第三話
気まぐれなノアの事だから、僧侶探偵を気取ってみたとしても一時間で飽きるだろうと鷹をくくっていたのがまずかった。ノアは少し話を聞いた後、聖堂を抜けだしてしまったのだ。あの厳重な警備の中脱走を試みて、しかも成功するなんてネコのような奴だ。一体どこから出たのだろうと周りを見回していたら、少し遠くに立っていた神父様にばつが悪そうに見られた。
祈りを捧げ、僕らはこれからしばらく喪に伏すことになる。修道院も忙しくなるだろうから、ノアを探しに行くにも行けそうにないかもしれない。
放心する人、泣き叫ぶ人、よからぬ噂をする人たちを掻き分けて僕と修道僧くんは帰路に着いた。
ヴェランリードのアインツ王子様はもともと体が弱く、あまり民衆の前に出ることはなかった。僕の家庭教師も王子の体調不良によりお休みになることも少なくなかったし、ノアはともかくこの真面目な修道僧くんも王子の顔は知らないらしい。あの生意気な態度も体の弱さからなのか、と僕はいまさら思い返す。
来た道をそのまま戻る事すら困難で、遠回りしてきた僕らは修道院の中にある図書館から入ることにした。無駄にたくさんの蔵書があるこの図書館は真面目くんの巣窟で、暗いところが大好きな人にも人気がある。僕の受け持っている10歳児も、半数以上は「わけあり」だから、たまにここでうずくまっているのだ。
僕らはかなり早く帰ってきた方で、残りの修道士さんたちはまだ聖堂にいてよからぬ予想会を開いているだろうから図書館には当然誰も居ない。誰も居ないはずなのに、物音がする。僕はついに幻聴まで聞こえるようになったか、と思って横を見たら修道僧くんも不審そうにしている。誰だろう、まさか、本泥棒とかだろうか。王子が死んだ直後だというのに、無礼者め。
「……あ、エステル先生じゃないのん」
と思ったら、上からソプラノの甘い声が聞こえてきた。反射的に見上げると、そこには予想通り、居た。真面目くんの巣窟を自分のもののように、本を積み上げている女には一人くらいしか心当たりがない。
脚立に座って「王がなんとか」みたいな厚い本を広げているノアは本棚に肘を乗せて僕らを見下ろしている。危ない降りろ。
「ねえ、やっぱり王子様、病死ってことになってたけど殺されたのは確かなんだよね」
ノアを注意しようと思ったら、先に話をされた。口を開けばこれか、と呆れつつ、僕は考える。
そうだった、聖堂の大司教の話では王子は病死、ということにされていた。しかしさっきの修道僧くんは確かに「殺された」と言っていたし、街に居た人たちも側近による暗殺がー……みたいなことを話していた。脚立の四段目からひらりとジャンプして降りたノアは、文献をほこりまみれのテーブルに置いて僕らに見せた。
「これ、古い新聞。たしか2年くらい前のやつだわ。王子が生意気盛りで側近を病院送りにしたって。あとは城から抜け出して帰らなかったりとか」
「ノアみたいな奴だなあ」
「あたしのことは今は良いの! スラムの人達が暗殺を試みるとしたら王を狙うだろうし、やっぱ城内の奴の犯行に違いないわ」
「確かにその可能性が高いかもしれないけど決めつけるのは……」
「あたし、ちょっとお城まで行ってくる」
「あ、ノアっ!」
文献を置いたまま、ノアは開いたままのドアから外に走り出した。ノアなんか城に行っても取り合ってもらえないことは確かだが、お葬式モードのお城に突っ込んで「この中に犯人が居る!」なんて言うつもりなのか? 良くて投獄、悪くて処刑だぞノア、と言おうとしたときノアはもう居なかった。足だけは速い奴である。
「ノア様本当にお城に行くつもりなのでしょうか……」
「もう、あいつなんか知らないよ」
ノアを見るのもあれが最後かもしれない。一瞬だけ祈るふりをしてから、僕らは散らかった文献を片付けた。
「……そういえば、ノアが言ってたけど、王都ヴェランリードにスラム街があるなんて僕初めて知ったな」
貴族と教会関係者がほとんどのヴェランリードは、世界の聖地を紹介する本にも大々的に紹介されている。僕は勝手にヴェランリードは裕福な都だと思っていたが、スラムがあるだなんて。なにげなく修道士くんに話したつもりだったが、彼は真面目な顔でこう言った。
「有名な話ですよ。エステル様は王宮育ちなので解らないと思いますが、ヴェランリードは裕福な人ばかりではございませぬ。なんでもヴェランリードで衣食住に困らないのは約4割のみ。食料のほとんどは王宮関係者や貴族、僧が占めています」
目を伏せて語る声は少し震えていた。黙ったままの僕に、彼はさらに続ける。
「ここでは疎まれているノア様ですが、朝食や夕食の残りをスラム街に持って行っていると聞きます。今私たちに必要なのは勉学でも祈りでもありません」
文献を持つ手が止まった。はっとして、修道僧の方を見る。
ノアには朝食が無かった。下手すれば夕食も無かった。しかし、よく考えればシスターや神父様が食事を抜くわけがない。ノアの分も、毎日作られているのだ。ノアはその朝食を、スラム街に持って行っているのだ。
僕らは陰鬱な気分の中、文献を片付け部屋に戻った。