第四話
修道僧と別れて部屋に戻る。僕は一人部屋を獲得しており、中には誰も居ないので、ただいまも言わずに散らかったベッドに座り込んだ。気付けばもう夕暮れで、赤い空がうっとうしいほど目に入ってくる。ノア、今どうしているんだろう。もし帰ってきたら、明日の朝食は全部ノアに献上してやろう。だから、帰ってきてください、帰ってきてくださいノア様。帰ってこいアホノア。
探偵ごっこで死ぬのもノアらしいと言えばノアらしいけど、僕としてはもう少し同級生の友達ノアに振り回される生活を送りたい。今度はフリではなく、真剣に祈りを捧げた。
「私たちに必要なのは勉学でも祈りでもありません」という言葉がこだまする。居てもたってもいられなくて、ノアを探しに行こうと思ったその時。
ノックもせずに取り付けの悪い扉が勢いよく開けられた。何事か、と沈んだ顔を上げる。
「先生、なんか服貸してくれないかしら?」
綺麗に切りそろえられたプラチナブロンドの髪、眠そうな甘い声、修道女らしくない短いスカートにレースの、会いたくて会いたくて仕方なかったノアがいた。思わず声が出てしまう。生きてた、ノアは帰ってきた。しかし僕の感動を素っ飛ばすかのような光景がそこにあった。修道女ノアの袖を握って立っていたのは、ボロボロの絹の服を着た金髪の少年。残念ながら、僕はそいつに見覚えがある。
「な、なんでここに王子が……? 死んだはずじゃ、」
「細かいことはいいのよ、ゆっくり話すから」
その金髪の少年は僕の方をちらりと見た後、「あぁ、こんな奴いたな」とでも言いたそうな表情をしていた。生意気な態度も僕が知っている王子そのもので、僕はますます混乱する。
僕はおぼつかない足取りでクローゼットからいつもの制服の予備を出し、金髪の少年、アインツ王子に渡した。2年前は確か12歳くらいだったから、今は14歳ということになる。僕の肩に届かないくらいだった身長は、17歳の平均身長と寸分変わらないノアより少し低い辺りまで伸びている。じわじわと時の流れを感じながら僕は椅子を引いて二人を座らせた。
「……お久しぶりです」
僕の予備の制服を着ていたとしても、僕の前でありノアの隣にいる少年は、王都ヴェランリードの王子だ。無礼な態度など許されない。僕は深く頭を下げて、恐る恐る顔を上げる。そこには、2年前散々見た王子の勝ち誇った笑顔があった。
「気遣いは良いよ、せんせい。今日から俺たちは同期だからな」
足を組んで偉そうに座っているぼろ服の王子に2年前と同じ感情を覚える。僕が王宮家庭教師だったことを知っているノアは、「あぁ良かった、先生に頼んで。あたしどうしようかと思ったのよ!」と言う。この人、僕と王子のやりとりを聞いてたのかな。聞いていたとして、僕の表情を見ていたのなら、こんなことは言えないだろう。
「ええとね、じゃあ説明するわ。ある日、いつものように王子が城を抜け出して遊んでいたのね」
「いつものようには余計だぞ!」
「はぁ? あんだって? もうお風呂貸さないんだから!」
「はいはい、続き続き」
長い指をピンと立てて説明を始めるノアを王子がどつく。王子に向かってそんな言葉遣いをするなんて、と止めようとしたが、王子が特に気にしていなかったようなので口を挟むのはやめた。
こういうタイプ同士は本当に対立しあって面倒だ、というのを身をもって知る。会話は進まないが、仲良しそうで何より。で、続きは。
「ほらこんな感じで、王子ってかなり王族らしくなくて遊んでばかりじゃない? それを心配した王様は、信頼してる王宮僧侶のヴァンスに相談したの。で、ヴァンスは王子を修行としてここの修道院に入れることをお薦めしたわけ。知り合いのノアも居るしって」
「へー……あっちょっと待って、その王宮のヴァンスと、ノアって知り合いなの?」
「知り合いも何も、うちの両親はエヴァンスのお父さんを殺した罪で投獄されているのよ」
思わず淹れた飲んだコーヒーを吹き出しそうになった。「家族ぐるみってやつかな」ってノア、それは違うんだよ。
ノアの両親が殺害したカジノの警備員は、王様のお気に入りエリート僧侶ヴァンスだったらしい。ノアは続ける。
「そんなこと言われたらあたし、あの人に恨み買われてるんだから断れないじゃない。ヴァンスに王子を頼みますねって言われたんだけど、頷くしかなかったわ」
「なるほどー……ていうか、王子が死んだことにする意味ってあったの? 普通に王子は素行が悪いから修道院に入れますって公表すればよかったんじゃない? ここで王子を更生したとしても、もう死んでることになってるから次の王にはなれない」
「……そこなんだよ」
ノアが机に置いていた手を下した。
「あたしもそれ疑問に思ってヴァンスに聞いたのよ。でもうまくはぐらかされて、教えてもらえなかったの。もともと王様も修道院には入れるつもりだったけど、死んだ事にするつもりは微塵も無かったのよねー……なんだかんだで、大切な一人息子ですから」
「……」
「で、今日。俺は突然ヴァンスに呼び出されて、気が付いたころにはこのノアっていうねーちゃんが俺を修道院に運んだあとだった、ってわけ」
正直話の本質が理解できない僕だが、ヴァンスという、ノアの知り合いの僧侶が王子の死を偽装したのは解った。珍しくお怒りのノアはこう言う。
「きっと王子を亡き者にすれば、次に権力が回ってくるのは自分だと考えたのよ。容疑をかけられたら修道院に送り付けたと言えばいい。王様だってそれを認めているから……つくづく、あの狡猾さには腹が立つわ、ああもう」
プラチナブロンドの綺麗な髪をやや乱しながら、取り付けの悪いテーブルを叩く。僕も腹が立ってきた。エヴァンスはノアを利用したわけだ。とりあえず、ノアを怒らせておくわけにはいかないので話を変えることを試みた。
「……とにかく、王子はここに住むんだろ?」
これはノアに聞いたつもりだったのだが、先に返したのは王子だった。
「ああそうだ、あの僧侶ヴァンスを潰して城に帰るまで、ここに住ませてもらうことにした。俺の立場全部奪いやがって、許さねえ」
「ええ。シスターにはうまく誤魔化しておいたわ。王子が生きてるなんて知ればみんなひっくり返るでしょうし。神父様とか、心臓止まるんじゃないの」
王子からヴァンスの名前が出て、ノアはようやくテーブルを叩くのをやめた。僕がノアの立場なら、できればヴァンスとは関わりたくない。その気持ちはノアも同じようで、王子をしばらく面倒見ることに決めたらしい。
「……というわけで、俺は今日から王子じゃなくてカナン、って名乗る。改めてよろしく、先生」
一夜にして王子という立場を失い、勝手に死んだことにされてもなお、王子は2年前と同じく意地悪そうに笑う。やはり王族と言うのはこうなのか、人生をゲーム感覚で見ているのか。それか、ノアのようにどうしようもない馬鹿なのか。
アインツ王子、もといカナンと握手を交わす。ヴェランリードは謎だらけである、ということをこんな形で思い知らされるなんて思わなかった。