第二話
周りが王宮の話に花を咲かせている中、隔離されたように端に座る僕とノア。食堂は吹き抜けの暖かい空間で、木で作られた椅子とテーブルが大きな窓から入る陽射しによって暖められていく。
僕は確かに両親の失脚により、王子専属家庭教師の座を失った。しかし、このノアという問題児を突き放して周りと同調していたら、ここまで孤立することはなかったと思っている。僕がノアを嫌いになれない理由は、彼女が僕と似た、もしくはそれ以上に悲惨な境遇の中を生き抜いてきたからだ。
ノアの両親は世界でも有名なカジノ街に暮らしていたらしい。ギャンブルに依存する生活を送っていて、妙に生々しい話をノアから聞かされたことがある。ある日、カジノで負けが続いたノアの両親はカジノに強盗に入った。その時にカジノの警備員を、持っていたナイフで殺したんだとか。……こう、ぐさりと。
もちろんその後、ノアの両親は逮捕され、今も牢獄に居る。というわけで、ノアは人殺しの娘として迫害を受けている。
それだけではなく、運が悪いことにノアの両親が殺した警備員の息子はここよりずっと立派な修道院出身の超エリート僧で、今は王宮に仕えてるとかなんとか。もしその息子とノアが出会うことがあったら、僕は王宮で話題の略奪愛が生ぬるく見えるほどの修羅場を見るだろう。
隣で美味しそうにパンをもそもそ食べているノアを見ながら、僕はそんなことをぼんやりと考えていた。
朝食を終えると、僕とノアは別れることになる。僕は幼い修道僧に勉強を教えるため広間に、ノアは勉強を教わるために別の広間に移動しなくてはならない。しかしノアという女が普通に勉学に励んでいる姿など僕は2年間で一度も見たことがなかった。彼女は今日も街に遊びにいく。
夕方頃にノアの捜索を頼まれるのは決まって僕であり、それには今まで何度も悩まされた。だいたい市場やお菓子屋にいるのだが、城の中庭をぼーっと見つめていたり、誰も行かないような高台に上ったりしているので困る。いっそ僕のクラスに迎え入れ、10歳児と一緒に勉強を教えてやろうかと思ったがノアの事だから、子供たちに悪いことを吹き込みそうなのでやめた。
「じゃーね、エステル先生。あたし今日は市場でチョコレート食べるから。探さないでね」
「僕は別に探したくなんかないんだけどね」
神話の女神さまをモチーフにした銅像の前で、僕たちはお互いに悪態を吐きあって別れる。黒のひらひらを翻し、ステンドグラスの光る外へノアは消えていく。……ノアのスカートの裏側、修道女にそぐわないレースなんかついてる。スカートも他の修道女よりずっと短いし、なんというか、やはり不良だな、あいつは。
さて僕も、と思ったところを呼び止められた。息を切らして走ってきたのは、頭に帽子をかぶった修道僧さんだった。目線を合わせるようにちょっと屈もうかと思う間もなく、言葉が飛んでくる。慌てた口調と表情はただ事ではない。
「大変です。落ち着いて聞いてください。今朝、ヴェランリード王宮のアインツ王子が何者かに殺害されました……! エステル様、今すぐ聖堂に向かってください!」
「……ぅえ、王子が!? それ……え、ホントに?」
脳裏に浮かんだのは家庭教師をしていた生意気王子。アインツ、確かそんな名前だった気がする。ええと、殺されたって、あれか、暗殺か。それも王じゃなくて王子だと。混乱する頭の中で、今日見た夢の中で僕を見下すような、にやっとした王子の笑顔を思い出した。次に出てきたのは、その王子にどこか似ているノアの表情。……あ、ノア。
「ノア! あ、待てって!」
長い廊下の先にはもうノアは居ない。呼び止めるために、僕は走る。ここ2年間運動もろくにしていないから、走り方も忘れたのか足がきりきり痛む。やっぱり、今日は厄日だ。
廊下の真ん中を堂々と歩くプラチナブロンドを見つけたのは、廊下を曲がってからで、僕もいい加減息切れがしてきた。そんな僕を見て、ノアも多少は驚いたらしく、大きな目を見開いている。
「ど、どうしたのよ。そんなに慌てて」
「ノア様、探しましたよ!」
後ろから走ってきた修道僧さんが、「大変です、落ち着いてください」と僕が聞いたセリフをそのまま繰り返す。
「アインツ王子が今朝、何者かに殺されました……」
その時ノアは、僕みたいに驚くでもなく泣くでもなく、「ふーん」と一言呟いただけだった。そりゃあノアみたいに信仰のかけらもない奴は、この国では人間として生まれた神、と崇められている王族が死んでも何も思わないだろう。でも僕ら真面目な教会関係者としてはとんでもない大事であり、アホなノアもそれくらいは解ってると思ってたのに。微妙にノアに失望した。
チョコレートが食べたかったのに、とぼやくノアを引っ張って僕らは3人で聖堂に向かうことにした。
修道院を出て、小さな庭を抜けると賑やかな街が広がっている。レンガ造りの格調高そうな団地の先はノアが大好きな市場や店があり、逆側をずっと歩いていくとヴェランリード城がある。僕だって昔はあの王宮で家庭教師してたってのに。あの城を見るたびに、僕を追い出した執事長様と、もう死んでしまった生意気な王子を思い出す。
綺麗に整備された道は、王子が亡くなっただけあってパニック状態になっていた。僕はノアと歩くときはいつも並んでいたけれど、今日はそうもいかなかった。もちろん会話はなく、あの変な悪夢ばかりが頭を生ぬるくかき乱していく。ヴェランリード城が見えてきたころ、ようやくその聖堂は全貌を現した。
僕が生まれるずっと前に建てられたこの大聖堂は本当に神に届いてしまうほど高い。綺麗な四色のステンドグラスが輝き、荘厳で偉大なオーラにうろたえそうになるほどだった。庭園や噴水も丁寧に手入れがされている。そういえば僕が前に居た王宮のある庭師が昔ここで勤務していたらしいが、どうしてもあの平凡な庭師とこの大きな庭園は結びつかなかった。それほどここは立派な場所なのだろうと勝手に納得して、隣のノアを見る。
「誰に殺されたんだろうね」
探偵気取りの修道女は顎に手を当てて考えている。あぁ、相変わらずこの人は駄目だ、関わらない方が良い。でもそれはもう遅いという訳で、ノアは僕を見て目をきらきらさせていた。天罰でも下ればいいのにな。