアに声をかけていた。顔を上げたノアは「え、なんで知ってるのよ!」と驚く。ノアは朝食や夕食を抜きにされていたと思いきや、スラムで暮らす人達に食料を提供しているのだった。
「別に慈善活動とかじゃないよ、んー、見かけるから差し入れっていうか」
「知ってる知ってる、僕のパンも持って行ってよ」
敷物に持っていたパンを置くとノアは「だからちがうっつーのっ」と言いながらも、恥ずかしそうに笑っていた。美人が赤面する姿は画になるものである。
「うーん、さっきぶどう酒の話したら飲みたくなったね、お酒。明日酒場行こっか」
「俺も行く」
未成年だろうが、と僕は一応止めたけれど、目の前にいるふたりの罰当たりな修道士は聞く耳を持たなかった。
短い夕食の時間は終わり、明日の任務が始まるまでつかの間の休息が贈られる。ノアの部屋は3階で、僕は1階。カナンの部屋も3階にあるらしいので、僕らは食堂の前で別れた。
おやすみなさい、と言葉を交わし、廊下を抜けて部屋に戻る。こうして波乱の今日は終わる、そして、明日がやってくる。